ローマ郊外にあるオルシー二宮殿での個展開催は生涯忘れなれない思い出になりました。

 

中部イタリアのエトルリアの風の声が聞こえた時、ヴェツオさんのほうから

『ここでカオルコは個展をしたいですか?

市長さんはとても若くて芸術にも興味があり、イベントにも積極的です。カオルコにその気があるのなら、紹介します』

と言って下さり

連絡を取ると日曜日で休みの日であるのにステファノ市長がわざわざいらしてくださいました。

 

私がまず驚いたのはその若さでした。

まだ30代も半ば。いくら小さな町といえど私たちの感覚では考えられないほどだし、活力的で町を発展させるためになみなみならぬ情熱を持っていらっしゃることがわかりました。

 

その時、個展開催の申請を出すように言われ

「私が来春再選できたら、ぜひ実現させたい」と言ってくださいました。

個展は一番良いシーズンである9月が良いとおっしゃり、その後日本に帰ってから申請書を市に提出し、あとはステファノ市長が再選されるのをただただ祈っていました。

 

 

申請を出したのが2004年の5月、ステファノ市長が再選して許可がおりたのが翌2005年2月。

 

長いようですがイタリアではこれでも結構早いほうで、それから準備に取り掛かったのですがこれが結構大変でした。

日本のようにメールやファックスをしたらをしたらすぐにぽんと返事が来るわけではないのがイタリア。

結局電話をして直接話して返事を貰わなくてはならないことが多く、会場の広さや形、デスプレイ台の形やライテング、配置、ファッションショーの開催場所、フィッテイング、司会進行、音響、レセプションパーテイの場所などなども、それもそれぞれの担当者がいるわけではなく、全てお忙しいステファノ市長を掴まえて打ち合わせをしなくてはならないわけで、ミラノ在住の夫・長谷京治に全部頼むことになり、電話だけでは事足りず、何回もミラノから6時間もかかるオルシー二宮まで足を運んでもらうことに成ってしまい、本当に感謝しかありません。

 

そして驚くことですが、オルシーニ宮殿は展はこちらの希望をすべて飲んでくださったのです。

 

会場であるオルシーニ宮は無料。司会、音響、デイスプレイ台、照明,レセプション、ポスターにいたるまでのすべてを市が提供してくださると。さらに県の美術文化担当アンジェッロカペッリ氏から、ボマルツオ市に加えてヴィテルボ県の公認までいただけるということになりました。そして開催の折には芸術文化に貢献したとしてビッチーノオルシー二皇太子記念メダルを贈呈し、当日表彰してくれると言うのです。

 

 

ビッチーノオルシー二とは15世紀当時のこの周辺の王オルシー二家の王子で、大変戦運がよくフランスまで領地を広げたと言います。その当時、大変優れた技術で彼の顔のコインが製作れ普及していて、鋳造技術が大変優れていたことから、このコインはオリジナルは大英美術館に収められているのですが、2002年には前述の美術顧問べツイオさんが市のメダルとして復刻製作していたのです。大変光栄なことでもあり、何よりベッツイオさんが製作してくれて作品であることが嬉しいことでした。

 

 

日本では、ほとんどジュエリーはアートとして認識されていないので、芸術的な文化催事として取り扱ってくれると言うのも光栄でした。

 

ですが、感謝と感動の気持ちの一方、不安な気持ちで一杯だったことも告白しておきます。

何せイタリア人のこと、行って見なければわかりません。

 

準備をしているうちに、大変ラッキーなことに6月にはテレビ番組『ソロモン流』の取材がきました。この番組は1時間各会の人物を選んで特集してくれる番組で、イタリアのオルシー二個展の話をするとそれまで待ってくれてイタリアにも取材に行きたいと、言って下さったのです。

 

また、空間とお花のデザイナー秋篠野安生さんと、老舗花喜太のフラワーデザイナー白石和美さんのお二人が会場のデイスプレイを申し出てくださいました。テレビ取材と「イケバナジャポネーゼ」のニュースを聞いてボマルツオ市も盛り上がってきました。それからは、個展の準備とテレビの取材との同時進行で、大変に忙しかったのを記憶しています。

 

初めての密着取材、それも一時間番組。

 

この取材は6月から放映当日の10月23日の1日前までの長期にわたり述べ30日間の取材が敢行されました。

慣れない私は途中疲労困憊となり、精神的なプレッシャーも重なり倒れそうになったこともありました。

イタリアに行ってみて準備がちゃんと出来ていなかったらどうしよう。

 

一方こちらサイドでも不安がありました。日本からのお客様が40人も応援に来て下さることになり、県側では歓迎の準備としてレセプション後にパーテイを企画し、人数が多いことから、当初予定していたオルシー二宮近くのレストランから、ビテルボの町の中心にあるホテルに変更していました。ビテルボはエトルリアの自然豊かなのんびりとした街。純朴な街の皆さんが日本からのお客様のために地元の料理やワインやお土産まで用意してくださると言います。日本からお客様が急にキャンセルになりでもしたら、先方の皆さんの好意が水の泡になってしまいます。

 

すべて上手くいきますようにと祈る気持ちで毎日を過ごしていました。