91年のCapri azzurra カプリ 碧の休息もスポンサーさんのご協力で力の入ったコレクションになりました。

 

以下案内文から

天国に近い島カプリ。

この島は数々の歴史的ドラマを秘め、今、神々に守られて美しく悠久の時を刻んでいる。

1991年に始まった様々な悲しい出来事を悼み、人々の心の安らぎと愛と平和への祈りを込めて、

地上の楽園カプリ島をテーマに作品をせいさくした。

 

*この年の1月17日に湾岸戦争が始まっています。

今回のコレクションはジュエリーショーまで催されました。モデルのオーデイションから始まったのです。

デイスプレイはブルーを基調に天井から一枚板を吊り下げるという斬新な空間デザインが使われました。

 

カプリの1日を表現した作品。

上、スイスタイプのブルートパーズを使用し

梨地のクオーツで表現した朝のカプリ島。

2つ目は透明なクォーツにゴールデンサファイアの昼。3つ目はオレンジの縞瑪瑙を使った夕。

ラピスラズリと半月形のトルマリンを使用した夜のカプリ島。

以下はそのカプリに行った時の紀行文です。いつも何か書いてからでないと、創作できないので、おかしな文章をお許し下さい。

 

 

 

日本とはうって代わって、静なクリスマスと大騒ぎのお正月を迎えたわたしたちはカプリ行きの準備にかかった。カプリに行くのはとても楽しみだが、ナポリを通るのは気が重い。ナポリはお正月には古い年の物を窓から捨てる習慣があり机や椅子まで投げ捨てるので、毎年死者が何人も出るのだ。折りしもテレビで、新年の祝いの爆竹と花火で大怪我をして病院に運ばれる映像がニュースで中継されていた。

2日の朝私たちはナポリに向けて家をでた。だがミラノのリナーテ空港は凄い霧に包まれていて飛行機が着くことができない。結局バスで私たちはベルガモまで運ばれ、そこから出発することになった。ベルガモの高速道踏では、つい先日250台の球付き事故があったばかりだ。250台というのにも驚くが、死者がでなかったというのも驚く。いつものように、イタリアは波乱含みの幕開けである。

 

およそ1時間ほどでナポリの空港についた。タクシーで港まで急ぐ。といってもわたしたちが急ぐのではなくタクシーの運転手が勝手に飛ばすのだ。赤信号で止まる気配すらないし、対向車線でも平気で走る。やたらにクラクションを鳴らして猛スピードで飛ばす。タクシーの中には、女性の水着の写真が張ってあり、ブレーキを踏むと目が赤く光るしゃれこうべが飾ってある。イタリアでも有名なナポリ名物の神風タクシーである。私たちはタクシーの中で懸命に手足を突っ張った。

港に着き、水中翼船で40分。切り立った島が真っ青な海から付きでているカプリ島が見えてきた。断崖になっている岩が波に洗われ、その昔、神が住んだというオリンポスを彷彿とさせる。ギリシャのアウグスタスは、はじめ隣りの大きなイスキァ島を治めていたが、カプリを訪れすっかり気に入り領地をとりかえてしまったという。それほどの価値がこの島にはあると思うと、心が踊った。

船着場に着く。小さなバスでくねくねとチェントロまで登った。まさに絶景――マリナグランンデ湾を下に見て、遠くにベスビオス火山、イスキア島。今までも美しい景色は見てきたが、この景色には神を感じる。切り立った絶壁の高さのせいだろうか。

町にはクリスマスのイルミネーションがまだ飾られて、小さく上品なしつらえで、私は小道を通って頂上に向った。小さなビッラや別荘のマヨルカ焼きの表札を見ながら、くねくねとまがった坂を上ると、あっと驚くような光景に出くわした。100メートルかそれ以上あるような断崖絶壁の上にでたからだ。

そして、その見晴らしの素晴らしさ!

マリナピッコラと呼ばれる海岸線がはるか真下に、そのむこうにはファラニョリという小島が見える。それは、ギリシア神話のシレナが美しい声で人を誘っては、岩の間を通り抜けようとする船を海のもくずにしてしまった話そのものの光景だった。大きなさぼてんの木の後ろに優雅がかもめたちが自由に何百メートルも上下して飛び交っていた。

・・・そして海の碧!紺碧の海が入江の小さな区間だけをまさにアズーロとしか表現できない美しい色に染めて輝いている。わたしはその場で何枚もスケッチをした。

やがてマリナビッコラと反対の海にタ日が沈みはじめた。白い岩肌がカーテンのように夕日を遮って、光の模様を醸し出していた。