みなさん、こんにちは。
菱斐は、おかげさまでなかなか幸せに過ごしております。
今後のアテナ経産の活動等を見据えて、私自身の希望として東京では消耗しすぎない状況を望んでおりましたが、望ましい環境に過ごしています。
朝はお花屋さんが季節の花を生けに来てくださってきれいです。いっぺん丁寧な暮らしとか、してみたかったんだが。
良かったです。
前任者からは、「姫として頑張ってください」とのことでした。「菱斐は粗野で突っ走るタイプなのか」という現実が過去にあったと思いますが、菱斐は実は丁寧な暮らしなどが好きです。
さて、今回は、マタハラ問題で記載します。
このような記事があります。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6496823
こうしたことはしかし、少子化が叫ばれる中で、非常に寒いお話ですね。
個人的にコメントすると、こんな感じになるかと思います。
マタハラの直接の実行犯は国でも会社でも無い場合が多く、現場だと思うのです。特に下の方ですかね。そして、実権を握る実態が下のやつらだと世の中はこうなる、という見本ですかね。
ただ、このマタハラ問題については、記事にあるような現場の言い分に、一理も無いとは思いません。であれば”それで良い”、かというと、それでは馬鹿の論理ですが。
「世の中は退廃的なものが多いので、そんなものである。だから自分も退廃的になる」
と言う、いわば浮遊霊的な立ち位置です。単に教えられたことをする人、みたいなものかもしれませんが。
国はさておき、たとえば会社について見てみます。たとえば社長など、経営者の過半数は、『ひとりでに率先して(いわば生まれながらに)マタハラを計画し実行する』という性質では無いような気がします。恐らく現場や下にかなりの原因があるでしょう。
ただ、オノレ・ド・バルザックの言を借りれば、『指導者は世論の誤りを是正できなくてはならない。たんに世論を代表するだけでは、その責務を果たすことはできない。』というような、正の牽引力が無いのです。それは、依存的指導者である実態と表裏一体なのでもあります。
もちろん、組織においては、構成員の働きによって成果を上げていく、それも当たり前の話。で、ひとくちに依存とは言っても、構成員の働きを無視するというのも変なものでしょう。ところが、その方向にやたらと進むと(下に迎合すると)、次第に組織は鈍化します。なぜなら、社会にとって良い方向ではないから、回りまわって各人にその禍は跳ね返るより他にありません。いつか、自分たちが年を取った時に、次世代の担い手が無くて初めて気付くのでしょうかね。ああ、自分らのせいだったな、と。
でも視界一寸だと、現実問題、記事の様に、そうなってしまう。
一方で経営側はどうでしょう。組織内部の勢力(構成員)の要求に応じようと、特定の誰か(例えば)都合の良い女などを雑巾として犠牲にしてでも、他に迎合していく代表者も居ます。それも説明は難しいことではありません。ただの依存症です。徹頭徹尾、依存太郎なのです。だから、現場が『子持ち様』反対運動をすれば、オウム返しのごとくそれに従います。(オウムのナッツ怒る「パオッ(オウムに失礼な話だな)」)
ですが、改めてこの状況を根本からキチンと考えれば、この問題の根底にあるのは、"現場の側からの会社不信"であるとも言えそうです。経営者は無能で強欲(ケチ)に決まっているのだから、下同志で争うしか答えは無いと。そう断じて言い切っているのに似ています。
そして、下はそれを弱い者にはけて、対応(ハラスメント)して済ませている状況に見えます。”弱きを助け強きを挫く”・・・という行動が一切無いのは、やはり狡いですよね。
また、経営側も無計画な依存垂れ流しの人員計画で、必ず無理が来ても不思議は無い土壌を作っている可能性は、少なくないかと思います。要するに、育児・看護のようなことが生じて来るのがかなり現実的な状況の中で、何も担保していないという話です。こういうのもなんですが、私自身が管理をやっていた頃には、いずれそういう両者の不幸を助長するような動きというのを見付ければ、前もって私から苦言しました。たとえば女性ばかりを束にして採用する等です。
実際に育児・看護の休暇申請が出てくるような状況になった場合には、一部の人にだけツケを回さず、育児・看護休暇で欠いた勤務は減給し、国の補助金等を使って穴埋めのための措置を経営として行うことが必要だと思いますとはっきり上に言いましょう。
実際問題、”育児・介護・看護休暇は無給”という就業規則を敷いている会社は複数あると思いますし、時短であれば当然その分を減額するのが公平・公正だと思います。
少なくとも、そこまで出来ていないと、いざ現場のハラスメントを処罰する時に、「それもどうか」という疑念を残します。
保育園というのは本当に、ある意味無慈悲なほどガンガン電話をかけてきて、「さっさ連れ帰れ」という圧を掛けてきます。
そうして、親は立場を失い、使うべきでない方法・解熱剤を無理やり子に与えて登園させるなどして、子どもの命が失われることさえあります。
そうなった場合、ベビーシッターや病児保育というような、親の力になれる機関が無いと、立ち上がれる人さえも立ち上がれないでしょう。私が子育て期だった頃は、シングルマザーでしたが、1日の病児保育室が区外で15000円くらいだったと思います。2日も使えば、3万円の支出とキツイですが、勤め人としては合格です。あ、病児保育室は各児、弁当持ち、ね。レトルトの豚汁を持たせたら、「あら、うちの先生(医師)と同じメニューだわ」と言われたこともあります。そうして、その日は早朝から、熱のある子どもを抱えて動き、鍛えられました。
一方で、第五変態や男尊女卑族等によって古い観念を強要されている層や、もとより休むことを意に介しない層というのは、過大な穴を開けて憚らないなどするとすれば、論外だと思います。
たとえば、東京都板橋区には、こんなのがあります。
『お迎えサービスとは?』
素晴らしいものなので、ケチをつける気は無いのですが、やたらと公的スキームが有資格者頼りというのは、少々気になります。何がって、人手と金が。
話しは戻りますが。職場の不都合、・・・たとえば非正規のボーナスが低率(である迄は一定程度仕方が無いとしても、それが著しい差でしかもずっと上がらない)というような場合、実は正規の圧力だったりしかねません。
カイシャノ ソンハ オレノ ソン ソレヨリ オレニハラエヨ ←ガラスの天井の真犯人
あるいは正規のボーナスが上がらないのは、いつか下げる日が来て既得権益に対する不利益改定の暴動が起きるのを嫌がる、そういう当事者たちの邪念と構造が渦を巻いたものだと言い切ってしまって良い場合は少なくないと思います。両方の利害が一致したあたりで立往生するわけですね。バレバレです。
もちろん、お金がないと払えないですがね。