すさぶる本性 20240221 | アテナの会代表 菱斐詔子のブログ

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みなさん、こんにちは。

 

もうすぐ3月ですね。

 

春の桜は待ち遠しいものの、今年、スタートだという感じになっている事業その他のことで、少し気ぜわしい感じがしている菱斐です。

 

 

 

マスコミ芸能というのは、中身を度外視して意想外な立ち位置を持ってしまった世界かなと、個人的には思っています。昨今、その様な世界のゲスい話が複数上がって、時事問題化していますが。あれがもう少し徳の高い性質だと、社会がズリ上がるのかもしれないけれど・・・。

 

 

下の様な話しは未熟者に関する問題でもある気がします。

 

 

 

身に付いた社会性には才能・素質によるものがありますが、それ以外にも経歴や環境によるものもあると思います。そのどちらにしても、関係性が拗れるというのは残念ですね。

 

 

ですが、昨今、ビジネスの方面で、この国の本当に確かな寺子屋的育成システムが、大企業や中堅日本企業の苦境に伴って、力を弱めてしまっている傾向もあり、習い性という部分で弱くなっている所が、実際にあるような気もしています。それが若い世代のイケイケなノリを悪い方向に突出させて、芋弦的に随伴グループ全体が、一気に沈没する可能性を高めている風もあります。

 

 

 

>映画「海猿」が消滅すると、批判が来て、「死ね」「売ってもらったクセに思い上がるな!海猿はファンのものであってお前のものじゃない!」などと中傷を受けたという。
 

ファンは泥棒だったのかビックリマークその者に、該当するのは地獄道くらいですよね。そんなファンは、必要ですか?、ということになるのかもしれないけど。どうしてそういうことになったのか、顧みていますかね?

 

ですがねファンさん、あなたがそれほど大した人だったら、必要なものを自分で作れるから、問題無いでしょ?

 

ビジネスにしても何にしても、複数の協力が大事であることも少なくありません。けれど、そこでろくでも無いのが入って来ると、ゆすりたかり的に法外な要求が付いて回る様にもなります。

 

ああ、やっぱり、借りを作るようなことをして(仲間になって)後悔した、という結果になります。まさに、そういう構図が浮かび上がっているのではないかという風に見えます。

 

 

 

さて、続きで、そういった方面で、跳梁跋扈の体を晒すのに一番候補は、マスコミ芸能かという印象です。私は、昔からそうかもと思っていたようなことで、意外性も何もありません。

 

 

 

 

こうした話では、人の本性が、その価値観に裏打ちされながら、はっきり分かります。そういう性質が、仮にあったとしても、恥を晒さないように、かつては教育めいた嗜みを施す社会が、この国にもあったと思います。それを機能不全にしたのは、こうした若者自身の思い上がりでもあり、社会の趨勢でもあったということなのですかね。

 

いくらか知恵や何かがあっても、不徳で帳消しになるべく、画面をクローズして醜態とその匂いを消すより他に無いです。

 

 

 

記事に関するコメントとしては、やはり店がどういう店かというのがあると思います。店には、黒服と呼ばれる男性が配置されているのが普通で、現場はその辺りの店の規律に影響を受けます。

 

黒服が近づき、

「お客様・・・」

ということになると、興ざめです。どういう店か、ということも重要です。それに店にはまともなお客さんも居合わせるわけで、

「バカか?」

と指さされる可能性もあります。こんな気色の悪い店で飲めるか等いう話になれば、営業妨害です。複数テーブルで指名を持っているホステスも居るので、他から独立したり、独占したりはできない状況です。ゲスい道の客側も、少なくとも指名のホステスやまともな関係性の相手に泥を塗るような振る舞いは、し辛いのではないかと思います。

 

ホステス側で、

「あのテーブルのお客さんがゲスい道で困っています」

と、他所でこぼせば、どうなるかは火を見るよりも明らかです。

 

そういう社会の構造も無視できるほどの悪しきセンスが客の側にあれば、犯罪も成立するかも知れないという程度です。

 

ええ、殿様ゲスい道の暴君は”守秘義務の法律”等々を持ち出して、僕ちゃんを守る戦いに忙しくなる様です。ああ、弁護士もね。守秘義務の法は悪を守るために存在するのか、となります。

 

民主主義は、いつも人の目によって守られると言いますが。今さっきまで許されていたはずのことが、急に許されない状況になって弁護士を探す人は、むしろ、それを見る人の目が、特定の悪者仲間の範囲を超えて、多数の人の目に変わったことで当然に発生する様なこと、に対する準備をすべきでした。

 

 

 

そして、彼らが、なるべく言わせるべきで無かったことを、ここで私が言うことになります。

 

こうした男性諸氏について、私が一番卑怯だなと思うのは、それを身辺で晒さず、離れた外でだけ放縦なまま晒すことにあるのではないだろうか、ということです。彼等が持っている本性は変わりません。

 

そう、男の欲望というのは、そうした議論に上がっているようなことにも伺われるように、実際に結構なものです。

 

 

 

私がかつて、ホステスをやっていた当時、あくまでも顧客がただの悪人で無かったことはお断りしておきますが、そんな中でも、特に印象深かったのが、

 

「え?この人が?」

 

というあたりです。もちろん、それ以外ありえねーだろ、というような、”いかにも”な男性は言うに及びません。

 

少し頭のある女性(配偶者など)だと、騙され続けている中で、気が変になってしまうこともあるようです。そうした者は、あたかも自分はそういう者では無いかのように、身辺(釣り堀)では自分を飾っているわけです。

 

 

 

たとえば、深夜、あれこれ足止めされ、タクシー券を渡されて、帰宅することによって、渡した側には下車地が分かるようになっています。それがもし、家の近くだったら、危険ですよね。

 

また、ある時は、見送る風を装って、

「じゃあ」

と、外からタクシーの扉を閉める振りをして、扉と一緒に社内に転がり込んでくる妻帯者などもありました。妻というハードルがあるような人が、土日などに、得体の知れないアルバイトをしているとか(多分そういう目的のため)。

 

 

 

でも、そんな中でも思うのは、

 

「(暮らしの身辺では)まったくそういう男ではありません」

という体でもって、別の女を騙しているヤツが気持ち悪いです。

 

同時に、結婚という盾でもって、自分たちだけは守られて当然ですと抗弁すれば、それも気持ち悪いです。なにか、ありましたよね、女子高校生を夫婦で殺害した事件とか。

 

工場から漏れた汚水の垂れ流しみたいではないですか。やはり、それは、元から絶つのが正しいのではないかと思います。

 

「自分は汚水太郎です」、と初対面から自己紹介すべきです。