戸籍謄本を取りに区役所に行った。
こういうシチュエーションは慣れてる。
謄本でも抄本でも、紙に記入して窓口に提出して順番を待ち、番号を呼ばれたらその隣の窓口に行って確認してお金を払う。
それだけの簡単な作業。
の筈なのに、
確認をしてお金を払って、
空いている席に戻り、
封筒に入れるためにもう一度見てみた。
謄本だから、家族全員の事が記載されてる。
世帯主は旦那さんだから、彼の名前がいちばん上。
その下に父母の名前、出生日、出生地、届出日、届出人、入籍日、婚姻日、配偶者指名、従前戸籍、
その下に私の名前、以下並びは上記と同じ。
そして子供たちの欄になり、そこの父母の欄には私たち夫妻の名前が書かれてある。
ただそれだけの証明なんだけど、
思わず全部食い入るように読んでいた。
事務的に記載されている、一枚の紙。
その紙の中に流れている大きな時間が、
区役所の中の椅子に座っている私に迫ってくる。
彼の両親の名前、
私の両親の名前、
4人とももうこの世に居ない。
居ないのに、
書類に記載されている文字からは
その4人の乗り越えてきた時代があって、
出生を届けた日にちを見て、
彼の両親はどんな思いで
(おそらく喜びに満ちて)
この日に出生届けをしたのだろうな。
私の両親も、
そうやってこの日に出生届けを出してくれたんだろうな。
何よりも両親の名前、それを見ると、今も生きているようで、2人ずつ並んでいる名前を見て、予期してなかった感情と共に、涙がポロポロ溢れてきた。
いろんなことあったけど、みんな一生懸命生きていたんだ。
そこに人生という歴史があるんだ。
この世の「生」というストーリーが、家族の分だけここにはあって、結婚する前の私の旧姓もあって、その時代時代の其々が微笑んでいる。
子供たちも生まれて、その時間が記載されてる。
不思議な気持ちだった。
そして、
いま私は生きていて、
いちまいの紙を見てる。
マスクしていてよかった。
そして、こうやって動く感情がある事に、それでいいんだなあって思いながら外に出た。
うっすら降りそうな空と花壇に咲いている花たち。マスクと帽子と自転車🚲。
いろんな時間がある。

