借金を帳消しにする命令は、歴史の中で意外にも数多く発布されています。
有名なものは1297年(鎌倉時代)
の永仁の徳政令。
元寇ののち、生活に困窮した御家人を救うために出された
法令です。
時代はグッと下がって江戸時代。老中 松平定信の寛政の改革で出てくるのが棄捐令。
ちなみに読み方は 棄捐令(きえんれい)です。
どちらも借金を帳消しにした法令なのですが、違いは?
というと……
【徳政令】
まず第一に、徳政令という言葉のもとになっている「徳政」ということば、これは天皇がお代替わりした時などに行われた貧民救済などの、ありがたい(徳のある)政治のことを言います。
ですから本来は徳政令=借金帳消しではなかったということ。ただ借金の帳消しというインパクトが大きかったので、それのみが注目されてしまったのです。
時代が下がると、農民たちが徳政を求めて一揆をおこすこともあったようです。
【棄捐令】
松平定信の時代の棄捐令も借金を帳消しにするという命令ですが、これは旗本や御家人のみ対象のものでしたので、農民や町人は関係ありませんでした。
徳政令との違いはここですね。
徳政令や棄捐令は借金帳消しなるから嬉しい、そんなイメージかもしれませんがそれは大きな間違い。
金を貸していて踏み倒された人たちは、もう旗本や御家人に金を貸しませんよね。
だっていつまた借金を帳消しに命令が出るか分からないから。
ということは、旗本・御家人は「誰からもお金を借りられない」ということになるのですね。
当然、みんな困ってしまうわけです。
お金を借りられない旗本の中には、無宿人や浪人を雇って金貸しを脅すとか襲わせるなど、今でいう「恐喝」「強盗」をして強引にお金を手にしていたものがいたとか。一方、金貸しも浪人を用心棒として雇って防衛したらしいです。
ちなみに棄捐令の「捐」は「すてる、あたえる」という意味の字です。
つまり「棄捐」とは、二つの字とも「すてる」という意味で、温暖とか学習といった熟語と同じ成り立ちをしています。
ただし「捐」の持っている「すてる」の意味は、いらないものをポイっと捨てるのではなく、本当はすてたくないけれども捨てよう、投げうとう、与えよう、という意味です。
ここから生まれた言葉が「義捐」とか「義捐金」。
ですから、「義援金」という日本語は間違いです。
とはいえ「義捐金」と書くより、「義援金」と書いた方が通じやすいですよね。