絶望からの脱出 その1 

年賀状を投稿して以来、このブログを更新していません。
なんか、もう、当初の趣旨は終わったのでは?と、思って書いていない、いや、書けていないのです。

2017年の3月、絶望のどん底にいた私は、いま現在、絶望から完全に脱出しました。だから、このブログはこれでオシマイ。

発症して、もうすぐ丸5年。
オシマイに当たって、これまでの総まとめをブログの最後に残そうかと思い、今日は、書き始めました。
このブログ、更新をしていなくても結構なアクセス数の日があります。
ギラン・バレーとか、車椅子という検索ワードで辿り着くのでしょう。
これまでにこのブログを通じて私のことを知った同病に倒れたご家族の方と実際に2度お会いしたこともあります。
メールをいただいてアドバイスさせていただいた場面もありました。
このブログがここに残って、この後も突然の不幸に襲われた方のお役に立てればいいと願っています。

さて、絶望から脱出したと書きましたが、最初の投稿に書いた自分の状態と比べて、今の自分は、肉体的には、実は最低限の改善しか出来ていません。変わったのはメンタルが主なのです。

「2年限定で絶対に離脱してみせる!」と宣言していた車椅子は、今や自分の身体の一部と化しています。
もう、歩けるようになろう。なんて考えは頭の中にありません。
そして、それは今となっては悲しいことでもなんでもなく、不思議なほど不自由を感じていない自分がいます。
倒れる前の私は、たぶん、車椅子になるぐらいなら死を選ぶと平気で言う人間でした。
車椅子の世話になるなんて想像も出来ない人間でした。
なんといっても自称一流市民ランナーでしたから(笑)。
なのに、いまは、車椅子を100%受け入れることが出来ています。

手も、箸も持てなきゃ、字も書けないままです。
しかしながら、やはり、それほどの不自由は感じていません。
週に2度、生活支援を受けて掃除、洗濯をしてもらっている人間がこんなことを言っちゃいけませんが、その環境に馴染んでしまって、感覚が麻痺してしまっています。だけど、いまの世の中、スマホがあれば、パソコンで仕事をしていれば、字なんて書く必要もないんです。

そんななかで、左の顔面と舌が麻痺していることによる構音障害が、自分の中では一番気になるところです。
人と話している場面で、馬鹿にされている気になってしまったり、電話なんかだと、一度つまづくと何度言い直しても伝わらないという場面がたまにあります。
ですが、この口の問題は、脚と手に比べると、少しずつですが今でも改善している実感があります。
喋って、食べて、歌って、間断のないリハビリが継続されているお陰だと思います。

以上のように、いまの私は、このブログを書き始めた時が深海10000mにいたとするならば、海面に浮上して海に浮かんで陽光を一身に浴びている状態にあります。
次回は、もう一度、5年間の出来事を年表的に整理します。