今宵は、友達に付き合ってもらって六本木の与太呂で飲みました。

分不相応のこの店に来たのは、Dr.Kとお別れをするためでした。

Dr.Kは35年来の親友。
大学に入って、最初のフランス語の授業だったのだろうか?
 隣の席で、ともかく大学に入って初めて口を聞いた人間、それ以来の仲でした。

私が倒れる3ヶ月前の5月、彼からメールが入りました。
『手塚ちゃん、俺、肺癌になっちまったよ。』
そのあと、手術をしてステージ4、転移していることが判明。

私が倒れる直前に札幌に走りに行ったのは、Dr.Kと飲むことが第一の目的でした。

それから2週間後に、あろうことか、こっちが寝たきりになってしまって、Dr.Kは遥々札幌から2度も見舞いに来てくれました。

Dr.Kは学生時代、明大前にアパートを借りていました。
卒業後、司法浪人を2年間。
私が、新入社員でこきつかわれてヘロヘロだった頃、金曜もしくは土曜の夜に甲州街道沿いに路駐して、毎週のように二人で4つ玉を突いたものです。
本当に長い付き合い。
初任給でも、初ボーナスでも、奢ってあげたのが、後々100倍になって返ってきました(笑) 。

Dr.Kは、司法浪人時代は予備校で『東大コースの物理と数学』を教えて凌いでいました。
彼は、元々が現役で北大の理系に合格し、一旦は通いながら、何を思ったか、文一を目指して、結果二浪して一緒になったという変わり種。
本当に頭の良い男でした。

予備校で教えていて、
『こんなアホが、東大とか医学部に受かるなら、俺も受からんわけないと、思ってさ・・・
手塚ちゃん、俺、医者になることにしたわ・・・』
故郷、札幌に帰って、札幌医大へ。
だから、医者になったのは、30過ぎでした。

何年間かは会わなかった時も有ったと思うのですが、 この10数年間は、彼が東京に来た時、私が北海道マラソンに行った時、年に1・2度は、二人で飲んでいました。
札幌でクリニックを開業してからは、やたらと羽振りが良く、すすきのの店には10万円のボトルがキープされていました。
六本木の与太郎は、たぶん7、8年前に行き当たりばったりで入って、それ以来のお気に入り。
『大丈夫だぁ、手塚ちゃんの3倍は稼いでるから、気にすんなぁ🎵』(たぶん、5倍以上稼いでいた・・・)
私が払うのは、札幌では『だるま』のジンギスカンだけ、六本木では一切払わず遊ばせてもらいました。

私の闘病中、Dr.Kには何度もメッセンジャーを送っていました。
『死にたい・・・』
『どうやったら、死ねるんだぁ~😭』
『先生の仕事なら、俺の体でも出来そうだから、マジ代わってやるよ~😭』
電話で泣き叫んだこともありました。

去年の今頃、私が自分を取り戻し始めたと同時くらいから、Dr.Kが本当に辛く、苦しいのが伝わってきました。
5月になって、クリニックを面倒みてくれる後継者を探して走り回っていました。
7月初旬にギブアップして入院。
ずっとメッセンジャーでやりとりしていたのですが、
7月26日
『ハイパー濃度の麻薬でフォロー中』
というメッセンジャーが来て、途切れました。
8月1日に、
『昨日地獄から生還した』
以来、音信不通。

Dr.Kのクリニックに問い合わせても、
『先生は療養中なんですよ。』
なにも教えてもらえません。
Dr.Kはバツイチで、誰とも連絡をとることが出来ないのです。

今宵、Dr.Kを思って与太呂で飲んで、99.9%の真実を受け入れることにしました。