日本人は障害者になってしまったことを自らが恥じるんだと思います。
本人がまず隠れようとする。
家族も一緒になって、障害を持った人間を隠そうとしてきたのでは、ないでしょうか?
日本人の潜在意識として、
『こんな姿を人前に晒すのは嫌だ!』
『こんな体になった我が子を世の中に晒すのは、本人にとっても可哀想だから・・・』
日本人に根付いた思考回路ではないでしょうか。
世間体を気にする。
臭いものには蓋をする。
他人は、障害者を見て、可哀想と目を背ける。
ただでさえ露出の少ない障害者、目を背ける一般人。
だから、一般人の頭の中には障害者というものが、存在しなくなる。
お店を開く人も誰一人障害者用トイレなんて考えもつかないし、入り口だって、わざわざ一段高くしてバリアを作る。
悪意は無いのだと思います。
彼らの頭の中には障害者がいないというだけのことです。
障害者から目を背けても、そこに『罪の意識』は生まれないのです。
『恥』の文化
『すみません』の文化
障害を負ったことで幸せを自ら捨ててしまう。
『こんなことになってしまって、すみません』
二重の不幸。
家族まで一緒になって、三重の不幸。
俺も、正直1年半は、そんな感じでした。
でも、この2~3ヶ月は、満足に喋れない口で、誰にでも話しかけます。
行きつけの飲み屋の常連さん達とも、もう仲良し🎵
千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵、豪徳寺、喜多見、駅員さんとも仲良し🎶
今回の障害者用トイレについても、駅員さん達とも、いろいろ話しました。
俺は、今は、こうなった自分を、何一つ隠すことなく晒しています。
相変わらず『カ』行の音がだせないけれど、平気で、スナックで歌うようになりました。
WHILLに乗ってどこへでも出かけます。
英語で話す感覚も完全に戻ってきて、昨日はDenisと障害者問題について激論しました。
彼は『朝のラッシュアワー時でも、車椅子で、車椅子スペースに突入して電車に乗る』と言います。
俺は、『それは、やめた方がいい、俺なら1時間早く出て、目的地で時間を潰すよ・・・』
『なぜ、そんなことに気を使う必要がある?』
『他の先進国で、こんなクレージーな電車の乗り方するところないだろ?!
日本人にとっても、ただでさえストレスの塊の状態の場所に車椅子で突っ込むなんてことは、してはいけない。』
『その発想が間違えている。
だから、日本人はダメなんだ❗』
実は俺、これまでの人生で一度として満員電車で通勤したことないのです。
常に職住接近の人生でした。
親が亡くなって、一時的に千歳船橋から、宮原まで通った時期も、ピークの時間を外して、早~く出社したり、大丈夫そうな日は10時過ぎに着くように遅らせて出ていました。
話がいつの間にかすり替わってしまいましたが、
ともかく、
『障害者になってしまって、すみません』
なんてことは、一切思わず。
只管、
『ありがとう』
って言い続けて生きていきますんで、よろしくお願いします。
