今では映像メディアは有り余るほどに溢れていますが
昭和50年代頃はまだまだラジオが幅をきかせていました。
その頃に聞いたラジオドラマで最も衝撃を受けたのは
堀田善衛作の橋上幻像より第二部『それが鳥類だとすれば』
です。
この作品はアンシュビッツを題材にした物語ですが映像で
見るよりも生々しさが伝わってきました。
夏の夜のブレークタイムのひと時に5分で分かるように文字起こし
致しましたのでよかったらご覧ください。
# 堀田善衛 原作『それが鳥類だとすれば』より
① 冒頭解説部分の要約
本作『それが鳥類だとすれば』は、1970年に堀田善衛が執筆した
連作『橋上幻像』の第二部にあたる。第一部は「彼らの間の屍」:
日本人×日本人、第二部は「それが鳥類だとすれば」:日本人×ユダヤ人、第三部は「名を削る青年」:日本人×朝鮮人の関係。
中心テーマは:「橋(ブリッジ)」が描かれています。
人と人の間にある目に見えない隙間やそれを埋めようとするときに阻むものを描く。その障壁の正体は人が背負っている「過去という時間」であり私たちは過去や死者の目に縛られて生きているのではないかという問いを投げかけている。
② 本編
【登場人物】
男(声:鈴木瑞穂)日本人の作家。作品の語り手。
ナオミ(声:松本典子)男の通訳。ロシア在住の女性
(ナオミ・メルニーク)。
【第一章:薄暗い試写室】
**語り手(男):**
舞台は、ある寒い寒い国の首都でのこと——
モスクワにある文学団体のクラブ。ある作家の葬式に出席した後
私はそのクラブの試写室で映画を見ることになった。
試写室にいるのは私と、通訳を務める若い女性、ナオミ・メルニークの二人きりだ。
**ナオミ:**
(静かな声で)映画、もう始まっていますね……。
**語り手(男):**
スクリーンには1941年6月21日、どこかの小学校の校庭が映し出されていた。晴れ渡った空の下で子供たちがフットボールをしている。映像に重なるように、教師の語りが流れる。
**ナオミ(逐次通訳):**
「……私は教師です。小中学校の第1年生Bクラス、35人の子供たちを受け持っていました。しかし翌日、1941年6月22日、ドイツ軍が国境を越えて攻め込んできた。子供たちの姿は校庭から消え、二度と会うことはありませんでした……」
**語り手(男):**
スクリーンの教師は学籍簿を手に取り、生き残った教え子たちを訪ねる旅に出る。しかし、再会した教え子たちは、戦争で死んだ仲間の話を向けられた途端、暗い顔をして口を閉ざしてしまう。
**ナオミ:**
なぜ、教え子たちは急に口をつぐんだのでしょう……お分かりになりますか?
**語り手(男):**
ナオミが物静かな口調で私に問いかけてくる。
**ナオミ:**
彼らはまだ子供だったのに、死ぬような体験をした。そのつらい体験を整理し、語ることなんて……とてもできないのです。
【第二章:惨劇の映像とナオミの激動】
**語り手(男):**
スクリーンには次の場面が映し出される。そこは強制収容所——
いや、屠殺場のような場所だった。貨車から吐き出された無数の
ユダヤ人たちへ、ドイツ兵が一斉射撃を浴びせる。
**(効果音:激しい銃撃音とシェパードの吠え声)**
**ナオミ:**
(声と体を激しく震わせながら)……またやっている。
いつもそうなんです。ドイツ兵は笑いながら引き金を引くんです……
一人も生き残らないように……。
**語り手(男):**
ナオミの手が私の手を強く掴んできた。その手は冷たく、体全体がぐらりと倒れかけてくる。彼女の髪から甘い香料の匂いが漂う。
**語り手(男):**
ナオミ、顔を起こしてごらん。……やはりこの映画を見るのは無理だ。出よう。
**ナオミ:**
(ハンカチで涙を拭い、無理に微笑んで)……ごめんなさい。でも大丈夫です。見なければならないんです……。
【第三章:鉄骨の上の少女】
**語り手(男):**
スクリーンは小さな町の風景に変わる。14歳ほどの痩せこけた少女が、一人で留守番をしているところへ、ドイツ軍が迫ってくる。
**ナオミ:**
……生き残った生徒のうち、4人目の子が出てきます。
4人中の一人は少女です。彼女はユダヤ人でした……
両親の帰りを待つけれど、来たのはドイツ兵でした。
**語り手(男):**
少女はトラックに押し込められ、番号の打たれた倉庫へと連行される。カメラは「ナンバー10」の倉庫の内部を映し出す。ぎゅうぎゅうに詰め込まれた人々の上、天井を支える鉄骨の上に、ぎらぎらとした目だけが映し出されている。それが鳥類だとすれば、フクロウだ。そこにはフクロウのように身を潜める少女がいた。
**(効果音:重苦しい静寂と鐘の音)**
**語り手(男):**
翌朝、ナンバー1の倉庫から順に人々が連れ出され、森の窪地で銃殺されていく。ナンバー10の倉庫にも殺戮の手が迫る。
そのとき、試写室のナオミが突然、マイクに向かって吐き捨てるように叫び出した。
**ナオミ:**
(叫び声)……「悪魔です!悪魔が来ます!!ナンバー9!!!」
**語り手(男):**
恐怖でパニックを起こしたナオミの口に、私は自分自身の口を押し付けた。彼女の唇は硬く乾いていた。私は必死に自分の唾液を送り込み、彼女を落ち着かせようと抱きしめた。
### 【第四章:コニャックとナオミの真実】
**語り手(男):**
映画が終わると、私たちは暗くなったモスクワの街を
黙って歩きレストランに入った。ナオミはコニャックのグラスを
手に取り静かに語り始めた。
**ナオミ:**
あれからのこと……やっぱりお話しした方がいいと思ったんです。……あの映画に出てきた少女は私なんです。
**語り手(男):**
(息を呑む)……君が……?
**ナオミ:**
2年間、私は兵士(パルチザン)でした。あの日、私も崖の下の
砂の階段に並ばされ、自動小銃で撃たれて谷底へ落ちたんです。
夜中に気がつくと、死体と砂の下で私はまだ生きていました。……その日から私は、どんな冗談にもニコリともしない『小さな戦士』になったんです。
**語り手(男):**
ナオミはコニャックを飲み干し、寂しそうに笑った。
**ナオミ:**
人間って、どんなに気高いこともできるけれど、どんなにケダモノみたいなことも平気でできてしまう。……少女だった頃の私と今の私が同じ人間だなんてとても思えないんです。
### 【第五章:橋の上の告別】
**語り手(男):**
私たちはホテルへ向かう道中、川に架かる大きな橋の真ん中でいつも立ち止まった。右へ行けば私のホテル、左へ行けばナオミのアパート。この橋の継ぎ目(ポイント)が、いつもの私たちの待ち合わせ場所のポイントだったのだ。
**ナオミ:**
東京では今、どんなことが流行っていますの? 若い女の子たちの間でよ……。
**語り手(男):**
(心の中で)……私は明日、午前中の飛行機で日本へ帰る。
そのことをまだ言っていないのに彼女は鳥のような嗅覚で
感じ取っているのだ。
**語り手(男):**
川を下る貨物船を見つめながら、私はつぶやいた。
「……君って、まるで鳥みたいな女だな」
**ナオミ:**
私が鳥だとしたら……では、あなたは何かしら?
**語り手(男):**
冷たい川風の中、私たちは橋の真ん中に並んで立っていた。過去の重い記憶を背負ったまま飛び去っていく鳥のような彼女を、私はただ見つめていた。
**(暗転・終幕)**
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