この間の公開講演でゆってました。信仰を保つためには努力がいると。
毎日の聖書朗読、個人研究、集会に欠かさず参加する。とにかく霊的な事を取り入れ続けなくてはならないんですって。
確かに一理あると思う。関わりがなくなったら薄れてゆく気持ちとかもあるし。
でもそれと信仰って一緒なのかな。
そもそも信仰って何だろう。
私なんて奉仕もあまり出れないし、個人研究もしてないし、集会行ってもすぐ帰るし、否定的な考えは消えないし、こうやってブログを書いてるし、神に祈る資格なんてないんだ。と思っていましたが最近いろんな方の意見を聞いていて、何もJWに教えられてる神様に縛られることないんじゃないかな・・と思えてきて。そしてこないだ祈りたい出来事があって何となく祈ってみたらちょっと心が落ち着きました。
JWの教えを守ってなくても神に信仰は持てるんじゃない?なんで信仰を持つためにそんな努力する必要があるの?
あ、そうか。信仰を持つことは自分の為じゃなくて神を喜ばせる為だからか。
自分の弱さや苦しさをさらけ出し、心の平安を得たいと思うのは自分の為。
信仰を持って神に忠誠を尽くすためにはそら努力して培わなければならない特質なんだろうな。
そんなふうに思うとますますしんどくなる。私にはそんな信仰培えないな・・。