こないだ友達と行ったステーキ丼の店。結構有名で、テレビでグルメ番組なんかによく取り上げられてるんだよ、と話していたら数日後またテレビに出ていた。


こないだシャワーで泡を適当に流して湯船に入って湯船の中でちゃんと落とすってゆってた友達に、汚いわーなんてゆってたら、昨日怒り新党で湯船に浸かってシャワーしない彼氏をどう思いますか?みたいなお便りが読まれていた。


あ、こないだ話したとこやん!てゆう有りがちな状況ですよね。別に何の意識もしない。


でも例えば悩んでいた時にパッと開けた聖句が自分の悩みに対するアドバイスだった!とか、JW的に悪い事したかなーと思った週の塔研究がそれを取り扱ったものだとしたら、戒められている。エホバは見ている、って特別な事のように思ってしまう。(前記事にも関連するかも知れませんが...)


だけどよく考えたら、自分が思ってた事や人と話した事が偶然何かの場面で出てくる事なんて普通の事なんですよ。それが、集会、交わり、聖書、出版物からだとエホバが...と思ってしまっていました。良くも悪くも。


こないだお互いがパートで生計を立てているJW夫妻が車を経済的理由で手放した。と言ってました。それによって不便な事もいっぱいあるけど、霊的な時間を削って仕事を増やすよりはいいと。

そしたら兄弟に霊的な仕事(具体的には書けないので)が当たったんだけど車が無いから断わろうとしたら、その仕事が終わるまで車検が残っている車が与えられた。

エホバねー。ってゆうお決まりのエピソードがあったんだけど。私も少し、やはりエホバはいるのでは!?と思ってしまいました。

だけど、その話をアメブロ仲間にメッセージしたら、そんなのはみんなに車を売ったって事が広まってそれを聞いた人がタイミングよくどうぞとゆってくれただけじゃない?急いで集会に行く途中の信号が全部青だったと一緒。という返事が返ってきてなるほどー。と納得しました。


なんでこういう思考回路になってしまうか?それは再三言われてきて染み付いたもの。


他にも必ず、トウチタイの皆さんはエホバの元を離れたら家庭崩壊、ギャンブル、薬漬けになり人生が終わる...みたいな事を必ずゆってくるけど、そんな人が何割いるねん!て話ですよね。

私は皆さんのブログを見て離れても幸せになれるという事を知りました。そして、組織にとどまろうとする故に精神のバランスを崩してしまったひともいる事も。

離れて離婚に至った方もいるかもしれないし、大変な状況になった方もいるかもしれないけど、それは離れたからという一つだけの理由ではなく、色んな要素が相まってそういう結果になったのではないか。と。

それをエホバから離れた結果とひとまとめにしている。何回も何回もそうやって洗脳されてきた。

でもみなさんのおかげでそういった束縛からも少しずつ解放されてきたような気がします。


まだエホバへの恐れを完全に体から無くしたわけではないけれど。こうやって少しずつ無くしていけたらいいなぁ(* ॑꒳ ॑* )⋆*