※無神論者とは神などいない、という事ですよね。私は神はいないとは思っていなくて、それを崇拝する。という形にとらわれる事が自分のなかでしんどくなってしまったので正確には無宗教者になりたい。ですね。題名を改めました(;^ω^)


今日、何人かの方がリブログされていた記事で新興宗教の信者が激減しているという記事がありました。

「1990年代以降にインターネットが普及し、人は何か悩みを抱えても、教会の門を叩くより、まずはネットで検索するようになった」

とリブログされたyahooニュースに書かれていました。

人が宗教にハマる理由は、やはり何か問題が生じた時、悩んでいる時にすがるものが欲しい。何かに依存したい。そういうものがあると思います。
私の場合は子供の頃からJWしか知らなかったし、それが真の宗教だと思っていたので、宗教に入らない人の気持ちがわかりませんでした。


でも人が生きていく上で宗教なんていらない。と今は思います。


例えば日本ならお寺や神社にお参りしたり、合格祈願や安産などのお守りを買ったりして気持ちを落ち着け、後は自分の力でがんばる。

クリスチャンが主な国なら、ふらっと教会に入りミサに参加し聖書を読み、何かを得たなら後は自分の力でがんばる。

それでいいんだと思います。

死後の世界に関しても。天国がある、とか生まれ変わりがあるとか。お墓参りに故人に会いに行くとかお盆には親戚が集まるとか。
別に熱心な仏教徒でなくても、何となくみんなそんな風に思っていて。例えばこないだうちの祖母が亡くなったんですが、職場の人にいっしょに空を見上げながらおばあちゃんはうさぴょんちゃんの事をずっと見てるよー。あの辺かな?なんて言われてほんとにそうだったらいいなぁ、って思いました。


でもそうはいっても人は死ぬと無になる。その考えが私からは消えません。これは復活が無ければ永遠にその人を感じる事はできない。と言う事なのです。


離れていた時社員旅行で伊勢神宮に行く事がありましたが足がすくみます。友達がこないだお守りをくれたんですが、やっぱり身につけたり家の中に置いておくのは抵抗があるけど捨てることもできず車のダッシュボードの中に...(これは見つかったらマズイですね(´ε`;))

でもその人達も自分は無神論者だといいます。母に言わせるとそんなのは都合がいい、と言いますがそれでいいんだと思います。少し迷ったり立ち止まったりした時に何かに背中を押されて後は自分でがんばる。


宗教とは、神もしくは教祖に依存します。神の為なら自己を犠牲にします。殉教の死さえいといません。

最近話題になっている「沈黙」も、見に行った方達の感想を見ても感じますがそうやってどんな結果になろうと神は助けてくれません。

もしエホバにより頼んで助かった人がいるとします。だけど助からない人もいます。全ての人を救う事ができないならこんな不公平な事はありません。もしほんとにエホバがいて、エホバに救われた人がいるならその方がおかしい!じゃあ何で殺される人がいるの?人生を潰された人がいるの?

エホバを知って幸福な生き方ができているならそれはその人自身ががんばっているからです。


私は無神論者(無宗教者)になりたい。何にも支配される事なく、自分の意思で考え、行動し、生きて行きたい。だけど、子供の頃から教えこまれた教えは私をそうはさせてくれない。独立の精神、謙遜ではない、不従順、反逆...そういった言葉が私を苦しめます。


もう宗教は懲り懲りです。何かにすがり、依存するのも。人は、人間はもっと強いものなんだと思います。