JWの中で。私は褒められるのが苦手な人間です。
褒めらると恥ずかしくていたたまれなくなります。
叱られて伸びるタイプ。だから出版物の内容は全て自分への叱責と受け止めます。
私なんて。〇〇のくせに。が口癖。
なんで王国を第一にできないの?戻ってきたくせに。
なんで神により頼めないの?戻ってきたくせに。

キラキラ輝いているJWの人と会うと、必ず落ち込みます。


一方仕事をしている自分は結構好き。
上司に褒められるとうれしい。
周りがどうであろうと自分は自分の仕事をすればいいだけ。
キラキラ輝いている人がいれば私もそうなりたい、と思い目標にできる。
そしてぐうたらな自分を認める事ができる。
自尊心を保つ事ができるのです。

昨日2人の親友に会いました。2人とも腐っていた時期もありましたがそれを乗り越えてキラキラしています。
腐っていた時期があった事をまるで忘れているかのよう。共通点はエホバにより頼んでいるところ。かな。

2人と話していて、自分の弱いところがボロボロ出てきました。


うさぴょんは自己否定をする精神的な疾患があるのではないか?強迫観念というか...。と言われました。


だけどJWを離れると別人のように自分に自信を取り戻せるのです。もし病気ならそこでもそうなりますよね。


小さな頃から、教えられてきた自己犠牲。王国第一。それらを愛のある神は人間を苦しめる為に強いてきたわけではない、と友達は言う。でも私の中ではそれがトラウマになっていて。開拓をしなくてはいけない。肉的な事に喜びを持ってはならない。苦しみの杭、狭い道...。でもそれは正しい見方ができなくなっている、と言う。エホバの見方ではなくサタンの見方だと。だからエホバに祈って、正しい理解ができるように頼ってみたら?と。エホバに頼るのはそういうことだと。

でも私はそうすることが怖い。あの2人のように私もエホバを身近に感じたい。という思いとああなりたくない、という思いとの闘い。何故かJWの仲間と話すと気が滅入る。自分が大嫌いになる。大好きな親友なのに。そしてそんな自分をまた責める。
大好きな親友に、うさぴょんはよくやってるよ、がんばってるよ、と言われても私の固く閉ざした心の門は開かない。

世の中の人は生活する為に一生懸命働いて。一生懸命に行きている。その中にいると心地よく安心する。そして自分の趣味を楽しんだりお金を使うことにいちいち自分を責めなくてすむ。

だけどJWの人達が、特に独身の人は独身の賜物(この言葉大嫌いですが)を活かして海外や必要の大きな所へ行った、なんて話を聞くと、心がザワザワする。自分はなんてちっぽけなんだ。世俗の仕事にかまけて、最低だ。となるのです。
でもそれが、例えば世の中の人がボランティア等で国内外を走り回っていると聞くとすごいなぁ、と素直に尊敬できるし、それと自分を結びつけようとはならないのです。

切り離して考えられないのかな。世の中ではそうできるのに...。


自己分析の記事なのでコメントは閉じておきます。