先週の塔記事。また結局どないやねん!的な事が書かれていました。
肉の思う事、霊の思う事。肉の思いが生活の中心になってはならない。って感じの事が書いてあって、でもすべてが悪い事じゃない、とか、もうそれならいっその事全部禁じろよ!って言いたくなるような内容。
こないだ珍しく母が、あの一文、多分うさぴょんは腹立ってるやろうなと思ったわ。と言ってきました

私「よくわかったな。」
母「私も何か腑に落ちなかった。」
ええー!マジですか?
どさくさに紛れて色んな事を言いました。カレブくんのビデオの事や、こないだの研究記事で人間の事をすごく卑下した表現で書いてた事。ブロキャスの事。どんどんおかしくなっていく賛美の歌。トウチタイの成員のロレックス。しまいにはちょうどニュースでトランプ氏が出ていたので、あのブロキャスに出てくる人はみんなこんな感じにしか見えへん!と言ったら「たしかにー!(笑)」と笑う始末
母も最近の記事や文章は少しおかしいと感じてきてるらしい。だけど私と違うのはトウチタイも人間だから。と思ってること。排斥される事だってあるような不完全な人間。
だけどね、神はそのトウチタイを用いてるんでしょ?私にはそこが理解できない。
結局のところ、お母さんもお父さんも、コミュニティとしてここから離れられへんからそうやって思ってるんじゃないの?ってゆったら、父が「その通りや!」と。
母はエホバが正されると思っているみたい。エホバさえ信じていれば大丈夫。そういう信仰。
私は聖書は神が書いたと思ってるけど、その中のハルマゲドン、楽園の希望や復活という事についてはやっぱりピンとこなくて。自分に従わない者は滅ぼす。という神のイメージが強くて愛は感じられないけど。
イエスが犠牲の死を遂げた事だけは心に迫るものがあって。何の為に人類の為に命を投げ出されたのか。それはJWとしてのアダムとエバの反逆からの人類の救いの為という概念しかない。
でも、それによって得られる永遠の命の希望を信じられないならイエスの犠牲は私にとって何を意味するんだろう。この辺のところを他の教会ではどのように解釈してるのか…知りたいです。
話は逸れましたが、結局宗教ってそのトップがどんな悪い事をしていたとしても信仰心をもった信者は離れる事はないんだろうな、と思いました。
どなたが記事にされていたオウムの話。あれだけ酷い事をした教祖が捕まり、死刑にされるというような状況になっても、名前は変わろうとも残る信者もいるわけで。
でもその人が信じるならその信仰を貫けばいい、と思うんです。人を傷つけさえしなければ。
ただ何か違うと感じた時に、その信仰が無くなってしまった時に自由に離れる事ができるかできないか。そして洗脳された信仰から抜け出す苦悩。
自分の持っている信仰が自分を幸せにできないなら意味がない。
この組織にいながら、自分なりの信仰をもつって私にはかなり難しい。でも母のように突き抜けてエホバと自分。と思えるならそれは幸せな事なんだろうな、と思います。