故人への思い出
こんにちは業務管理課 邵です。
帰国してから日系ドラマは1本も見なかった私は、最近はまるようになりました。例え10年前のものでも、前より知っていた役者が登場されたり、主題歌が流されたりすると、ついに胸の奥から熱々が湧いてきて懐かしく思い出されました。
「夏虹」を見た際、海の叔父さん勇樹が出たとたん、「そっくり!」と呆れた瞬間、ある日本人の顔が浮かび上がってきました。
加賀谷さんに出会ったのは確か18年前、中華レストラン王華でした。彼は23歳の若い主任であり、私は日本にきたばっかりのアルバイトで働かせもらった主婦です。
一見、加賀谷さんは顎が細い顔立ちが珍しいと思ったが、笑う際の笑窪が印象的だったのです。
一緒にホールに接客させ、加賀谷さんが日本語のあまり喋らない私にいつもニコニコで優しくお話をかけてくれたり笑い話を言ってくれたりしました。かえて、日本人の男性後輩に対し、加賀谷さんはしょっちゅう怒ったふりをし暴力を振ったりしました。
「イジメっこだね」とその時私はそう思いました。実は、加賀谷さんが15歳からバイトとし王華に働き始め、社内先輩のお姉さんたちに甘えられることが分かりました。月日が流れると、仕事中の加賀谷さんの格好のよさがよく感じさせました。
いくら忙しくでも、慌てず大きいステップでリズムに歩き冷静にさっさと対応してくれました。休憩時間は、いつもホール裏の部屋に閉じこみビールを飲みながら野球を見ていました。部屋には内田有紀さんのポスターが大きく貼ってあり、「有紀ちゃん、俺のアイドル」「かわいいよね~」と茶目っぽく話しかけてくれました。
加賀谷さんと最後に出くわしたのは、王華をやめた2年後、近くの公園でした。
ちょっとご挨拶しお話をしたら、彼はもう長年同棲した彼女と結婚したことが分かりました。
「ごめんね、しょうさん、俺、トイレーに行くから」と、彼は笑いながら私と逆方向へ疾走しました。
それから3年後、お隣の奥さんから「ね、知っている?加賀谷さんがなくなったよ」と聞いた時、私は息が止まったくらいショックでした。
加賀谷さんは奥さんと別れ、また仕事中手抜かりがあったそうで解雇され、精神的にかなりの不安が出てお酒におぼれるようになりました。結局、自宅でアルコール中毒死に至り、発見されたのは一週間後と言われました…。
もし、今迄生きてくれれば、加賀谷さんはまだ40歳にすぎなく働き盛りであります。
その若さで無くなったこと、今思い出しても悲しくてたまらないです。
生きていることが何よりですが、皆さん命を大切にしてください。
Google body について
ご無沙汰しております。
営業部相川です。
いまさら感は否めませんが、昨年末に発表されたgoogle bodyについて。
日本でもそこそこ話題になったようですが、
現状、Google Labによるベータ版とのことですが
人間の体の3Dモデル「Body Browser」でユーザーは自由に皮膚などのレイヤーを外して中の骨格や臓器、神経系などを観察できるようになっており、ズームなども可能になるという代物です。
多くの方が言うようにGoogle Earthの人体ヴァージョン。という理解で今のところいい感じです。
さて、ここからは個人的な妄想です。
この状態でも学校や医療機関等で使用されることになるでしょうが、私の妄想は今後
Google bodyは
① ユーザーが自分の身長や体重を入力できる形になり
⇒自分の体型に近い画像が表示される
② ユーザーの体脂肪、血圧、カロリー、体温等情報も入力可能になり
③ ユーザー飲酒や喫煙習慣の有無、運動頻度等生活情報も入力可能になり
④ 医療機関と連動し、ユーザー情報から罹りやすい病気が検索可能になり
⑤ 病院での血液検査等検査結果も入力可能にして、Google body内でDBと連動した
診察が可能になる。この時点でGoogle診察の有料化:1回100円等
⇒医者と患者の関係が変わる?
「お言葉ですが先生、先生は盲腸とおっしゃいますが、
Google bodyの診察結果は便秘です!」みたいな、、、。
⑥ 病院と製薬会社がやりあってGoogle body内でのWeb広告単価がうなぎ上り
妄想が過ぎますかね?それとも、さもありなん?
家に帰る
営業部の 胡です。宜しく御願します。
春節が近づいて、私と同様に多くの人は春節がやって来ることを期待しています。
故郷の春節の夜、どこの家でも門の前に灯篭を掲げます。これは獰猛な獣を防ぐ伝説として言い伝えられています。
実は私は春節が好きではありませんでした。
春節は伝統的なおまつりと長い余暇に基づいて家族と団欒します。
私は家に帰りたくない人でした。
子供の時、家に誰もいない 怖い時がありました。
でもようやく家族全員が集合する(めったにない)時も喧嘩が続いて騒がしくてとても嫌になりました。
そういった生活に慣れてしまい、自分のわがままが理由で、母が望んでいた家の近くの大学への進学を放棄して、荷物を背負って家から遠い学校をあえて選びました。
それが結局、誤った結果となり、悔やみの涙を流しました。
時が流れてあっという間に3年が経ち、母親の私を受け入れる眼差しを見ると、
両親の笑顔と幸せを取り逃がしていたことが3年の夏・冬休みにようやく理解をしました。
これを補う資格と能力がないため、将来時間があれば多く家に帰って両親と話していきたい。
日常でのささいな話をする、昔の間違いを正して 自分が思う感動と幸福を捉えて
それが自分から逃げていかないようにしたい。

