新しく「セルフポートレート」というテーマを設けた。

 

60代も半ばを過ぎだんだん記憶が曖昧になってきたので

アメブロに書き残しておこうかと。

終活とも言えるかな?

そんな訳で、自分のためのアーカイブを綴ってみる。

(いつか子供達がルーツを知りたくなった時に役立つといいかな〜)

 

まずは序章からスタート。

 

昭和32年( 1 9 5 7年)に神奈川県藤沢市で生まれた。

今や藤沢といえば湘南ブランドとして名高いが、それは加山雄三やサザンのおかげで、自分はいまだにピンとこないし「湘南生まれ」と思ったこともない。

当時、湘南とは大磯から鎌倉までの相模湾に面し、都心部の官僚や功成り名遂げた方々の別荘地、とうイメージが内陸部の農民には定着していたから。

実家はその藤沢市の内陸部、東海道線の北側台地に広がる畑作地帯の農家で、家業はホルスタインを50頭前後飼育・搾乳する酪農業だった。

父親は牛の世話や搾乳技術ではなかなかの力量だったようで、優良牛の賞状やら記念品がいろいろあった。酪農仲間にも慕われていたのか、家には個性的な人々が入れ替わり立ち替わり訪ねてきていた。

実家の裏には江戸時代からのお墓が多数あり代々普通の農家だったらしい。父が戦争から帰還してから酪農にフォーカスしたようで、先代が畑作の傍ら始めた酪農を、自分が大きくしたという自負があったと思う。威張っていて、短気で、子供の頃はいつも怒っていた印象が強い。あまり好きではなかった。

時代も良かった。

昭和39年(1964年)には東京オリンピックもあったりで近隣の農家も含め、私が小学生の6年間でテレビ(モノクロ→カラー)や洗濯機、自家用車が次々と各家庭に普及していったのを覚えている。

まさにAll Waysの始まりだったような気がする。

<続く>