遼太郎記念館! | Atelier Parkour-アトリエパルクールのブログ

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7月7日。
偶然にも七夕の日にそこを訪ねた。
「司馬遼太郎記念館」である。
会えない人に会える、会う事を願い、祈る日。
私も、故人、司馬遼太郎と言う男と会ってみたかった。。。
そう想える記念館であった。
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司馬遼太郎は、2次大戦時に大陸へ渡り戦車部隊で戦に参加。
敗戦後帰国。そして、自国の歴史に疑問を抱いた。
「なぜ、日本人はこんなにバカになったのか?」だ。
ここから23歳の若者の歴史に対する探究心が始まる。
いつ、どこから日本人は変り出したのか? 
それが原点であり、
生涯、自分を見つめ直したい年齢の始まりでもあった様だ。
京都の新聞社の記者として働き、「金閣寺放火」をスクープ。
その後「梟の城」で直木賞を受賞。
代表作の一つ「竜馬が行く」は日本国民を奮い立たせた。

有名なはなしで、たまたま、記者時代の高知出身の仲間が、
「竜馬を書いて欲しい!」と、言われた事が有った様だ。
当時は、直ぐには飛びつかなかったそうで、戦後間もない頃は、
「小便垂れ竜馬」より、土佐勤王等党首、武市半平太の方が、
人生のお手本のように成るなら、半平太の様に!と、語られていた。
その価値観が大きく変える機会が有ったのも、
司馬遼太郎の存在が大きい。それほど、心を変えるほどの影響力の有る、
物語を書いておられたのだ。
書くにあたっての資料集めも尋常ではない。
幕末の古書を1~2トン分の書籍を集め、神保町から幕末の書籍が消えた
と言わしめたほどだ。

そんな資料や本人の書籍がこの資料館のメインホールの壁一面に並べ展示されている。欧米の図書館をイメージしているかの様だ。
展内撮影禁止のため、ここでは画像をお見せする事は難しい。
(サイトで確認 http://www.shibazaidan.or.jp/ )
この壁の書物以外にもまだまだ、資料が眠ている様だ。

これだけの資料の中から、言葉を生み出して行く。
1個人が書かれている小説だが、その背景には幾千、、、幾万の歴史になの残らない人間から名士まで、、、数多くの人影,人生を感ずる事ができる。
いや、そう、肌で感じれるのが、この施設なのかもしれない。
そもそも、司馬遼太郎本人が亡くなるまで住んでいた住居跡なので、
本人の空気感が残っているからかもしれない。
書斎跡も、庭から覗き見る事が出来る様になっている。
この庭。
庭園も住宅街に森の様な、公園の様な緑に囲まれ、
十分に目を休める事が出来る。
その緑の中に安藤忠雄設計の近代的コンクリート打ちっぱなし建築の資料館が
顔を除かす。資料館入り口はガラス張りのRの効いた回廊を歩くと出てくる。
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入館は大人500円。
周辺地域の雇用を生んでいるのだろう。スタッフはシルバーの方々が
業務にあたっておられた。
地下にメインホールがある。そこの天井に注目。
コンクリ打ちっぱなしの天井に、有る人物のシルエットが。
この施設の完成後、発見され、発見後1年もしない間に口コミで話題になり、
現在では、見せ場の一つとして紹介されている「人影」がある。
是非、ご自身の目で確認して来てください!

メインホール。
壁中に書籍が並べられており、司馬遼太郎の言葉が展示されている。
そして、企画展の品が陳列。
このメインホールの一間のみでの展示なので、あっけなく観る物は終わる。
少し、物足りない気持ちになるが、その分、端から端まで、文字や説明を
読みまくると、1時間以上は楽しめる。
そして、すぐ隣にはシアタールームのホールが在る。ここでは、司馬遼太郎のインタビューが観れる様になっていた。セミナーやコンサート等もここで行われている様だ。

この施設。
企画展の展示品。
はっきり言うと、少ない。
しかし、建物や庭、思いにふけるのには良い環境である。
比較的、変わりダネの資料館の一つにはなるだろうが、
一見の価値ありである。
散歩がてらにどうぞ!
あの、歴史の人物に出会えるかもしれないぞ!!

所在:〒577-0803 大阪府東大阪市下小阪3丁目11番18号
開館時間:午前10時~午後5時(入館受付は午後4時30分まで)
入館料:大人・大学生 500円、高・中学生 300円、小学生 200円

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