今年4月の初参加以来、すっかり{國語}に目覚めてしまった私
4月 6月 8月 そして今回10月の4回目はO様の助手として
まず始めに全員起立して国歌斉唱君が代から始まります
今回はお二人の先生による二部構成でした
前半は荒岩宏奨氏(展転社社長)
演題 日本語における主語
英語は主語がないと文法が成立しませんが
後半は前川孝志先生(高校国語教師 荒魂之會會員)
演題 高校生の爲の五十音圖といろはうた
~併せて國號と國歌の假名遣に就いて~
◆本日は二部構成◆
第一部『日本語における主語』というテーマで展転社の荒岩宏奨社長が講師。
思考と言語には相関関係があることを示すスライド2枚紹介された。
①どっちを優先?
⇒形なのか?素材感?
西洋人は形を重視
東洋人は素材感を重視
②進行方向は前?手前?
西洋人は前だとみなし、東洋人は手前だとみなす傾向
自分中心の西洋人
vs相手中心の東洋人
対象に対する見方がまったく逆なのだ!
『英語は主語がないと成立しない言語である』ことを川端康成の雪国の冒頭部を比較で証明された。
原文にまったく出てこない
The trainが出現するのだ。
『日本語には主語がない』と提唱した三上章。
英語の文型は①SV②SVC
③SVO④SVOO ⑤SVOCの5つのタイプがあるが、
日本語には3種類しかないというのだ。
①名詞文〜好きだ、赤ん坊だ ②形容詞文〜楽しい
③動詞文〜笑った、泣いた
三上章の主張
英語は主語と述語の二本立てだが、三上章は日本語には主語は省略されたのではなく、そもそもないのだ!と主張している。
更にセンテンスの要件は、有題無題に関わらず共通する述語なのだと主張。
絵本『象は鼻が長い』の解釈のちがいが三人三様で実に面白い(写真参照)
①大槻文法
②橋本文法
③三上文法
竹内好(ヨシム)の『日本とアジア』の紹介あり。
我々は何故古典が読めなくなってしまったのか?
それは主語がないからだ。
現代人が古典を読む際に主語がないことを意識して読めば、理解しやすくなる。
というアドバイスをいただいた。
広島の原爆記念碑の主語論争について、昭和30年代から撤去運動までを紹介された。そもそも内容が間違っているのだ。
最後にby トルーマンと書き足してもダメ!いっそのことレフティが爆破してくれればラッキーなのに…
チェ・ゲバラが来日した際に広島まで足を伸ばして、この碑文を見て、なんだこれは?と驚愕したのは有名な話だ。原爆を落とした人物も命令した人物も特定できるのに、何故そちらに向かわないのか?日本人は世界の人々の常識を遥かに超えている。⇒ある意味不気味な民族と見られているのだ。
佐藤和夫さんが中東勤務した際も、日本人はいつ仕返しをするのか?と尋ねられ唖然とされたそうだ。
第二部は『高校生の為の五十音図といろは歌』について、高校の國語教師、前川孝志氏による講演。
五十音図は『仮名の成立』と深い関係あり。
もともと日本語には『ん』はなかったから、ワ行にワヲンと記入するのは間違いなのだ。
五十音図の50文字から撥音が重なっている三文字を差し引いた47文字がイロハなのだ。
日本は①『にっぽん』なのか?②『にほん』なのか?
②と読むのはかつて日本書紀と日本橋だけだと言われていた。
『日』を『にち』ニッポン
『ジツ』ジャパンの語源に分かれたという説の紹介。
国歌『君が代』の問題
国会において、西村眞悟議員はじめいろんな議員が代表質問していたことと政府のそれに対する回答を丁寧に解説され、殆どの日本国民はその実態知らないことに唖然とする。
国歌君が代は古文の和歌なのだから、そもそも現代仮名遣いで表記してはいけないだろう。
やはり役人の答弁は木で鼻を括って釣れないものだ。
無関心、仕方ないでは済まされない。
それにしてもこの勉強會は普段意識しない部分の頭をフル回転させられるので、疲れてしまう。
クーリングタイムとしてタリーズにて、関係者の方々と約60分歓談して帰宅の途につきました。
あぁ本当に
主宰者様、先生方々、
『 我が國語を愛し學ぶ國民の會 』
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最後までお付き合い下さいましてありがとうございました
次回の『 我が國語を愛し學ぶ國民の會 』は 12月5日