Atelier la Primavera創造の扉 河合りえ子のブログ

Atelier la Primavera創造の扉 河合りえ子のブログ

Porcelain Art
Shabby Chic Collage
Resin Flower & Art
Fake Sweets Fantasy
美しいものに出会っている時、そこには音楽が流れている
流れる調べの中に織りなす、光・影・風・香り、気配
今此処にある確かな感覚を、描いてみたり、形にしたり
夢中説夢の旅は続く・・・

陶板画 夢の旅シリーズ 作品1 { 夢 }


主役は眠っている少女ではありません

少女が見ている夢です。
これから体験するたくさんの喜びや悲しみを知らず
暖炉のそばで寝息をたてています。 
誰もが夢見る希望や憧れ・・

もし心の中に眠っている夢があるのなら
そっとその夢に灯りを灯してみてください。
叶った夢、叶わぬ夢 夢を抱くきらきらした気持ち・・・
夢の中に大切にしていたものはなんでしょう。
そう、本当に大切なものは目には見えないところにあるようです。
ひとりひとりの心の中に眠っている夢
そんな 夢の旅 へ出かけましょう!


     

Porcelain Art (陶磁器上絵付け)

メディウムで溶いた専用の絵の具で、白磁器や陶板に絵を描き、800度前後で焼成し色を焼き付け作品に仕上げてゆきます。 薄く色を重ねては焼成するという作業を繰り返す事で、色彩に深みや奥行きを表現してゆきます。

この陶板画二枚組作品{ 夢 }は、10回ほどの焼成を繰り返し、仕上げています。


夢の旅シリーズ作品続編は、Atelier la Primaveraのホームページ

http://www.atelier-la-primavera.com  マイ・ギャラリーをどうぞご覧下さい。

 

 
巨匠ハインツ・ヴェルナーの描いた物語

≪現代マイセンの磁器芸術≫展

 

 

開催前の内覧会に出席する機会をいただき、一足先に観て参りましたピンクハート

 

 

「磁器」の発祥地は中国景徳鎮ですが、日本では佐賀県有田、江戸時代初期(1616年)に誕生。

17世紀前半の大航海時代に中国、そして日本の伊万里港から西欧にもたらされました。

その頃の西欧では「磁器」を作る技術がまだなく、黄金にも優るWhite Goldとして王侯貴族の人々の心を魅了し、

その美しさは単なる白ではなく「にごし手」に例えられ、米のとぎ汁のような乳白色 Milky Bodyと呼ばれたそうです。

 

そして約百年後の18世紀に西欧でも初めて磁器製法が完成、「マイセン窯」の誕生です。

熱心な東洋磁器の蒐集家であったアウグスト強王が王立磁器製作所を設立したのでした(1720年)。

美しい磁器に朱 (柿色) が映える「柿右衛門様式」の色絵は強王にたいへん愛されたそうです。

 

歴史を遡れば東洋の磁器に憧れその意匠の模倣からスタートされましたが、見事に東洋と西洋を融合、華やかな「マイセン窯」独自の世界に展開されたのです✨そうして「マイセン窯」は世界の憧れの磁器となったのですね。

 

本展では、創立250周年を迎え5人のアーティストによって新たな時代を迎えた1960年以降の、戦後「現代マイセン」の名品の数々がキラキラ

 

クローバー内覧会では特別に写真撮影とSNS等の掲載が

文言を付す事で許可されていましたのでシェアさせていただきます。

以下「主催者の許可を得ています」

 

 

物語性のあるシリーズは

年齢を問わず鑑賞する楽しさがあるなぁと感じました飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的には

「光と色彩の時代」と称された作品群に新鮮な刺激をいただきました飛び出すハート

 

 

 

実は私のアトリエの本棚にはマイセンの本がいっぱい

まだまだ奧から出てきそうで怖い私・・・チュー💦

 

 

 

私が絵付けを学び始めた頃

(遠くを見つめる目になる私 照れ )

やはり華やかな「マイセン窯」は憧れでした✨

あの頃のときめきを懐かしく思い出しながら

この日は久しぶりに ハート心はマイセン花スター

内覧会を堪能させていただきました。

 

 

講堂では、

館長様のご挨拶と主任学芸員の森下愛子氏のご解説、監修された学習院大学教授の荒川正明氏、

ヴェルナー氏ともご交流を持たれ多くの作品をご提供下さったアンティーク アーカイブの勝川達哉氏のご挨拶がありました。

 

 

 


内覧会のお土産は図録プレゼント✨ ありがたや~ チュー

 

 

 

 

 

 

実はこの貴重な内覧会のご招待✨

私如きに下さいました私が大尊敬申し上げている明治伊万里の重鎮であり

有田の「東西古今」及び「ギャラリー花伝」の代表取締役社長であられます

蒲地孝典様に心から感謝申し上げたいと思います。

ありがとうございました♡🙇

 

絶賛発売中グッイエローハーツ

 

 

 

 

 

感謝彌榮

 
 
 

 
 
 
⛩靖國神社 第七十八會「みたままつり」
令和七年七月十三(日)~一六日(水)

もう一つの【英霊の聲】の巻
参道から内苑まで大小三万余の献灯と三百余もの揮毫雪洞が灯る「みたままつり」✨
その灯りの1つに私の揮毫雪洞を交えていただける事ほど有り難い事はありません。
大勢のご参拝の方々と心同じく、ただただその幻想的な光景の中に身を置き
ご英霊への感謝と祈り✨がなお一層私の心に溢れて来るのでした。

実はこの揮毫雪洞の主題とした「英霊の聲」に
私が描き込めたもう一つの「英霊の聲」があります。

余計な先入観なくご覧戴きたかったので
後付けになりましたが「みたままつり」が終了しました今
私が込めたもう一つの「英霊の聲」を備忘録としてここに記しておきたいと思います。
よろしかったらお付き合い下さい。
 
 
 
今や世界の力学が乱れ、2025年も厳しい節目の年でしょうか。
大きなグローバリズム化のうねりの中に、どの国も舵取りが困難な中
東アジアの一角に佇む世界一長い歴史を刻む
小さいけれど美しい稀有な島✨そんな日本も
人口が減り移民が増え、政界や司法に限らず
土地、インフラまでも外国資本に侵蝕され、疑いなく國體が危ぶまれている。
そんな危機感を私のような市井の者でも目にも耳にも感じるようになりました。

そして今年令和七年は、三島由紀夫生誕百年という節目
年頭の1月14日(三島由起夫の誕生日)の催しに始まり
様々な企画展に足を運ぶ機会に恵まれております。 
         
そう・・・今年の揮毫雪洞の主題は三島由起夫にしよう!

私がそう思ったのはとても自然な感覚でした。
 


ところが💦
雪洞の白い和紙を広げたものの・・・何を描こうかしら
小説家「文」として、武人の「武」として
どちらも欠くことはできない「文武両道」の三島由起夫
よくよく考えてみたら
私如きの浅はかな者が表現出来る世界ではないのです。
形にできない幻影が浮かんでは消えるばかり・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
スター ここからは、私の感じたままの呟きです  スター

時間ばかりが過ぎてしまったある日、ポストに2つのお届けものがありました。
1つは封書でもう一つは小包・・・、それはポストの中にピタッと重なっていました。

・・・何かしら?
 
 
封書のほうは靖國神社からのもので
前年の揮毫雪洞に描いた私の作品が「揮毫雪洞選輯」の十選に選ばれましたという
夢のような有りがたいお知らせ✨
絵葉書にして頒布する際の承諾書が同封されていました。

最初は信じられなくて何度も読み返し・・・
高名な書家や画家が並ぶ中でなぜ私の拙作が?
何かの間違いではないかしら・・・
でも宛名も同封の写真も確かに私の・・・
 
そしてジワジワと驚きと喜びで感極まるまで
暫く時間が掛かったように思いますスター
 
 
 
 
小包のほうは、以前に古書店に頼んでおいた本で「三島由紀夫著 英霊の聲」
そう、その靖國神社からのお知らせと申し合わせたように重なって届いた「英霊の聲」・・・

その時でした流れ星
私はそれがまさに
三島由紀夫の本の中の英霊から届いた
「英霊の聲」だと錯覚してしまったのです。

「昨年、内苑を飾る300もの揮毫雪洞を楽しませて貰いました。
貴女が描いてくれた揮毫雪洞も拝見しました。ありがとう。
私たち(英霊)は貴女の雪洞が十選に選ばれるように采配を振るったので喜んで下さい。
その代わり、私たちの聲を届けてほしい。
私たちは後に続く人々に祖国日本を託し、親、兄弟、愛する人々を守る為に戦い往きました。
再び靖國で会おう、そう約束して命を捧げました。
でも今の我が國日本は・・・
私たちが託した國になっているだろうか。
私たちの想いは届いているだろうか、忘れられていないだろうか・・・」



そんな英霊の聲が・・・聞こえてきたのです。
 
一気に「英霊の聲」を通読しました。
 
そして
 
ぼんやり煮え切らなかった頭にスイッチが入ったように✨
 
 
・・・そう
 
その「英霊の聲」を
 
揮毫雪洞を通して伝えなければ・・・
 

 
 
 
それまで何を描こうか
アトリエの机の上にあれこれ引っ張り出して
眺めているばかりだった本や資料の断片が
まるで操られるかのようにサラサラと繋がり出して
そうして「英霊の聲」の構想が
ようやく出来上がったのです✨

 

などてすめろぎはひと(人間)となりたまいし。
 などてすめろぎはひと(人間)となりたまいし。
  などてすめろぎはひと(人間)となりたまいし。



そのリフレーンに重く響いてくる寂寥感
その深い意味の全ては計り知れないけれど
どうして「英霊の聲」に耳を奪われないでいられよう
 
先人がずっと護り尊んできた天皇という根源的國體
ゾルレン(当為)としての現人神(あらひとかみ)が天皇であり
ザイン(実在)としての天皇ではない
 
二・二六事件の青年将校も特攻隊勇士も純粋で崇高な憂国士でした。
死をもって護国の英霊となった瞬間に神となられたのですから
そのいと高いところに神である天皇が輝いておられる
そこに不滅の根源、死の栄光の根源があり、歴史を繋ぐ唯一条の糸があった・・・
 
國體とは、
日本の歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性のかけがえのない唯一の象徴
日本人ひとりひとりである 一にして多 多にして一の✨
 
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[観世宗家 幽玄の華] 表紙の小面を参考にした。
 
全体の意図:
三島由起夫は古典文学や日本の伝統文化をとても愛し尊重した方だった事は言うまでもない。代表的な戯曲集「近代能楽集」がある。遺作となった「豊穣の海」四部作は古典文学の「浜松中納言物語」の典拠であると述べ輪廻転生を描いている。(ここでは三島由起夫の著作「英霊の聲」の内容と、自衛隊に決起を呼びかけ自決した詳細については割愛させていただく。)

 
戦後八十年が経っても英霊は國を憂い続け、後の世の私たちを眺めているだろう。すでに英霊は輪廻転生している者もあるかもしれない。能面は、霊界からの使者である。そこで「英霊の聲」は小面(十代の若い娘の能面の総称)に見立て、如何様にも表情を醸し出し、その「聲」を天高く舞う山桜の花びらに重ね描いた。昨年の作品にも描き入れたのと同様、右上の窓に描いた桜紋は靖國神社内の遊就館の一室の壁紙紋様を参考にさせていただいた。
 

 
「英霊の聲」の一つ一つの文字は、永遠や繁栄の吉祥紋様である唐草(丁子立涌唐草文 男子の公家装束に用いられる古典紋様の1つで轡唐草とも言われる)で囲み、英霊の想いが永遠であり、今を生かされる私たちと共に繁栄する事を願って装飾した。

 
 
 
 
丁子唐草の窓の1つに、三島由起夫のモノグラムMYを入れた。
それは著作の中で三島由起夫が代弁した「英霊の聲」に心が震え
三島由起夫を何処かに描き加えたかった私の想いである。
 
 
 
 
 
 
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三島由起夫は、日本の優雅さと美という伝統の究極の継承者だと自認されていたそうです。
「文武両道」の「文」は不朽の花を育てること
「武」は花と散ること  (「太陽と鉄」より)
その中には三島由紀夫が憧憬する一双の秘密があるのかもしれません。
 
相反するようであるけれど
どちらにおいても根底には究極の「優雅」があるのではないか
そんな事を感じました。

どこまでその尊い「英霊の聲」を伝えるツールとして表現出来たでしょうか
最後はなかなか筆を置くことができませんでしたが
ある朝、意識の遠くから頭の中に繰り返し繰り返し響く旋律が聞こえ・・・
そのリフレーンはだんだん大きく響き促されるように目が覚めました。 
 
・・・どうして? 
 
なぜならそれは
三島由起夫の世界を慕い陶酔するように
生誕100周年(令和7年)
三島由紀夫に寄せて~永遠の回想~と題して収録編集した
私自らが弾いている旋律♪のリフレーンだったのです・・・
(🎼ヘンデルのパッサカリア)
 
今年2025年1月14日は三島由紀夫氏の生誕百年
生きていらっしゃれば百歳の節目
私は様々な小説や評論を読み進めながら
精一杯の感謝の想いを込めて纏めた拙作動画でした。
 
 

暫く横になったまま、私は天井を見つめていました。

「もういいよ、筆を置いて下さい。ありがとう 」

ついに三島由起夫からのメッセージが降りてきた雷
・・・そう直感したのでした。
(独りよがりとは・・・こういうコトなのでしょう)おねがい
 
 
 
銘を入れ円筒に収め
そうしてその翌日
靖國神社へ持参し無事にご奉納に至りました。
そして拝殿で手を合わせ英霊に・・・ご報告したのでした・・・スター
昨年の私の揮毫雪洞の拙作が三百余の中から十撰の一つに選ばれるよう
采配を振るって下さった(?)お礼と共に。おねがい
 
 
 
 
本の中の「英霊の聲」も「三島由起夫のメッセージ」も
私の思い悩んだ脳が作り出した
「聲」であり「メッセージ」だったのかもしれません。
 
例えそうであったとしても
霊性の中に私に託して下さったと感じ取れた感覚は
尊いものであり温かさを覚えるのです。
そんな神秘性や不思議を感じ
迷いながらも筆を運んだ時間キラキラ
霊性が身近にある事が有難く心地よいと思える年齢に
私も達したのかもしれません。
 
 
あなたの人生の主役はあなた
あなたの人生にある目に見えるものも見えないものも
「生きるとは、自分の物語を作ること」
(いつか何処かで読んだ本を思い出しました)
 
 
 
ご英霊への感謝と哀悼の誠を捧げます。
そして三島由起夫の
これほど純粋な憂国の魂を私は他に知りません。
その永遠の魂と共にありたい✨
そう祈りました。
 
 
 
 
 
~ 追記 ~~~~~~~~~~
最後に迷いましたが・・・やはり追記しておこうと思います。
 
「みたままつり」の期間中、多くの方々が
私の揮毫雪洞にも足を留めてご覧下さいました。
最終日の夜のことでした。
 
「あっ・・・三島由紀夫の「英霊の聲」だ・・・」
そう言いながら真っ直ぐに近づいて来られた2人の青年がいらっしゃいました。
ちょうど居合わせていた私は、その声に驚くと同時に嬉しくて
横から声を掛けてしまいました。
 
「お若い方なのに、三島由起夫の「英霊の聲」をご存知なのですか?」
 
私が描いた揮毫雪洞である事を伝え、驚かせてしまったようでしたが
写真を撮ってもよいですかと、写真を撮って下さいました。
 
実は、本の中の「英霊の聲」を描き込めたんですよ。
この丁子唐草の光の窓からのたくさんの「英霊の聲」を
聞くことができるようにと思って・・・そう永遠に・・・
 
私の拙い説明を興味深げに頷きじっと聞いて下さり
しばし会話をしたのでした。
 
 
後日、写真を整理していて
二人の青年を改めてよく見ると・・・?
なぜか笑っていません
口を結んでいます。
思い詰めたような眼差しでこちらを見ています。
 
・・・あぁ
 
そうかもしれない
 
先の大戦では多くの二十歳前後の若い青年が散華された・・・
 
そう思った瞬間 重なってしまったのです・・・
 
涙が溢れてきました。
 
英霊の生まれ変わり・・・✨
 
ご本人お二人も勿論 知るよしもない前世
 
私の勝手な妄想・・・
 
 
 
この期間、友人や知人、初めてご縁をいただいた方も
ご一緒に撮った写真はどれも笑顔で映っているのに
このお二人だけは・・・どこか寂しげに遠くを見据えて・・・
 
友人同士のようでしたが、周りは若いカップルが多い中
こんな青年が二人だけで夜の御霊祭りに遊びに来るのかしら
 
たまたま通りかかったのか、ご先祖様が祀られているのか
ここに来る前に何か悲しい事があったとか
この後何処に向かうとか
そんな事は私のあずかり知らないことですね。
 
どんな会話をしたか思い出そうとしました💦
ところがなぜかどうしても思い出せない💦
会話の内容が不思議な事に思い出せないのです💦
そして別れ際の記憶もないのです
 
何を話したかはどうでもよくて
英霊が・・・私の側に来て下さった
 
これも私の妄想かも知れません
例え妄想でも
今でもこの写真を見る都度、私は涙が溢れてきます
 
 
 
 
若い英霊は結婚をされてないので、妻も子供もいません。
戦後80年も経つと、自分を知っている身内の多くはすでに旅立たれているでしょう
子孫を残されてないので、いつしか自分の存在は忘れ去られてしまう
そんな若い御霊はここ靖國で同じ若い御霊と再会しているのかもしれません。
 
来年もきっとまた靖國でお逢いしましょう!
あなた方の事は決して忘れません。
感謝と共に・・・
そう語りかけずにはいられないのです流れ星




戦争を好む人など世界中どこを探してもいません。
先の大東亞戰爭は自尊自衞の為に戦って下さいましたが、計り知れない痛みと悲しみが刻まれました。
この戦争から学ばなければならない事は、日本が二度と戦争をしなければならない状況に陥らない為、巻き込まれない為、どうあるべきかをお一人お一人が意識し、政治に常に意識を向ける事ではと思います。
戦後、戦勝国GHQのWGIPで埋め込まれた誤った自虐史観から脱し、日本は日本の歴史認識を持つ事だと改めて思います。
そして、英霊への感謝を忘れない事ではないでしょうか✨



スター 長文になってしまいました。
最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。スター
 
 
感謝彌榮
 
 
 
 
 
~併せてご報告~
ダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジ
私の昨年の揮毫雪洞の作品が絵葉書になりました。感謝
 

終戦後、間もない昭和二十二年に始まった靖國神社の「みたままつり」毎年ご奉納される名士の方々の揮毫雪洞は、ついに二万点を超える事となったそうです。毎年、三百余りのご奉納作品から十点が選ばれ、みたままつり「ぼんぼり揮毫選集」(絵葉書10枚セット)となって頒布されるそうですが、第六十輯 (令和七年)に私の作品が選ばれました。

折しも七夕の日に、靖國神社からお礼状とたくさんの絵葉書が届きました。

私の描いたものが絵葉書になっている😲

内苑の三百余りの揮毫雪洞に交えて頂くだけでとても有り難い事なのに

更にこんな光栄を賜るなんて恐悦至極・・・心が震えて震えて😭

 

どんなコンクールで受賞するよりも、言葉が見つからないのですが全く異なる喜びです。

しかも昨年ご縁をいただきました日本画の大久保信子先生の「宮古島の空へ」

そしてたまたま我家のご近所さん日本画の河嶋淳司画伯の「雲龍図」も選出されていて

喜び倍増!素晴らしい記念になりました✨✨✨

私にとっておそらく一生に一度きりの采配をいただいた思いです。

ずっと自分が活動して励んできた事、

貫いてきた信念に答えをいただいた気がして (ちょっと大袈裟かも😆

日頃私を見守って下さる全ての方々に

感謝を申し上げたい気持ちでいっぱいになっております。

そして、英霊に深く深く感謝の誠を捧げたいと思います。

感謝彌榮

 

 

ダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジ

 

 
 

⛩靖國神社 第七十八會「みたままつり」

令和七年七月十三(日)~十六日(水)

 

 

 

 

 

【揮毫雪洞 「英霊の聲」✨】の巻 

昨年に引き続き、揮毫雪洞のご依頼を賜り

ご奉納させていただきました。

 

 

 

 

 

「みたままつり」の期間中

⛩内苑に三百余りの揮毫雪洞に灯が灯ります。

その灯火のひとつに交えていただき、私にとってこんなに光栄で幸せな事はありません。

ご推薦下さいました日本画家の佐藤宏三先生、

靖國神社及びご準備下さる関係者全ての方々に、

今年も改めて心から感謝申し上げたいと思います。

 

さて、今年の私の揮毫雪洞の主題は

「英霊の聲」と致しました。

 

先の大戦(大東亜戦争)で、あの時もし英霊が戦って下さらなかったら日本はどうなっていたかしら、私は想像してみました。他のアジア(タイ以外)の国々のように日本も某国の植民地になり、主権も國體も失われ今日の日本はなかった事でしょう。私も生まれて来れなかったかもしれません。とてもとても恐ろしい事です。

戦争をしたい人などはいないけれど、自尊自衛の為に戦わなければならない時がある。それは愛する家族と祖國を護り抜く、英霊はただその尊い誇りと気概で突き進んで下さったと想像します。

 

靖國神社の拝殿の左手前の社頭掲示板には、毎月「英霊の言乃葉」(遺書や書簡)が掲示されています。どの言乃葉も大切なご両親やご家族に宛てた清らかで潔い文面で、私は涙無くしては読み終える事ができません。

 

でもその文面の蔭に、もっと届けたかった「聲」が心に溢れていたのではと想像します。

 

本当はとてもお母さんに会いたい、お父さんと話したい、兄弟姉妹、恋人に伝えたかった、もう一度妻を抱きしめたかった、子供と遊びたかった・・・伝えたかったたくさんの「聲」がきっとあったのではないでしょうか。

 

一方、遺書を残す事もご遺骨がまだ遠方にあられる英霊もたくさんいらっしゃっいます。

実際、南方の島々では補給船が絶たれる事により、戦闘による死より餓死した英霊のほうが圧倒的に上回っていたと聞きます。また亜熱帯性気候特有の感染症により、日本人には免疫が無かった為に多くが感染症で亡くなられたそうです。

 

私は、いつ何処で耳にしたのか覚えていないのですが、ずっと胸に突き刺さっている英霊の遺言があります。それは、戦地で自分が感染症に感染してしまい死を悟った時、側にいる戦友に託した遺言でした。

 

「どうか故郷の両親には僕は立派な戦死だったと、立派に征ったと伝えてほしい。

絶対に感染症で戦わずに死んだとだけは言わないで・・・」

 

その死の苦しみの中、最後の望みはご両親や故郷に対する精一杯の愛だった・・・。

その死は戦って下さり力尽き立派に散華された死には、違いないのですが💧

私はそんな英霊の心の底の「聲」があったという事も、

今もう一度耳を澄まし、

そして深く、深く感謝を捧げたいと思いました。

 

そのような戦争をしなければならない状況に二度と日本が陥らない為には・・・

 

二四六万六千余柱の英霊の「聲」を、

現代を生きるひとりひとりがしっかり受け止めれば、

そこに答えがあるように感じます。

 

そんな事を祈りながら筆を運びました。

英霊に感謝の誠を捧げます✨
 

 

 

 

感謝彌榮
 
 
【 この春おかげさまで二年生になりました。 】の巻グリーンハーツ
 
私が初めて{我が國語を愛し學ぶ國民の會}に参加してから丸一年が経ちました。
以来、すっかり我が國語愛に目覚めてしまった私 恋の矢
2ヶ月に一度の勉強会は、一度だけ体調不良で欠席してしまい皆勤賞は叶いませんでしたが、
毎回ワクワク♪ 學べば學ぶほど私は我が國語が好きになりました。
 
私にとってこの4月は新学期✨
二年生に進級させていただいた気分です♡😆♡
 
 
2025年4月
{我が國語を愛し學ぶ國民の會}第五十二回勉強会
講師:一級土木施工管理技士 高橋周泰氏
テーマ:『歴史的仮名遣いの相対的合理性と正当性』
 
高橋先生はご実家が活版印刷所。
そんな活字が溢れる工場が子供の頃からの遊び場だったそうです。
読書家だったお父様の影響もあり読書好きの青年に。
福田恆存の本は全て読まれたそうです。
 
 
表記文字と表音文字・・・日本の漢字は一字一音ではなく豊かで深い一字多音✨
表音主義をめぐる危うさ等をご解説下さいましたが、私にはとても難しい内容でした。ニヤリ汗
でも熱くご解説下さる高橋先生、そして最後の質疑応答ではご参加者の方々との
表記表音バトルもありハラハラドキドキ ♪ 
 
 
 
そんな國語愛に熱くなられるこの勉強会の空気✨は
私にとっては
より愛おしさが増しキュンキュンするのでした😭
 
ちなみに、ハートのクッキーは主宰者のT女史から戴きました
こちらも胸キュンですチュー
 
 
 
 
また、今回のご参加者でアメリカで人生の大半を過ごされ最近帰国された女性が
心がほのぼのとするお話しをして下さいました。ピンクハート
 
その土地(確かカリフォルニア州)では日本人のローカル新聞があり、
ずっと完璧な正字正仮名遣い(歴史的仮名遣い)なのだそうなのです。
というかおそらく国外だっただけに
現代仮名遣い、当用漢字の縛りを免れたのではと思うのですが。
 
日常の会話は米語であっても、
異国の地でありながら祖国日本の國語を忘れず誇りとするその精神性キラキラに、
私は敬意を払いたい気持ちでウルウルしてしまいました😭。
 
 
 
さて、戦後のGHQの影響下だけではなく明治の頃から続く国語国字論争、
それにどう対峙し如何に國語を守っていくべきかについて
毎回先生方々がお話下さいますが、
高橋先生のご講演の中で
一番私の胸に響いたスカッとしたお言葉ピリピリをご紹介させていただきたいと思います。
 
「もし、私が総理大臣になりましたら、勿論なれませんけれど(笑)是非やりたいことががあります。
それは、戦後に正字正仮名遣い(歴史的仮名遣い)を現代仮名遣いに変えてしまった時、
すんなり受け入れた國民であるならば、
(サイコロを転がすように)またコロッと正字正仮名遣いに転がしたいという事です。・・・」
 
私は共感し過ぎて👍👍👍
心の中で膝をバンバン叩いておりました♪
 
これからの出版本、新聞、広告、あらゆる國語が歴史的仮名遣いにある日突然戻ったとて
(ある日突然マスクを付け、そして何事もなかったようにマスクを外したように😆)、
最初は戸惑うかも知れないけれど、
調和を重んじ祖先の尊いDNAを受け継いでいる我が民族であれば、
目から入ってくる文字なんぞすぐに咀嚼して
何事もなかったように読むほうは取り戻せるのではと思うのです。
 
気が付けば、
はるかに高い知性と豊かな表現が広がり、
戦前までの文豪の小説などスラスラ読め、
現代語訳などむしろ邪魔くさく味気ないと気付く✨
 
そんな尊い國語に誇りと自信を持てる日が
遠からず訪れる事を、私は願ってやみません。流れ星
 
☺️
 
最後にもうひとつ、高橋先生がご紹介下さった
文部省唱歌「春の小川」音符
作詞:高野辰之 作曲:岡野卓二について
 
昭和17年に口語体(?)に直されたという?当時の文科省の愚かさを仰っていました。
私も子供の頃から馴染み深いこの歌詞を見て愕然としました💦
私が学校で習ったのは修正後のほうで、修正前の歌詞があった事を知らなかったのです。
 
 
春の小川は さらさら流る → いくよ
岸のすみれや レンゲの花に
にほひめでたく 色うつくしく → においやさしく
咲けよ咲けよと ささやく如く → ささやきながら
 
みなさんはどちらの詩歌を習われましたか?
そしてどちらがお好きでしょうか?
私は、原文のほうが遙かに尊く美しい響きを感じます✨
 
⚜️◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆⚜️
 
{我が國語を愛し學ぶ國民の會}に
初めて参加した時の初めての講師は川畑賢一先生でした。(正面一番右)
主宰者様、川畑先生
そしてこの勉強会に導いて下さった森基様
&先生方々と記念のお写真を撮っていただきました。
 
 
多くの事を學ばせていただいた感動の一年、
そしてマイクを掴み発言できるまで図々しくなった私💦
 
 
心から感謝とお礼を申し上げたいと思います。
 
 
新二年生になりますが、
新学期もよろしくお願い申し上げます。お願いニコニコ
 
感謝彌榮
 
 

 

 

キラキラ
昨年末に、UPするはずがうっかりしてしまいました💦
遅ればせながらUPさせていただきますチュー
 
『我が國語を愛し學ぶ國民の會』第五十回勉強会
【川畑先生に始まり川畑先生でお開き】の巻🎉


今年4月の初参加以来
すっかり{我が國語愛 } に目覚めてしまった私😌
4月6月8月10月そしてこの度12月の勉強會は
第五十回というお目出度い節目に恵まれました⛲


生まれて初めて誠の國語✨
我が國語の真の授業を受けました♡😭♡
そう思ったあの川畑先生の衝撃のご講演から始まり
今年の最後も川畑先生のご講演でお開きに✨

最初の時も最後のこの度も川畑先生はお怒りです

戦後の「現代仮名使い」は何が駄目なのか
この度の怒りの二大ポイント☝️
・古典との繋がりを切ってしまった💥
・文法を解らなくした💥


でも
そのお怒りの気持ちが
ワナワナと私には伝わって
私も共に怒れる事が何だかとてもとても感慨深く
・・・でもジンジンと幸せな私😌💓


どれほどたくさんの我が國語を学ぶ機会を頂き
どれほどたくさんの我が國語への想ひが
私の中に溢れてきたことでせうか🌾

キラキラ

日本人の両親から生まれてこれた有り難さとか、
我が國語の美しさ、
祖先と繋がる尊さ…が
少しづつ少しづつ解ってきたようで、
今更ながら私の心は
ほろほろと嬉しいのです💗愛おしいのです💗

でも貴女ちょっとやっぱりそれって
どこかマニアックでしょ
なんちゃって~😅 

流れ星

勉強會の後は
忘年会を兼ねた懇親会となりました✨🍻🎶
 

 
主宰者のT様&素晴らしい先生方&お仲間の方々
皆様に心から感謝を申し上げたいと思います。

4月からご一緒させていただきお世話になりました。
どうもありがとうございました。

今から来年の第五十一回勉強会(2月13日)が
楽しみです~~~♪

{ 我が國語愛 } への学びを少しでも深め
國語愛は国防💥
威風堂々闘いを挑んでいきたい私びっくりマーク
またまた💦なんちゃって~😆でした!



『我が國語を愛し學ぶ國民の會』
感謝彌榮キラキラキラキラキラキラ
 

お庭の豊作花柚子ちゃんを添えて🍊🍊🍊

 

、 

絵付け🖌時々ピアノ~✨

PIANO FRAGRANCE Rieko-style

映画(1999年)「鉄道員ぽっぽや」のテーマソング

作曲:坂本龍一 アレンジ:河合りえ子

 

 

↑クリックしてご視聴ください♪

 

 

【靖国神社の桜をテーマに歌詠みに挑戦する 】の巻

今年は初めて桜の咲く季節に⛩靖国神社を参拝する機会に恵まれました。

 

 

 

 

そこで靖国神社の桜をテーマに拙作ですが歌を詠んでみました♪

 

実は、今年の年頭に{和歌の創作講座}に参加してから

何かと、歌を詠みたくなっておるんですぅウインク

最近、物忘れが気になる私…

究極の脳トレかも~

 

 

 

《靖国の桜》連作

🌸境内にある桜の標本木を見上げて

 

固唾のみ 見上げる顔に 幸溢れ

無垢になりけり 小枝の先に

 

🌸「靖国で会おう」そう言って

故郷の家族女性や子供たちを護る為、国の未来に託し征かれた英霊を讃えたい想い

 

護り抜く 大和の誇り 成し遂げし

咲き勇む時 散りゆく時も

 

🌸遠い南の島々や海に眠る英霊への祈り🖌️

(散りゆく花びらひとひらひとひらに感謝を乗せて届けたい想い)

 

散りゆかば 溢るゝ感謝 届けたし 

南の島々 海の底まで

 

 

 

戦後80年の節目を迎え

今日から両陛下の「慰霊の旅」が始まりました。

感謝彌榮

 

 
 

 

↑ クリックすると視聴いただけます

生誕100周年(令和7年)

✨三島由紀夫✨に寄せて

~永遠の回想~Passacaglia パッサカリア/ヘンデル

 
 
 
 

生命より魂を尊重した三島由紀夫は生きている✨

【 100歳のお誕生日おめでとうございます 】の巻

『三島由紀夫生誕100周年記念講演会』に寄せて

 
 
三島由紀夫氏はノーベル文学賞候補になるほど国内外から評価された戦後の日本文学界を代表する小説家でありながら、晩年には日本を憂い自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで決起演説をし割腹自殺という壮絶な最期を遂げられた人物である事は、その時代を知る者にとっても知らない者にとっても生々しく、周知の事実であるように思います。かくいう私もいつ何処で見聞きしたのか・・・脳裏に焼き付くような演説シーンの鋭い印象をずっと持っていました。

 

裕福で非の打ち所のないエリートの一族に生まれ、小中高と学習院(主席で卒業)、東大法学部、大蔵省入省と順風満帆であるように思われますが、虚弱体質というコンプレックスを持たれていたそうです。大東亜戦争開戦で20歳の時にいよいよ召集。ですが健康面で兵役不合格となり出征できず・・・そのまま終戦を迎えられました。尊敬していた蓮田善明氏は戦地で終戦を迎えられましたが天皇を愚弄した連隊長を射殺し自身も自決、同胞達は戦地で全員散華、そして終戦後に大きく変わっていく価値観の狭間・・・どれほどの心の格闘があったことでしょう。私如きが安易に憶測するのはおこがましい事ではありますが、その時の死生観が後々まで影響したのではと思わずにはいられません。

 

大蔵省は9ヶ月で退官した後、世界一周旅行。

小説家として専念し才能を発揮。劇作家、随筆家、評論家、政治活動家

またボディビルで肉体改造し武道で鍛えコンプレックスを克服。結婚し二児の父親に。

 

素晴らしい小説家のその聡明で柔らかな面差し、一方で極端な国粋主義、軍国主義、右翼という印象を植え付けるような演説最後の映像や写真✨でも実は私、決して嫌いではありませんでした。直視するとグッと掴まれ引き込まれそうな凄みと魅力、精神が潔癖なまっすぐな人なんだろうなぁと。

でもそこに近づいてはいけない何かがあるような気がしていました。

 

それがなぜなのか、誰にも聞けないと思いました。

聞いても理解できるものではないと思ったのです。

でもいつか大人になったら自分で知ろうとする時が来るのではないかと、

そんな予感をしていたのかもしれません。

そして(とっくに大人になった私ですが 笑)

 

 

生誕100周年という節目のこの講演会に辿り着いた不思議を感じます。

それは私にとってようやく覗きたかった重く大きな扉が開いたような感動と安堵。

機が熟し三島由紀夫氏の決起を自分の頭で考えてみたいという欲求と、

そうしてもいいよというお許しが何処からか降りてきたような気がするのです。

(そして世界はパワーバランスのうねりカオスの中、日本という小舟が沈みゆく危機にある。

真に(心の)決起が必要とする時という思いに重なります)

 

ここ数年、

私は日本の現状を学び様々な方々の講演会やお話しを伺う機会をいただく過程で、

いつかこの三島森田事件の本質は避けて通れない、

真摯に咀嚼出来なければ、

私自身、

向いていたい方向が自分の軸が定まらないのではと感じていました。

(何だかエラそうな事を申しておりますが 笑)

 

 

この講演会で、

私にとってのその重く大きな扉を開けて下さった

佐藤和夫先生と三浦小太郎先生に

心からの尊敬と感謝の気持ちを申し上げたいと思います。

 

 

感謝彌榮✨

 

 

 

 

(三島由紀夫「激」より心を揺さぶる一文)

日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ

生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか

生命以上の価値なくして何の軍隊だ

今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を

諸君の目にみせてやる。

それは自由でも民主主義でもない。日本だ。

われわれの愛する歴史と伝統の國、日本だ。

 
 
 
楯の会 村田春樹先生✨
 
三島由紀夫氏が憂いた通りの日本なりました。
ただひとつだけ外れたのは「裕福な、」です。
もはや「貧しく、」なりました。
(佐藤先生のご講演より)
 
 
受付のお手伝いをさせていただきました。感謝✨
 
 
戦後の日本で古式を尊び切腹した最後の侍
無骨ながらも真に日本を憂う侍の姿✨
 
 
三島由紀夫氏の美しい日本文学の世界
精神論✨
死生観✨
どの面が欠けても語れない
私の三島由紀夫氏への旅は始まったばかり・・・グリーンハーツ
 
 
感謝彌榮
 
 
ケント・ギルバートさんのひと言☝️✨

【 日本の人は是非一度行かれるとよいですよ!】の巻

 

 

「産業遺産情報センター」の開館時🎉(2020年3月)

ご見学されたケント・ギルバートさんのその一言✨がずっと私の心にありました。

 

また加藤康子センター長の軍艦島の歴史調査等の解説を以前の虎ノ門ニュースで度々伺っていたので、

行きたい行かなくちゃとずっと思っていたけれど、

折しもコロナ騒ぎが起こりあえなく先延ばしてきてしまっておりましたが、

思いがけずK会長様からお誘い頂き、突如願いが叶ってしまうことに!

 

センター内はリキッドギャラクシー、シアター映像や大型パノラマパネル、デジタル文書が閲覧でき、

凜とした最先端の設備です。

 

前半はセンターガイドさん、途中からセンター長の加藤康子さんがご案内下さいましたが、

その熱く語る言葉の節々、その伝えたい想いにシビれまくり~😭✨

センターを後にする頃にはこの上ない感動に包まれておりました。

 

日本が開国した動乱の明治、近代化の為には産業、

まずはその糧である鉄 銅 石炭産出の為に果敢に挑み、

どの国も短期間ではなし得なかった近代化を僅か40年余りでなし得た先人への尊敬と感謝✨

同時になぜ今までこんな凄いミラクルを起こした偉人方々の素晴らしい歴史を

私は学んで来なかったのかしらと、ちょっと凹む😔

 

 

 

時は、外国への自由な渡航は御法度だった時代。

英国へ渡った長州ファイブは密航になるので

日本の教科書には載らないそうです。💧

この方々が命懸けた偉業なくして日本の近代化は

ずっと遅れていたと察すると余りありますね。

加藤康子さん曰く、偉い人は教科書には載らないのですと苦笑された。

 

 

山尾庸三という名前を是非覚えて帰って下さいね♡

キラキラした瞳で微笑む加藤康子さんのひと言✨が心に響きます。

日本の誇りを胸に😊

 

 

因みにケント・ギルバートさんは、

米国から親戚や友人達が来るとまず靖国神社の「遊就館」へご案内されるそうです。

 

「靖国神社&遊就館」

そしてこの「産業遺産情報センター」

 

そこにあるのは、先人への感謝と誇りおねがい

 

✨☝️日本人は一度は行かなきゃだわ!

そうガッテンしながら帰途につきました。

 

 

お世話になりましたK会長様&ご一緒下さった皆様、

そしてセンター設立にご尽力された加藤康子様方々に改めて心から感謝申し上げます。

どうもありがとうございました。🙇

 

 

 

「産業遺産情報センター」感謝弥栄

 

 

 

 

 

 

⚜️さてさて「軍艦島」

日本人も朝鮮人も苦楽を共に一生懸命仕事をしました。

病院も学校もあり、そこは一島一家の生活があったそうです。

センターには朝鮮学校の子供達が見学に来られるそうですが日本の学校は…💧

私はぜひ学校の社会科見学で多くの子供達が見学されたらいいのにと心から思いました。

 

元島民の方の楽しく和やかなご説明もグッと伝わるものがありました。

軍艦のような形から軍艦島と呼ばれた「端島」の詳細な模型を眺めながら私はムラムラ🎵

いつかぜったい私も行ってみたくなっています⛴️

まだまだ知らないコトだらけ

行きたいトコだらけっ😆👍

 

初めて降りた🚃大江戸線「若松河田駅」
センターまで歩く途中、道を間違え遠回りしたおかげで

住宅地で見つけた小さなカボチャ畑爆  笑
カボチャ🎃&カボチャのお花✨

 

⚜️余談

私がライフワークとしている焼きものの絵付け🖌の世界も同じ✨ふと思いました。

時は明治の匠! 究極の憧れの絵付師は明治だった。

欧米のトップペインターに憧れて海外ばかりに目を向け様々なセミナーを受け学んだ日々。

それはそれは学び多く貴重でしたが、

ある時なぜ我が國の尊いものが今まで見えなかったのかしらと・・・気付いたのでした。

 

最終的に辿り着いたのは明治の名もなき絵付師の描く焼きものの崇高な世界✨だったのです。

目が覚めたようにその技法を夢中になって🖌追い求めているのが今の私。

特に幻と呼ばれる ≪京薩摩≫ 精緻で雅✨や 釉下彩の極み ≪西浦焼≫✨

その技術は現代においても模倣できない神業の如く。

当時、国の政策で外貨獲得の為に美しく崇高な陶磁器の他にも

七宝、蒔絵、様々な明治の美術品が堂々と海を渡っていった…。

明治の時代の匠って凄い✨ 

こんな単純なひと言に置き換えたくないのですが・・・

熱く語っては長くなりますのでこの辺で 笑

 
 
 
 
 
 
 
令和六年十月三日 第四十九回
『 我が國語を愛し學ぶ國民の會 』に参加してきましたビックリマーク

今年4月の初参加以来、すっかり{國語愛に目覚めてしまった私照れ
4月 6月 8月 そして今回10月の4回目はO様の助手として
受付のお手伝いを賜り1時間ほど早めに議員会館へドキドキワクワク~ルンルン
無事完了クローバー ありがとうございましたニコニコ
(議員会館入口でお名前チェック&通行証をお渡しする係)


まず始めに全員起立して国歌斉唱音符キラキラ君が代から始まります

今回はお二人の先生による二部構成でした
 
それぞれのご視点で國語をご解説下さる内容は
とても新鮮でびっくりおもしろく飛び出すハート
しかもとても解りやすい
目からも耳からも鱗が落ちる連続でした~ チューうずまきグッ



ベル前半は荒岩宏奨氏(展転社社長)
演題 日本語における主語

英語は主語がないと文法が成立しませんが
日本の古典、和歌などは主語がなかったそう。
 
日本人の言語感覚から文と感じられるものは
述語さえあれば主語はいらないのではという
三上章氏の自説 なるほ~~ニヤリ
 
 
「象ハ鼻ガ長イ」のめちゃおもしろい解説や爆  笑
日本語は相手の立場にたち相手の目線からの関係性で話をすることが日常的にある等々
我が國語ならではの不思議優しい魅力等々 引き込まれましたピンクハート

 
 
 

ベル後半は前川孝志先生(高校国語教師 荒魂之會會員)
演題 高校生の爲の五十音圖といろはうた
~併せて國號と國歌の假名遣に就いて~
 
五十音圖 いろはうた 國號と國歌の仮名遣い 
どれも國語の要の要✨ ですね! 
 
高校の授業参観をしているような気持ちになりましたが
配られたプリントに50音訓やいろは歌を実際に書いたりしている内に
はたまた高校生にタイムスリップスターした気分を味わいましたスター
 
 
実は前川先生はこの日、高校の授業を終えてから
たくさんの資料のコピーを抱え💦時間ギリギリ
汗だくでいらして下さいましたお願い
 
それなのに講義が始まると
お声は はつらつキラキラ
真に{國語愛魂そのものキラキラの響きが炸裂キラキラ
ビンビン伝わり~キラキラ
あっという間に TIME OVERフラッグ となりました
 
 
(貴重な資料の数々の一部)
 
日本書紀と日本橋は にほん だけど
にほん にっぽん どっちがホント?
 
 
 
 
君が代は和歌
勿論 歴史的仮名遣い に定めなければダメですよねっグッ
 
 
 
 
 
ひらがなは漢字をくずしたもの やわらかいね!
カタカナは漢字の一部をとったもの カクカクしてるね!
 
 
 
 
 
流れ星まだまだたくさんの資料をご紹介したいところですが・・・
脈絡がなくなってきたような💦
 
 
*********************************
ご参加された森基様がシャキッ雷と順序よく
要点を纏めて下さいましたので
謹んで転載させていただきます。感謝
ではもう一度最初から始まり始まり~グリーンハーツ
 

◆本日は二部構成◆

✳️第一部『日本語における主語』というテーマで展転社の荒岩宏奨社長が講師。

⭐️思考と言語には相関関係があることを示すスライド2枚紹介された。

 

 

①どっちを優先?

⇒形なのか?素材感?

西洋人は形を重視

東洋人は素材感を重視

 

②進行方向は前?手前?

西洋人は前だとみなし、東洋人は手前だとみなす傾向

 

✴️自分中心の西洋人

  vs相手中心の東洋人

対象に対する見方がまったく逆なのだ!

 

 

⭐️『英語は主語がないと成立しない言語である』ことを川端康成の雪国の冒頭部を比較で証明された。

原文にまったく出てこない

The trainが出現するのだ。

 

⭐️『日本語には主語がない』と提唱した三上章。

 

英語の文型は①SV②SVC

③SVO④SVOO ⑤SVOCの5つのタイプがあるが、

日本語には3種類しかないというのだ。

①名詞文〜好きだ、赤ん坊だ ②形容詞文〜楽しい

③動詞文〜笑った、泣いた

 

✴️三上章の主張

英語は主語と述語の二本立てだが、三上章は日本語には主語は省略されたのではなく、そもそもないのだ!と主張している。

更にセンテンスの要件は、有題無題に関わらず共通する述語なのだと主張。

 

✳️絵本『象は鼻が長い』の解釈のちがいが三人三様で実に面白い(写真参照)

①大槻文法

②橋本文法

③三上文法

 

✳️竹内好(ヨシム)の『日本とアジア』の紹介あり。

✳️我々は何故古典が読めなくなってしまったのか?

それは主語がないからだ。

現代人が古典を読む際に主語がないことを意識して読めば、理解しやすくなる。

というアドバイスをいただいた。

 

 

✳️広島の原爆記念碑の主語論争について、昭和30年代から撤去運動までを紹介された。そもそも内容が間違っているのだ。

最後にby トルーマンと書き足してもダメ!いっそのことレフティが爆破してくれればラッキーなのに…

⭕️チェ・ゲバラが来日した際に広島まで足を伸ばして、この碑文を見て、なんだこれは?と驚愕したのは有名な話だ。原爆を落とした人物も命令した人物も特定できるのに、何故そちらに向かわないのか?日本人は世界の人々の常識を遥かに超えている。⇒ある意味不気味な民族と見られているのだ。

佐藤和夫さんが中東勤務した際も、日本人はいつ仕返しをするのか?と尋ねられ唖然とされたそうだ。

 

 

✳️第二部は『高校生の為の五十音図といろは歌』について、高校の國語教師、前川孝志氏による講演。

 

✳️五十音図は『仮名の成立』と深い関係あり。

もともと日本語には『ん』はなかったから、ワ行にワヲンと記入するのは間違いなのだ。

五十音図の50文字から撥音が重なっている三文字を差し引いた47文字がイロハなのだ。

 

✳️日本は①『にっぽん』なのか?②『にほん』なのか?

②と読むのはかつて日本書紀と日本橋だけだと言われていた。

『日』を『にち』ニッポン

『ジツ』ジャパンの語源に分かれたという説の紹介。

 

✳️国歌『君が代』の問題

国会において、西村眞悟議員はじめいろんな議員が代表質問していたことと政府のそれに対する回答を丁寧に解説され、殆どの日本国民はその実態知らないことに唖然とする。

国歌君が代は古文の和歌なのだから、そもそも現代仮名遣いで表記してはいけないだろう。

やはり役人の答弁は木で鼻を括って釣れないものだ。

無関心、仕方ないでは済まされない。

 

それにしてもこの勉強會は普段意識しない部分の頭をフル回転させられるので、疲れてしまう。

クーリングタイムとしてタリーズにて、関係者の方々と約60分歓談して帰宅の途につきました。

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此度も感動で
私の{國語愛
鮮明な彩虹が盛り込まれました。おねがい

 
すべての仮名を一度ずつ用いた七五調四句四十七字
いろは歌 これって神業としか思えませんスター
こんなすごい奇跡を詠んだ人がいる奇跡です目 ねキラキラ
 
余談ですが ちょっと引き出しを探したら出てきたのですが
実はこちらは、いろはうた の楽譜
私の通った学校は女子の中高大一貫教育だったのですが
礼賛歌の中に いろはうた というのがあり
何かと行事で歌わされていたので 未だに歌えます チョキ
なんだか懐かしい~♪ 
 

あぁ本当に
知れば知るほど
日本語って味わい深く
魅力的だなぁと
思わずにはいられません~照れ
 

主宰者様、先生方々、
ご一緒下さいましたO様、森基様始め皆様に心から感謝申し上げます。
貴重な國語勉強會をどうもありがとうございました。ハート

『 我が國語を愛し學ぶ國民の會 』
   クローバークローバークローバー感謝弥栄クローバークローバークローバー

         ラブ


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最後までお付き合い下さいましてありがとうございましたニコニコ
ピンクハート次回の『 我が國語を愛し學ぶ國民の會 』は 12月5日
 ご一緒に {國語愛 しませんか♡

 
 
 
 
 
 
令和六年『秋の國語講演會&茶話會』
人生には予期せぬ事が起こるもの✨
私の人生の設計図にはなかったこんなシーン・・・😆
初参加にも拘わらず受付のお手伝いを賜りましたが

【受付係をご一緒するのは吉田松陰のやしゃご様】の巻スター
 
吉田松陰先生の{やしゃご様}はちょうど男性の陰になり見えなくなっております 笑

ドキドキそわそわとO女史に習い受付の準備そしてスタンバイOKその時です!
私のお隣で受付をご一緒される方をご紹介いただき
私はひぇー😲
のけぞりそうになったも束の間
あれやこれや受付がスタート💦

次から次へといらっしゃる参加者様をお名前リストから確認して
受け取った参加費を
その{やしゃご様}へ ほい!ほい!とお渡しするのが私のお役目😂

ハタハタと無事に受付仕事は落着
あっという間にお姿は講演会の会場の中へ・・・アワアワアワ💦

後で思えば
 
たまたまご一緒させていただいた
受付係ただそれだけの儚きご縁✨
とはいえです。
 
せめてご先祖様が
吉田松陰先生纏わる尊敬と感謝の気持ちの一言くらい
ご挨拶できなかったものかしら・・・💦

そんな自分がちょ~情けなくてトホホ・・・😖

今更ではありますが、
 
吉田松陰先生の{やしゃご様}へ
ご一緒に受付係を賜り光栄でした。
どうもありがとうございました🙇
 
 
今更なんですね😆
 
ちなみに {やしゃご様} は
國語問題協議會の副會長様でいらっしゃるそうです。
また来春のこちらの講演会でお目にかかれるかも爆  笑
楽しみがまたひとつ増えました虹
 
 
 
 
 

さて本題です。
歴史ある國語問題協議會に初参加させて頂き
會に携われる素晴らしい先生方々の熱い{ 國語愛炎
此度も私は深く感じ入る事が出来ました!
 

また茶話會の質疑応答では
小堀先生のお茶目な表情 が(失礼お許しをお願い
私にはとても印象に残り
私の独りよがりですが少し触れたいと思います。😅

この度の講演會パンフレットの中に、
小堀先生のお名前に こぼりくゑいいちらう とかなが添えられてあります。
 
 
この正仮名遣いについて
お話しの流れで言及された一言がありました。

「私はこれはあまり・・・(苦笑)。
ここまで拘らなくてよいのではないか(笑)と
・・・思います(笑笑)。ハハハ・・・」

確かそんなニュアンスで仰りながらお茶目に微笑まれ
雲の上の存在のような方なのに
私は一方的ですが親近感を覚えてしまったのでした。照れ💘
 
 

遙か先人より編み育まれ継承されてきたかけがえのない國語✨
明治から様々な論争はあったそうですが
戦後の占領下の國語改革により原理原則の根幹が大きく壊され
たかだか80年の間に今や古くさい文字と片付けられてしまいがちな正字正仮名遣い
どのようにその履き違えた感覚を取り戻せるか
何処まで遡るべきか・・・その課題があるのだと
私はこの時なんとなく感じました。
 
昭和54年サンケイ新聞 コラム直言(配布された資料の中から)

そして、
「・・・このほうが正しくて、美しい✨ 
そう納得してしまう、そんな努力をしてほしい・・・」
 
やはり微笑みながらそう仰られた時の
小堀先生の深い { 國語愛炎 } がやはり感じられジーンおねがい💘
 

 
 
また茶話会の途中
小堀先生の補聴器のバッテリーが切れてしまわれアセアセ
「皆さんのご質問が聴こえなくて申し訳ありません・・・」
そう正直に仰られるのです。
 
(MCを務められたT先生がしっかり小堀先生のお耳元にご質問等届けて下さいましたので
全く支障ありませんでした。感謝)
 

揺るぎない真の重鎮となられても
 
91歳というご高齢であられても
 
おごることなく謙虚さを忘れないその真摯なご姿勢✨に
 
私はまたまた感動してジーン😭💘なのでした。
 
 
この講演會のご参加者の最年少さんはなんと17歳✨
一番前の席に座られ、私の席からちょうどよく見えたのですが
それはそれは熱心にノートを取られていました。
ご両親が会員だからとかそういう繋がりはなく
國語に興味を持たれ個人的に参加されたそうです。

國語愛溢れた素晴らしい先生や研究者方々ではございますが
おじんオバン(失礼😆)だけで盛り上がっていても💦
いずれやって来る世代交代の時の為にも
このような若い方にどんどんご参加していただいては✨と思いました!
17歳さん、あなたは國語問題協議會の陽だまりのごとく✨若い宝✨
またお会いしたいです💕
 
 
茶話会で配られたお菓子の数々
 
「子供には正漢字は難しいという配慮は
むしろ子供を馬鹿にしているのではないでしょうか。✨
そう仰られた小堀桂一郎先生。

私ははっと思いました😲
子供達が大好きなお菓子の包みに正字正仮名遣いを使えばいいやんか~!
子供はお菓子を頬張りながら
なんの苦労もなく一目で漢字を目から吸収すると思いませんかOKてへぺろ
 
 
 

横浜は横濱✨と表記する地元の名産が多いことに気付く。

崎陽軒の横濱月餅とか横濱ベイスターズも✨さすが横濱ブランド!

正仮名遣いの草加せんべい✨

このほうが味わい深く感じるのは私だけかしら😄

 

 

 


この度の貴重な會に参加させて頂きどうもありがとうございました。
ご主催下さいました國語問題協議會の先生方々✨
受付係を賜りご一緒下さいました O女史✨& 吉田松陰先生のやしゃご様✨ 

そして改めまして
小堀桂一郎先生に心からの感謝を申し上げます。
どうもありがとうございました。照れ
 
 
そうそう音譜
会場となった湯島聖堂に隣接する斯文會舘へは
御茶ノ水駅から聖橋を渡り小脇の石の階段を降りて緑の茂る小径を抜けて行きました。
途中に突然現る「孔子像」✨
なんとこの日は孔子のお誕生日🎂だそう!
これって偶然?必然?

きっと孔子は祖国中国から日本に伝えられた漢語を
日本人が和製漢字として活用し
大切に継承しているのを見守っていらっしゃる。
國語問題協議會の先生方々の活動を喜んでいらっしゃる。
だからこの日に引き寄せたにちがいないわ✨
我思ふ😆☝️💓
{ 深まる國語愛LOVER } 感謝弥栄✨
 
 
 

やはり人生には予期せぬ事が起こる
それが、それこそが人生なのですね
あぁ私はなんてシアワセ者流れ星
でもふと思ふ。その予期せぬ事が嬉しい事はかりとは限らないといふ事を
何が起きても真摯に謙虚さを忘れずに✨生きてゆきたいと思ふ。なんちゃって😆

 
 
 
 
さて
小堀桂一郎先生のお話しはとても深い内容でしたので
私はいただいた資料を復習しながら少しずつ咀嚼したいと思いますが
早速にその内容を森基様が素晴らしく纏めて下さいました。
ご快諾をいただきましたので
謹んで拝借させて頂きます。感謝♡
 
2024.9.28土曜その①
湯島聖堂に隣接する斯文會館にて開催された第114回
國語講演會に参加。
本日は、戦後の國語改悪の実態を体験してこられた小堀桂一郎東大名誉教授が、その衝撃の大きさを『体験的国字問題論』として熱く語られました。
✳️大きな背景には、戦争で日本人の底力に恐怖を覚えた米国の占領政策が、国民の精神的根幹を成す國語を廃止しようとしたことにある。終戦直後の昭和21年の当用漢字表、現代仮名遣いの國語改悪に着手。
✳️一見すると簡単で覚えやすい國語に見えた反面、その後は原理原則がすっかり乱れてしまった。
この會の主催は、そんな國語の現状に危機感を覚え古来から先人たちを育ててきた國語を取り戻そうと昭和34年に設立された國語問題協議會です。
◆小堀先生の講演要旨◆
①小5の時、本郷から静岡に疎開した際、標高のルビを振る問題が出され、私はヘイカウと書いたが、ヒャウカウ、ヒャウコウなどが板書された。その時先生は『今のところ小堀君のが正しいだろうが、今後は変わっていくだろう。』と言われてショックを受けた。
②言葉の乱れの要因となったのが、陸軍の南方政策。
パラオなどの南洋諸島の皇民化政策で國語を教える際に、コレハ何デスカ?のハwaが問題となった。文字と発音が一致しないから、日本語の素養がない現地の子供達に理解させるのが困難を極めた訳だ。
③昭和21年、中学に進学し登山部に所属。飯盒は『ハンガウ』だが、カナ表記が変わっていくのを肌で感じていた中学時代だった。中3の時の作文で『箱根と足柄』という山歩きを題材にした作文が校内新聞に掲載。駄文との辛辣な批評がなされたが、担任の先生は『気にするな!君のが一番良かったぞ。』と褒めてくれた。
④大学受験の頃まで、正仮名遣いが通用していた。
受験ではどちらを書いたか覚えていないが、入学以降は『現代仮名遣い』になっていた。
✴️歴史主義と表音主義の対立という構図
慶應2年、前島密の建白書
明治の森有礼の英語を國語にせよとの提言。
⑤明治33年、帝国教育会で國語を発音どおりにすることとなったが、『ジとヂ』『ズとヅ』の壁に当たってしまった。
明治34年4月、字音かな表記が統一された。これを棒引きかな使いと呼んだ。
⑥その後もいろいろな変遷があって、明治41年には歴史的仮名遣いに戻せ運動が起こり文部省が動揺。
この時の森鴎外の論文が有名。
⇒表音主義派が地下に潜って生き残り、この反文明的な所に左翼が食い込んでいったのが、その後の改悪の大きな要因となってしまったと解説された。
⑦戦中は陸軍の南方諸島政策、原住民に対する國語教育で陸軍をバックに勢力を増強。
⑧戦後は日本弱体化を目指すGHQに迎合して、文化破壊勢力として野望を達成
⇒漢字の大幅削減に成功!
これに新聞が大迎合したので、改悪の普及が急速に進んでしまった。
⑨世界の大勢は表音文字だというのは嘘だ。
アルファベットのAは、1音だけではない。8種類の発音がある。ドイツ語にはギリシャ語に由来するものが、フランス、イタリア、スペイン語にはラテン語に由来するものが多く残っている。
✴️各国の言葉の綴りには、語源的なもの、古典の精神がある。それを中断してしまえば、文化の断絶を引き起こしてしまうのだ!
小堀先生の実体験に基づく素晴らしい講演でした。
✳️質疑応答では、村田春樹先生から、本日は孔子の誕生日であることが紹介され、國語だけでなく学制の変更も日本にそぐわなかったのに何故受け入れたのか?との質問。
✴️これに対して、変更を受け入れる体質は、明治の頃から既にあり、大正デモクラシーで完成の感あり。その最大の要因は左翼である。福沢諭吉も左翼の怨望に対して盛んに警告していたほどだ。これに対して同じ敗戦国のドイツは、教育制度の変更をガンとして認めず従来の制度を死守した。
それほど日本人にとっては原爆を2発も落とされ、完膚なきまでの敗戦の衝撃が大きかったと言えよう。
◆第二部は茶話會
お茶とお菓子が配布され、参加者の皆様で、自己紹介や追加の質問など、とても貴重な時間を過ごすことができました。
加藤会長、安田倫子副会長、小田村副会長、高崎事務局長、司会の押井様はじめスタッフの皆様方本当にありがとうございました。
 
 
講演後、2冊✨本をゲットしました。
森鴎外研究の第一人者であられる小堀先生が
これはバイブルですと仰っていた 『仮名遣意見』森鴎外著
それから、小堀先生がご解説された 森鴎外の『知恵袋』
秋の夜長はやはり読書 読書の秋を味わいたいと思いま~す🍁照れ📚
 
 
 
 
最後までお付き合い下さいまして、どうもありがとうございました。
國語問題協議會主催の講演会は春と秋の年に2回開催されるようです。
よろしかったら次回はご一緒しませんかラブラブ
{國語愛🔥}のお仲閒さんが増えてくださいますようにハート
どうぞよろしくお願い致しますチュー