「これ以上何も聞かないで」
強い口調で言ってきたベトナム人の友だちの表情はいつもよりちょっと本気で恐ろしくなった。
「ここは島だからまだ大丈夫だけど、もしホーチミンでそんな話をしていたら、
あなたはいいけど、私達家族がどうなるかわからない」
屋外の食堂で、ベトナム戦争の頃の話、米軍に対する気持ちを、
彼女のお母さんや叔父さんにどんどん質問していた。
確かに自分の無神経さが、恥ずかしくなった。
お母さんは、ベトナム語で何かずっと同じ事を言っていたけど、
それは、「もうやめて」だったんだと知った。
社会主義の国で、歴史の話をするのは、かなりセンシティブだった。
ベトナムの歴史がなんとなくわかるまで、2日かかった。
まだちゃんと理解できてないけど、最初はフランスとアメリカと中国と…わけがわからなくなった。
すっかり忘れていたインドシナ難民の知り合いの境遇と、歴史がつながった。
こういう事に実感がほしくて、旅に出たんだった、という事も、思い出した。
朝鮮半島と、脳裏で結びつけながら、
北軍が一気にサイゴンへ入城した時、南の人たちはどんな気持ちだったのか、
そもそも一般市民はどんな気持ちで、その歴史の混乱を受け止めたのか、知りたくなった。
友だちは華僑で、家族ははじめから、南のサイゴンに住んでいた。
彼女は、「ベトナム戦争が終わった時、南に住んでいた資本主義支持者たちは、みんなアメリカや外国に逃げた」と言った。
「お金持ちだけしか逃げられないですよ。偉い人が逃げた。南の偉い人は、ベトナムにいたら確実に殺されるから」
日本にいる親戚の写真を見せてくれた。
その人たちも、当時南から日本へ逃げたそうだ。
写真の中の彼女のいとこは、着物を着て七五三の写真を撮っていた。
見るからに日本人で、名前も日本の名前だった。国籍も日本だそうだ。
「どうしてあなたは日本で生まれたのに日本の名前にしないの?」と聞かれた。
彼女が疑問に思うように、私も疑問に思いたかった。
どうしてそんなに日本人になりたいの…でもそんな事は聞けなかった。
それはどこか、「ふるさとの国がない」という意味で、私達在日にも似ている部分があるように思えた。
いや、もっと悲しい、もっと悔しいかも知れない。自分のふるさとには、もう帰れないのだから。
今や北から来た、知らないベトナムの事をさして、自身をベトナム人という事ができるんだろうか。
「植民地朝鮮」時代に日本へ来て、その後の朝鮮半島で設立した国家の分断になじめない自分の気持ちと、似ている気がした。北か南かと言われても、私にはわからないのだから…。
お母さんは、本当はどう思っているんだろう。
もう、その感情は封印してきたのだろうか。
「米軍の事は好きだったの?社会主義か資本主義どっちがよかったの?」という質問には、
ただ首を横に振るだけだった。
何も考えてない。何も思ったことがない。そんな様子だった。
それも本当なのかも知れない。
ただ単に、アメリカと中国・ソ連の戦いに巻き込まれたベトナムの人々。
庶民はいつも、搾取され、軍事費支援があった時代にも、農村には届かず貧しい生活を続け…
1986年に始まったドイモイ政策によって、経済が自由化され、社会主義の影は薄い。
欲しいものを買える。
商売で成功すれば、お金持ちにもなれる。
シンガポールで仕事をして、さらにお金持ちになる人もたくさんいる。
今のベトナムの人たちは、歴史の中で、一番幸せなのかも知れない、と思った。

米軍時代の政治犯刑務所(米軍に反対し民族独立を叫んだ人たちはここフーコック島へ送られた)
強い口調で言ってきたベトナム人の友だちの表情はいつもよりちょっと本気で恐ろしくなった。
「ここは島だからまだ大丈夫だけど、もしホーチミンでそんな話をしていたら、
あなたはいいけど、私達家族がどうなるかわからない」
屋外の食堂で、ベトナム戦争の頃の話、米軍に対する気持ちを、
彼女のお母さんや叔父さんにどんどん質問していた。
確かに自分の無神経さが、恥ずかしくなった。
お母さんは、ベトナム語で何かずっと同じ事を言っていたけど、
それは、「もうやめて」だったんだと知った。
社会主義の国で、歴史の話をするのは、かなりセンシティブだった。
ベトナムの歴史がなんとなくわかるまで、2日かかった。
まだちゃんと理解できてないけど、最初はフランスとアメリカと中国と…わけがわからなくなった。
すっかり忘れていたインドシナ難民の知り合いの境遇と、歴史がつながった。
こういう事に実感がほしくて、旅に出たんだった、という事も、思い出した。
朝鮮半島と、脳裏で結びつけながら、
北軍が一気にサイゴンへ入城した時、南の人たちはどんな気持ちだったのか、
そもそも一般市民はどんな気持ちで、その歴史の混乱を受け止めたのか、知りたくなった。
友だちは華僑で、家族ははじめから、南のサイゴンに住んでいた。
彼女は、「ベトナム戦争が終わった時、南に住んでいた資本主義支持者たちは、みんなアメリカや外国に逃げた」と言った。
「お金持ちだけしか逃げられないですよ。偉い人が逃げた。南の偉い人は、ベトナムにいたら確実に殺されるから」
日本にいる親戚の写真を見せてくれた。
その人たちも、当時南から日本へ逃げたそうだ。
写真の中の彼女のいとこは、着物を着て七五三の写真を撮っていた。
見るからに日本人で、名前も日本の名前だった。国籍も日本だそうだ。
「どうしてあなたは日本で生まれたのに日本の名前にしないの?」と聞かれた。
彼女が疑問に思うように、私も疑問に思いたかった。
どうしてそんなに日本人になりたいの…でもそんな事は聞けなかった。
それはどこか、「ふるさとの国がない」という意味で、私達在日にも似ている部分があるように思えた。
いや、もっと悲しい、もっと悔しいかも知れない。自分のふるさとには、もう帰れないのだから。
今や北から来た、知らないベトナムの事をさして、自身をベトナム人という事ができるんだろうか。
「植民地朝鮮」時代に日本へ来て、その後の朝鮮半島で設立した国家の分断になじめない自分の気持ちと、似ている気がした。北か南かと言われても、私にはわからないのだから…。
お母さんは、本当はどう思っているんだろう。
もう、その感情は封印してきたのだろうか。
「米軍の事は好きだったの?社会主義か資本主義どっちがよかったの?」という質問には、
ただ首を横に振るだけだった。
何も考えてない。何も思ったことがない。そんな様子だった。
それも本当なのかも知れない。
ただ単に、アメリカと中国・ソ連の戦いに巻き込まれたベトナムの人々。
庶民はいつも、搾取され、軍事費支援があった時代にも、農村には届かず貧しい生活を続け…
1986年に始まったドイモイ政策によって、経済が自由化され、社会主義の影は薄い。
欲しいものを買える。
商売で成功すれば、お金持ちにもなれる。
シンガポールで仕事をして、さらにお金持ちになる人もたくさんいる。
今のベトナムの人たちは、歴史の中で、一番幸せなのかも知れない、と思った。

米軍時代の政治犯刑務所(米軍に反対し民族独立を叫んだ人たちはここフーコック島へ送られた)