こんにちは。

森 はるえです。

 

 

「才能」ときくと、

つい「楽器を演奏する才能」「絵を描く才能」「難しい数式を解く」など

人より秀でている能力を連想してしまいますが、

 

案外「自分が当たり前にできる」ことで、

才能だなんて思えないところが「才能」なのかもしれない。

 

なんてことを、昨日から考えています。

 

 

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昨日は、宮崎市にあるリフォーム会社さんの

ニュースレターの取材をしてきたのですが、

担当してくれてる方の「段取り」「気配り」が

とてもレベルが高いのです。

 

 

どうレベルが高いかというと、

取材のタイムスケジュールを事前に組んでくれて、

その会社のスタッフさんに周知してくれてるのはもちろん。

 

昼食場所の手配、

ニュースレターで使う素材(写真)が追加で必要になったら、

ささっと準備してくれるのです。

 

 

文字にすると、たった【これだけ】ではありますが、

うちの取引先(中小企業)で、こういう「段取り」がささっとできる方って

案外ごくわずか...

 

段取りが良いと、仕事がスムーズに進むし、

なによりお互い気分良くやりとりができます。

 

 

思わず「段取りがとても良いですね!」と感動して伝えたものの、

本人にとっては【できて当たり前】なので、

「はぁ....」とうっすい反応。

 

 

その瞬間、私自身も

自分では【できて当たり前】のことを褒められて、

「は、はぁ...」と薄い反応をした出来事を思い出したのです。

 

 

できて当たり前ということは、

自分にとってはふつうのことなので、

格別にすごいとも、褒められるものとも思えないですが、

誰かからみると、その「ふつう」は「すごい」ことなのかもしれません。

 

 

 

 

あらためて「才能」という言葉を調べてみたら、

「物事を巧みになしうる生まれつきの能力」という意味があるのだそうです。

 

人によっては、「後天的に磨いたものが才能」

「才能とは、情熱を持続させる能力」などいろんな定義があるみたいですが、

 

案外「自分が当たり前にできる」ことで、

才能だなんて思えないところが「才能」なのかもしれませんね。

 

 

小さいことも「才能」だと思ってみると、

世界はなんて才能にあふれているんだと思えたりもします。

 

 

「才能」、それは案外奥が深い世界です。

 

 

 

 

※いろいろ考えが膨らみすぎて、

2時間くらいかけてこのブログを書いたというオチであります(苦笑)