美しすぎるクロード・モネの庭園を訪ねて | アトリエ・ルシェルシェ~花の絵と、もの創り~

アトリエ・ルシェルシェ~花の絵と、もの創り~

Rechercherルシェルシェとはフランス語で追求するという意味。
好きなものを追求すると、様々な世界が、夢が広がります。
絵の中で、そして、もの創りの中で自分の世界を追求することは
自分自身を知る旅をしているような気がします。
貴女もご一緒に旅してみませんか。



パリ留学中に、一度は訪れてみたかった

印象派の巨匠クロード・モネの庭園

彼の死後、放置された庭は、それを悼しむ

多くの協力者により、見事に再現され、

現在、訪れることが、出来るのだそうです。


アトリエ・ルシェルシェ~花の絵と、もの創り~

以前に、パリから、ノルマンディーのシヴェルニーへ

日本の旅行社マイバスツアーで行ってきました。

フランス人に囲まれ、言葉もままならない中で、

孤独感に陥っている中、日本の方とご一緒させて頂き、

ホッとした安堵感と、解放感で、心から楽しめました。


アトリエ・ルシェルシェ~花の絵と、もの創り~


バスから降りて、モネの庭園まで少し歩きますが、

その道中も、情緒があって、独特な雰囲気があります。


アトリエ・ルシェルシェ~花の絵と、もの創り~


途中、ガチョウが急に出てきて、挑戦的な態度で、

”ガーガー”と鳴き、道を阻みます。

ガイドさんに聞くと、

いつもこうやって威嚇するのだそうです。

自分のテリトリーがあるのでしょうね。


さて、お庭に到着すると、なんて素晴らしいのでしょう。


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お花の色が優しいハーモニーを奏でて、

まるで、柔かい光に包み込まれるようです。


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大好きなビオラや、チューリップにヒヤシンス



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この上のお花、なんのお花だったのかしら。

また、どなたか教えてください。

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可憐な色とりどりの、お花たち



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チューリップは、まだあと少し


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こちらは、いい感じ



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唄をうたっているよう音譜



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咲き乱れるつつじ



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サクラの木かな~

なんかちょっと一味違うのよね~



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見慣れたつつじも、何故か魅力的に見えます。


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お土産Shopの入口



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細かくて、かわいい~ラブラブ



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うっとりする中、モネの家の中へ


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グリーンで塗られた、縁取りが、なんとも素敵です。


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残念ながら、中は撮影は出来ませんでしたが、

日本美術の影響を、かなり受けており、

浮世絵のコレクションがたくさん飾られていました。

日本びいきで、日本からの来客をことのほか

喜んだらしいです。


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モネは、印象派の中では、一番の長生きで、

86歳で、生涯を終えました。

この、美しい環境が良かったのかもしれませんね音譜

43歳から、生涯の半分を、

この庭とアトリエのある邸宅で、過ごしました。

創作以外の、ほとんどの時間を庭仕事に充てていたそうです。


下の写真は、庭で飼われている、ニワトリ。

なんだか、日本のニワトリとは、様子が違います。

フクロウみたいな顔をしています。

顔が撮れていなくて、残念。

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上品なベージュ色ですね。

そして、あの”睡蓮”の池の方へ


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ブルーからバイオレットにかけてのグラデーションが美しい


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橋もグリーンに塗られているんですよね


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モネは、69歳の時から、白内障をわずらい、

極度の視力悪化のため、4年程、ほとんど絵を描くことなく、

その後は、大画面に描くようになったそうです。

視力が悪くても、大画面に描き、遠くから眺めると、

なんとか制作できることがわかったからだそうです。


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                                モネの”睡蓮” オランジュリー美術館で撮影


近くで見ると、なんだか判らないけれど、

離れて見るとなんとも素晴らしい、あの独特な画法は

目が悪かった事も、加味していたとは驚きです。


私も、かなりのド近眼。

コンタクト外して、ぼんやりした感じで絵を描くと、

もっと、良い絵が描けるかしらはてなマーク

現代の医学をもって、目を手術していたら、

モネの絵も、違うものになっていたかもしれませんね。。


画家の中では、早くから世に認められ、

比較的裕福だったモネですが、

38歳の時に、パトロンが破産し、

家族を残し、国外へ逃亡したため、

その子供6人(乳飲み子1人含む)を引き取り、

自身の子供2人と、妻の10人の家族を養ったのだそうです。

義理堅い立派な方だったのですね。

その妻も1年後に亡くなり、後に、再婚しました。

なかなか波乱万丈な人生です。


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睡蓮の絵は、59歳から、27年の間に

200点以上も、制作されました。

死の直前まで、睡蓮の大作に筆を入れ続けたそうです。


睡蓮は、季節的に咲いてませんでしたが、

あのモネが、ここであの絵を描いたのだ

と思うと、感慨深いものがありました。


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                        モネの庭近くの お土産Shopのお花


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                                                お土産Shopの窓から

 

モネの庭からでした。


ラブラブ