こんにちは、本日中秋の名月ですね
にしても暑い・・・
秋じゃないですね~
でもお団子は買ってきましたっ
さてダラダラと続けているブログですが、旅行記も楽しみにしてくださっている方もいらっしゃるので、頑張って書いていきたいと思います
本当に感謝です
重い食器をホテルに置いて、新世界通りに戻ってきました
コペルニクスの像も撮っておかないと・・・
実はポーランドの方だと、今まで知りませんでした
そしてこちらもワルシャワと言えばココ、今回の旅行の目的であるショパンを巡る旅で大事な場所
聖十字架教会です
そろそろ皆さまもお気づきだとは思いますが・・・
そもそもなんでポーランド???って、疑問になってませんか、普通・・・(笑)
フランス、イタリア、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、スイス・・・いくらでも行くとこありますやん
敢えてどうしてポーランド??思われた方、多いかと存じます
事の発端は、Y君ん家がリトアニアだから・・・←詳細はリトアニア編の旅行記にて
そこから出発で、そして三男がショパン好きだから生まれ故郷のポーランド行ってみたいっ、隣だし・・・
っていうこうとからワルシャワ訪問が決まりました
この柱にショパンの心臓が眠っています
そうなんです、思いっきりショパンゆかりの地なんです
ショパンは元々ポーランドの方でしたが、パリに住んでいました
そしてお墓はパリにありますが、心臓だけは故郷に戻してくれとのことで、ココの教会で眠っているわけです
本当はショパン博物館にも行きたかったのですが、リニューアル中でまさかの休館でした
もうリニューアルされて入れると思います
タイミング悪し・・・でした
聖十字架教会からまたバスに乗って、ワルシャワと言えばココ、世界遺産でもあり観光地でもあるところへやってきました
バルバカン
16世紀中頃、旧市街を囲む市壁を強化するために建設されましたもの
旧市街を囲む市壁に付随しているバルバカンは、バロック様式の砦で、馬蹄形をしており、その形の砦は大変珍しく、ヨーロッパでもワルシャワのバルバカンを含め、3つしか現存していないそう
ナチスドイツにめっためたにされたので、その後再建されたものです
この城壁の中に、一番の観光名所の旧市街がございまする
色が、建物の色が可愛い
世界遺産のワルシャワ歴史地区
旧市街のマーケットプレイスです
真ん中には有名な人魚の像
ココも市民の手によって、完全崩壊した街を以前のように寸分たがわずに再現したらしいです
もうポーランドの方の意地ですねっ、自分たちの住む街を愛する市民の意地です
どれだけ戦争で辛い思いをしたかが偲ばれます
おもちゃみたいな建物ばかりです
この広場に出た時、マジで感動いたしました
新しい再建されたものだとは分かっていますが、この色遣いにひたすら感動していました
オランジュレの好きな色が全てココにあるっ
嬉しくて仕方がないそんな瞬間でした
ランチはこのマーケットプレイスに面しているレストランで、ポーランド名物の餃子、ピエロギをいただきました
うーん、普通かな・・・
パンはしっとり系
ディルとクリームチーズが挟んであります
これ、どんな味だったかもう忘れてますわ・・・
食べたことすら記憶に無い(笑)、ヤバい
ランチ後、仕切り直していよいよワルシャワ王宮
こちらもめっためたに壊された建物です
一体ドイツはどこまで無茶苦茶やったのか・・・
中は見学できます
ちょっとややこしいところから入ります
まっヨーロッパの城の中って感じです(笑)
三馬鹿はこの時、まだパリに足を踏み入れていないので、実質こういう豪華絢爛な城を観たのは、ココワルシャワ王宮が最初です
リトアニアはすこし雰囲気が違いましたからね
ワルシャワ王宮内はフランスの宮殿内に近いものがあります
絵です・・・
これがココ、ワルシャワ王宮の戦後の壊滅状態
この状態からよくここまで元通りにしてくださいました
故にこうやって遠くアジアからオランジュレ達が見学できるわけです
何処の国もお互い、戦争の爪痕はしっかり展示しないといけませんね
そうするとよく分かるんですよ、一目で分かりますもんね
ポーランドがドイツにめった刺しされたとか、そんなん世界史ゴリゴリにやった人しか知らんでしょう
基本近所同士、近隣ほど戦争するんですよ、仲が悪いから・・・
日本・朝鮮半島・中国然りですよね・・・
まっそうなるように巧みに悪い連中が罠を仕掛けまくってるからこうなるんですけどっ
いい加減皆さん、気が付きましょう~
だから中国は嫌いッとか、北朝鮮はヤダっとか言ってる場合じゃないってことっ
仲を悪くさせる巧みな悪い連中の術中にはまらないってことです
流行りの分断ってやつですよ、いつの時代もねっ、ねっいい加減に気づけやって
コロナ祭も同じですよ、歴史は繰り返しています
1975にはこのように今の状態近くになっていますねー
でもまだこの頃は社会主義国でしたよね・・・
元々のポーランドは色とりどりのしかもくすみ色の素敵な建物を建てる国だったということが分かりました
ということは、街中の地味な味もそっけもない暗い雰囲気の建物は、やはりソ連の名残だということです
リトアニアだけでなく、東ヨーロッパの暗い歴史を垣間見ることができました
ちょっと暗く真面目になってしまいましたので、次は明るく美しく、そして美味しい話にしたいと思いますっ
ではっ