こんばんは、過ごしやすいいい感じの気候が続いてて気分が良いオランジュレです。
なぜ日本はこの気候が長続きしないの~(笑)
よい気候の間にしっかり休息したいと思います←休憩ばかりだな
さてしばらく重いムードの旅行記続きます。
前半↓、後半↑行きたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
このために沖縄まで行ったのだから、記録残しますっ
次の目的地は「ひめゆりの塔」です。
入り口でおばーちゃま方がお供え用のお花を売っています。
事前にネットでおばあさんが花を押し売りしてくるからヤダみたいなことが書いてありましたが、確かに営業はしてきますけど、何のためにここに来たのかを考えればこのお花は必要かと~、むしろ買ってください(笑)
オランジュレ家は二つ買いました。あれ一つだったか?
人数分買わされそうとかいうことだったのかなー、こういうのは気持ちだから気にすることないと思うんだけど。
案内図です。
沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑で、現在の沖縄県糸満市にあります。
これがその慰霊碑です。
暗いですが、手前の黄色っぽいのがその供花です。
いくつあっても正直足りないほどの辛い歴史が流れているところ。
沖縄には自然にできた洞窟??ガマと呼ばれるのですが、そういったところに軍の司令部や軍の病院などが置かれました。
この中です。
元々ココも地元住民の避難壕だったのですが、軍が横取りしてるわけですね・・・。
そして今の高校生ぐらいの年齢の女学生に負傷した兵隊の看護をさせていたわけです。
その後戦況が酷くなると、解散命令を出して病院機能は失われます。
出たら死と直面する状況で、女学生たちは外にほっぽりだされ、そして次々に命を失っていきます。
資料館前にて。
門をくぐると藤ではない、素敵な紫の花が咲いていました
沖縄ではこちらでは見かけないお花が沢山咲いていました。
三月なのにコスモスも咲いていたり~。
ハイビスカスが普通に生垣や道路の街路樹にされていたりします。びっくりです。
資料館の中は撮影禁止だったのが残念ですが、ひめゆり部隊がどのように徴集され、そしてどのような活動をし、最後はとんでもなくむごい死に方を強要されてしまったのかを目で、耳で、肌で感じることができます。
とても涙なしには見れない資料館です。
生きるか死ぬか・・・。
同じ学校の友を見捨てていかなければ、次は自分が死ぬという究極の選択を何度もさせられるひめゆり学徒隊。
そして前回も蛆について書きましたが、けがの治療などほとんどできるわけもなく、傷に群がってる蛆を取る役目だったとも・・・。
簡単に取れるものではなく、内臓に食らいついているのをひっぺはがすので、負傷者がとんでもなく痛がるとも・・・。
そういった方々は、状況が悪くなると捨てていかれる=死だとも。
それを淡々と三馬鹿と同い年くらいの女の子がやっていたという現実。
かなり厳しいものがありました。
この手の手記や、写真、体験を語られる映像など、沢山展示してあります。
理不尽です、本当に理不尽。
書いてる今も涙で出てきます。
ココは是非一度行ってみてください。
行く価値ありだと思います。
やはり足を運ばないと分からない
頭ではわかっていても、実際見るのとでは大違い
こんなむごい体験は二度と起きてほしくない
だからこそ自分の目で見てほしいです、きな臭い今の世の中だからこそ・・・