ここ数日、『獣の奏者』を読み返していて
どっぷり上橋ワールドに浸かっておりました😊
本というのは不思議なもので
手でページをめくり
目で文字を追っていき
それを脳ミソで処理するという
めちゃくちゃ外の世界の解析という作業でありながら
内側に映像がうかび
その時々でちがう質感の風が吹き
音が響き、声が聞こえ
そして読み終わった後にも
その世界は内側に在り続ける
わたしが忘れてしまわない限り
良質のファンタジーの世界は
ファンタジーでありながら
やはりどこかに実在していて
作家というものは旅人と同義であり
その世界を最初に旅し
世界を見聞きし
そしてそれを語るのだろうと思います
🌖
その昔
小説家になりたいと漠然と思い
いろんな設定やらプロットやら書き散らしていたことがあった
けれど
実際にカタチになっていくものは
そうやって頭でこねくりまわしたものではなく
ふと、どこからかやってきたフレーズであったり
ふと見えた景色であったりして
それもわたしの意のままに進めようとすれば
いずれどこかで破綻し
終わりまでたどり着けなかったり
当時のわたしは
どこかに物語のなる木があって
わたしたちはその実をもいで来ているのだと思ってた
正しく調理し、咀嚼すれば
それらは血肉となり
正しく物語として紡がれるのだけど
変に手を加えようとしたり
その木までたどり着けなかった時には
物語には成らないのだと
🌖
わたしの好きな
骨太のファンタジー世界を描く人たちは
グランドトラインの方が多くて
上橋菜穂子さんも
わたしは長く潜水するチカラがなく
今の星読みも
ホロスコープという魔法陣があるから
たどりつけるのであって
世界をまるごと写しとるだけの器がないのかもしれない
グランドトラインをお持ちの方々は
おそらくわたしの潜水とは
また違った感覚なのだろう
もうひとつの世界までの距離が近いのかもしれないし
水鏡のように開いておくことができるのかもしれない
決して
小説家の方々が楽々と書いているとかではなく
自分の人生と並行して
すぐ近くに躍動する別の世界があり
ことあるごとに光や音が重なり主張を繰り返し
書き留めずにはいられないのだろうなと思う
完全調和の世界とも言われるグランドトライン
これを持っている人には
この世界はどんな風に見えているんだろうね