最近、たぶん30年ぶりくらいに

「窓ぎわのトットちゃん」を読み返してる





初めて読んだのは小4の頃で

学校が好きじゃなかったわたしにとって

トモエ学園は憧れだった

ただひたすらワクワクしながら

何度も読み返したのを覚えてる



今改めて読んで

まず驚いたのは句読点のてん「、」が

すごく多かったこと


「、」が必要以上に多いと読みにくいイメージしかなかったんだけど

全然そんなことなくて

ちゃんとリズムがあって息吹きがあって

むしろ読みやすく感じる



そして

ワクワクよりもいちいち泣ける😭


小林先生の手のぬくもりだったり

電車が悠々とトレーラーに引かれてやってくるところだったり


なんでそこ?ってとこにも何か反応してじんわりしてたり


「それからさぁー」の子に

話したいことあったじゃないか!って

小林先生が言うところとかも

なんか最近の自分と重なって泣ける

よかったねぇ…!!



それから

あんなにワクワクしながら見ていたものも

大人目線だとハラハラする💦


泰明ちゃんを自分の木に招待するところとか

あれどうやって降りたんだ??


新聞紙とか砂山に飛び込んじゃうのとか

耳ぶらーんになっちゃうのとか


1年生のちっちゃな子が

しかもあんな、興味のある方にひとりで突っ走っちゃうような子が

転校早々ひとりで電車に乗って新しい学校に通うのとか…!


うちの子が1年生の時と比べたら…😱💦

自閉症スペクトラムの診断もらって1年くらいの頃

家から学校まで徒歩30秒だったから普通に送り出せたものの

(それでも門のとこから学校に入っていくまで見てた)




大丈夫なの!!??

って

超ハラハラする😅


こういうのも含めて

どーんとこどもを信頼できちゃう人は

何人も育てられるんだろうな……尊敬

こどもひとりで手一杯

むしろ自分ひとりで手一杯😅



🌖🌖🌖



そして、今回特に気になったのは

小林先生のこんな言葉



「文字と言葉に頼り過ぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?」



なんとなく、これ、戦後のイメージだった

Facebookとかでシェアされてた何かを見たんだったかな🤔

第2次大戦後、GHQの政策なんかで

日本は魂を抜かれてしまった、的なアレ


でもこのトモエ学園は

戦争の最中に焼けてしまったから

これはそれより前の話で



戦後の政策が、とか

そんな話じゃなかったことがちょっと驚きだった



そして

ちょっと前に

amical®️のアミさんのこの投稿を見て

思ったことを思い出した

https://www.instagram.com/p/CombEuPyMca/?igshid=YmMyMTA2M2Y= 



コメント残しててよかったわ♡



アミさんは、怠惰だと書いているけれど
amical®️は怠惰というよりも
アミさんがアミさんとして生きるために
全力で、やりたくないことはやらない
全力で、やりたいことだけをやる
むしろそんな
カラダと自分をゆるすために
とことんまで心をストイックにして生まれたものだと思うんだけど


まぁそれは置いといて(←置いとくんかい)

「勤勉、体系化」と「怠惰、カオス」
というものについて



この世には大きくざっくりわけて

いわゆる勤勉と言われる
しゃっきりスッキリして、分かりやすく整然としているものが好きなタイプの人と

いわゆる怠惰な部類にされやすい
勤勉タイプの人がつくったものから
なんかしらんけどはみ出してしまう
カオスに愛された人が

いるような気がするんだけど
もちろんその、勤勉と怠惰のなかでもいろいろ細分化されるんだけど


この教育っていうものも
効率よく広く教えられるように
先人が日本の発展のためによかれと思って
体系化したのがスタートなんだろうな、と思う


でも
ブッダやキリストの教えが
御本人様から弟子に伝わり
弟子が普及させている間にちょっとずつ本質と違うものが入ってしまってるように


戦後~高度成長期~バブル~とか
時代が移り変わっていくうちに
社会が変化して価値観が変化するとともに

ちょっとずつ
教育だけじゃなくいろんなものが
本質からずれていってしまっての今なんだろうなって思う

今フリースクールもそうだけど
高校なんかも
今はサポート校ってのがめちゃくちゃあって
過渡期にいるよな、って

ひとりひとりに合った教育環境を、って
うたった学校がたくさんある



そもそも
何かを後世にのこそうとしたときに
体系化したものを
口伝(言葉)か書物(文字)で伝えることになるし

この言葉っていうのがある意味やっかいで
ある程度の単語の意味はみんな共通認識として持ってるけれども

「愛される女性」とか
「至福の時間」とか
なんかそんなふうになってくると
いろんな概念がくっついてきたりして

いや、そもそもの単語でも
「愛」って言われてもイメージすることが
人によって全然違ったりして

共通認識だと思っていたものが
全然共通じゃなかったりして
カオスを含んでる……

本来物事ってカオスから生まれてくるから
人も世界もどうしたってカオスでしかない

けど
言葉はスムーズな伝達のためにつくられた
物事の表面を削り取ってできたかつお節みたいなもんだから

その深みもあわせて受け取らないとふわふわ飛んでいって乖離してしまう


最初の句読点のはなしに戻るけど
「、」が多くても読みやすかったのは
それがきっと
こどもも読みやすいように、とかそんな気遣いからじゃなく
徹子さんの、おしゃべりはとっても早口に聞こえるけど
きっと御本人はいつも、あんな風に一言一言に思いを乗せて喋っていらして
それがそのまま本になったからなんだろう



言葉ってわたしたちを動かすために
ものすごく重要なんだけど

それでも他者との認識という部分では
コミュニケーションをしっかりとって
意味のすりあわせをしていかないことには
実はあんまり万能ではなかったりして

体系化、マニュアル、それありきで
そのルールだけが伝わって
心が伝わってないようなことって
ままあるんだなと思った




なんかさぁ!
そんなところを、星読みでカバーできんかね!?
って、毎度思う😳

カオスであり秩序
個でありながら多様性

ホロスコープみてるとその両極を持ってて
それこそが自然とか宇宙の真理で

これをなんかこう、うまいこと
教育とかにも組み込んでいけんものかね、と

うまいアイディアが浮かばんし
わたしにはそんなたいそうなことできんよって思っちゃうけど
前から繰り返し浮上するってことは
なんか小さなカケラだけかもしれんけど
わたしの担当なんだよね、、たぶん

なーーーんも思い浮かばん!

けど、なんかそういうののために
今できることを、やるわ

そういうのってどういうのよ?
って、自分でもイマイチわかってないんだけど😂

とりあえず宣言✨

いま伝えたいことがぽこぽこ出てきてるから
それをどんどんブログにしていくね🥰


トットちゃんの感想から
なんか予想外なとこに着地してしまったわ😂


🌖🌖🌖🌖🌖🌖🌖


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