マンガが好きでよく読む


おとといは、

「ミステリと言う勿れ」の新刊が出てたので

最初から読み直してた


その中に

「こどもの心は固まる前のセメント」的な表現が何度か出てきて

わたしは毎度刺さる

スクショ載せたいけど著作権的なアレがあるかもだから

詳しく知りたい人は読んでね




わたしも息子のやわやわなセメントに

いろんなものを落とした


落としたくて(傷つけたくて)やったわけでは決してないけど


未熟だったり、他に術を知らなかったり

苦しくてそういう方向にしか力を使えなかったり、いろいろ


傷になってほしくないと思うけど

そればっかりは本人じゃないとわからないし

どうすることもできないのだ




わたしのやわやわだったセメントにも

きっと物心つく前からたくさんのものが落とされただろうな、って思う


大人になって

ひとつひとつ振り返ってみて


セメントにできた穴ぼこは

仕方がなかったことと

どう考えても理不尽なこと

どちらもあるな、って思う



仕方がないことだってわかった今も

理不尽なこと、自分的に許せなかったことって

なかなか癒えない


人に共感してもらっても

苦しかったねって寄り添ってもらっても

それを本当に許して昇華できるのって自分だけだもんね


























わたしは難産で産まれた


日曜日うまれのこどもなのだけど

産まれた産婦人科の先生が日曜日はテニスをするのが習慣の人で


土曜日から入院してた母を置いて

テニスに行ってしまったそうだ


助産師さんはおらず

あとは看護師さんがひとり


その間に陣痛が進み

お昼頃帰ってきた先生は

こりゃヤバいねってなっちゃったらしい


昭和50年代後半ではほとんど事例がないらしい鉗子分娩

産後の検診で、危険だから僕もうずっと鉗子分娩はしてないよ?と先生はのたまったそうだ

(あなたのお産で使った?嘘でしょ?的なニュアンスで)

(ちなみにその産婦人科はわたしが産まれてしばらくして無くなったらしい)




わたしも心臓に雑音があったり

股関節脱臼だったり

胃の幽門部狭窄症だったり

いろいろいろいろあったけど


鉗子分娩で引っ張られた影響で

母は内臓が全体的に下がったし

子宮脱に近い状態になった


そんななのに

産婦人科から家まですぐ近くだから歩きなさいって言われて、退院して坂道登って歩いて帰ったとか

産後まもなく実家で寝てたら病気じゃないんだから動け、家事を手伝えと言われたり

近所の人が赤ちゃん見に来るのに化粧もしないなんてみっともない、ちゃんとしなさいと身支度を整えさせられたり

まぁいろいろあったらしい

あの親子も昔からいろいろあるらしい

産後はマジでゆっくり休まないと、更年期くるの早くなるし、めちゃキツそうだったよ!!




今この話を聞いたら(定期的に愚痴るんだよね)

自分の身ぐらい自分で守りなよって

親のせいにしてんじゃねーよって言いたくなるけど

いっぺん言ったら超険悪になったし、キツかったから今は逃げてるけど



小さい頃から何度も聞いてるその話は

やっぱりショックだったよね


だって物心ついた頃には

わたしは人よりどんくさいしのんびりだったけど

あるいたり走ったりできる

おまけによく喋る、普通の子だったから



わたしはどこも悪くないのに

おかあさんはわたしが産まれたから体が悪くなった


わたしのせいでおかあさんはきつい思いばかりしてる




わたしはたぶんこのショックを感じたくなくて

ぼこぼこのセメントを上から氷漬けにした


ようやくわかった

わたしがいちばん感じたくなかったのは

これだった






わたしは一人っ子だもんで

母親の視線が常に注がれてきたけど

見張られてるように感じられてきつかったし

長時間怒られるのが苦痛だったし

心から「ごめんなさい」って言わないと

お説教が終わらないのがなにより苦しかった



わたしは今世

「わたしの真実には自力でたどり着く」

「全部自分で謎解きして、自分で気づいて成長する」

って約束してきてる



その約束をねじ曲げないといけなかったわけで

でもほんとは絶対曲げたくなかったわけで

でもそんなこと言語化できなかったし


意地っぱりの強情っぱりで可愛げがない

ってずっと言われてきたし


実際意地っ張りじゃなきゃ強くなれなかったから

わたしは強くなりたかったから

負けるもんかって思ってた


外でも泣かなかったけど

家で泣くのはもっと嫌だったし


家は安心して甘えられる場所ではない認定をしてたけど

それを悟られるのも嫌で

普通のフリをしてた


まだ幼稚園ぐらいの時の話ね






ここ数年

心のことを学んだり

いろんな人のブログに触れたりして

ダメでもいい、とか

ダメなままで愛されてもいい、とか

いろいろやってみたけど


その時はそうだなぁって思うけど

あんまりピンときてなかったり


うんと小さい頃にシャッターおろした何かがあるのは気づいてたけど

それが何かはわからなかったから

ながらく手探りだった




ダメな自分は愛されない

ダメな自分はみとめられない


じゃなかったんだよ




しっかり自立しなきゃ

良い子でいなきゃ

心配かけちゃダメ

怒られるようなことしちゃダメ


じゃないとわたしの自由が奪われる!!



だった



誰かの評価が得られない、とかじゃなかった

外側じゃなかった


わたしが危機を感じて

わたしが自分に課したこと



それから



いいこでいたいけど

できる範囲でいいこになるけど

わたしの心の底はいいこじゃない

(あなたの言うとおりにはできない)


いいこになれなくてごめんなさい



だったの





はぁぁ

長かったなぁ


やっと始まりの場所にたどり着けたよ



もう

いいこになれなくていいし

人と全然違っててもいいし


そのままでいていいんだよ


もしかしたら

わたしはうんと泣き虫かもしれないし

わたしはうんとヒステリックかもしれない


言うことがコロコロ変わって

もしかしたら人を振り回すのが大好きかもしれない


へにょへにょに弱虫で

すぐに逃げ出してしまうかもしれないし

超絶無責任で

ぜーーーんぶ人に押しつけてぬくぬくするのが好きかもしれない




それでも、いいよ

って思えたら、泣けてきた





セメントは

練り直すことができるのかな


穴ぼこの周りに額縁を置いて

花で飾ったりして

アートにすることもできるのかな



どうせ消えないのなら

うんときれいにしてあげたいよね