おなじだけ、鏡のように、

居なければと思ってたみたいだ



「好き」も「嫌い」も「どうでもいい」も

相手と同じ分量なら

お互いに傷つかないから







わたしは友達だと思ってたけど
相手はそうじゃなかった

相手も友達のように接してくれてたけど
影ではわたしの悪口で盛り上がってた

そんな昔のみじめな思いから生まれた
わたしの鏡の法則







最近
どうやら嫌われたらしい

嫌いですらないのかもしれない
色褪せるようにどうでもよくなったのかもしれない


確かめる勇気もないし
そんな必要もないと思ってるけど

なんかずっと引っ掛かっていて


なにか気に障ることをしたかなとか
迷惑だったかなとか
気を抜いたらあれこれ考えている






少なからず自分の心の動きに敏感になった今
嫌いなら嫌いで結構!と
拗ねて興味がないふりはもうできなくて


かといって
わたしのことどう思ってるの!?
って詰め寄るほどの熱があるわけではなく

さざなみのように好きで
さざなみのように尊敬してる
さざなみのように感謝してる



今までのやり方が通用しない今
どうやって折り合いをつけたらいいのか
わからなくてぼぉっとしている


わたしこんなふうに
じわぁっと傷つく人だったんだな
だから人と関わるの苦手だったんだな







離れたいと思ってる人から
SNSにリアクションついたら嫌じゃないかなとか

ブロックされてるわけじゃないから
大丈夫なんじゃない?とか


いちいち考えていることに気がつく
そりゃあ疲れるよ

新たな視点だなぁ




そして
ずっとわたしのそばに居てくれる人は

鏡のように好きだったり
鏡のように時々どうでもよくなったり
鏡のように理解できなかったり
鏡のようにどんびきしたりしながら

ずっと鏡のように居てくれる
奇跡のようだなと
改めて思う

ありがとう