真実とは何か?-「ハゲワシと少女」から | 総合マネジメント事務所エスパスミューズ

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「ハゲワシと少女」


スーダンで撮影されたこの衝撃的な写真によって、写真家のケビン・カーターは1994年にピュリッツァー賞を受賞しました。

この写真をご覧になって、みなさんどう思われますか?


「ハゲワシが、飢餓で力が弱り動けなくなっている孤独な少女を食らおうとしている。」

この写真を見て、写真家ケビン・カーターのもとには、「撮影よりも少女を助けるべきだった」という非難が殺到しました。

ピュリッツァー賞受賞後の1か月後に、ケビン・カーターは自殺しました。


わたしたちはこの写真がなければ、同じ地球上にこんな姿で苦しんでいる人々がいることを知ることはできません。一方で、先進国の人間が見るための写真撮影を、命の危機に瀕している少女をほっといてでもするという行為は人道的に許されることでもありません。この写真は、「報道か人道か」というテーマの議論を巻き起こしました。


しかし、真実はここにはありませんでした。


実は、ハゲワシは少女を狙っていたわけではありません。少女は、孤独で、飢餓によって動けずに狙われ続けていたわけでもなかったのです。

ケビン・カーターの前に、母親が自分の用をするのに、ポンとこの少女を地面に置いたのです。初めて飢餓の取材にあたったケビンは、驚きやショックから飢餓の人々を撮り続けていたときのことでした。
たまたまその少女にもカメラの焦点をあてると、その後ろにすーっとハゲワシが下りてきました。ハゲワシが逃げないようにシャッターを切り、何枚か撮り終わったところで、ハゲワシはまたすーっと消えていったと、共に取材にあたっていたケビンの友人が語っています。


うーーーん・・・真実とは何でしょうか?

わたしたちは、こうした情報の一部を見て、自分たちの価値観や先入観から、自分勝手に物語を推測し、判断していることが多々あると思います。判断するまでならいいのですが、相手を攻撃・非難するところにまで及んでしまうと、悲劇を生み出す以外はないでしょう。

わたしたちは主観で生きているわけですから、100%客観的であることは不可能だといえます。しかし、自分の主観の座標で物事を見ているんだという自覚を常に忘れてはいけません。あらゆる状況において、他との交流を通し、自分の主観を修正しながら生きていかなければならないことを、強く感じます。


情報を読み取るということの恐ろしさ、むずかしさ、大切さを、思い知らされる件ですね。



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