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どうしても、前より〇〇ができるようになったわたし にフォーカスが入りますし、それは当然のこととして、放置してきました。

 

前の自分と比較して何かができるようになることは嬉しいし、その嬉しさを味わいたいからですね。

 

でも、とうとう、そこをガイドに明確に指摘されたと捉えました。(前々から言われてるけど、そこにわたしのフォーカスが入っただけかな。)

 

明確に、以前より〇〇ができるようになった…みたいに発言するときもあるけれど、発する言葉の端々にその意識が捉えられることをちょいちょい出してくるよね、と何回か言われました。

いわゆる「進化報告」

 

うん、知ってる…けど、やっぱり嬉しいとか、喜びを投影するのは当然でしょう、という位置にいるのが、現在地。

 

別にガイドもそれを否定しているように言っているわけではなく、わたしがただ、それはダメなのか…と否定を投影しているだけですが。。

 

ガイドは、わたしがそういう発言をするたびに、そういう意識なんだねと思う、そこにフォーカスがあることがよくわかる、と言いました。

 

ガイドは単に事実を述べてるだけですが、それに否定を投影しているだけなんだよな〜そして、それが現在地ですか、何か問題ですか?(反発) とさえ思ったわたしがいます(わたし最高位)

 

その時のゆかさんの補足説明で

無限にあると、無限だからどこと比較する、みたいにならないし、比較しようがない

けれども、二元構造は閉塞的だから、その中にいると、比較したりして進化に嬉しさを投影(フォーカス)するのは仕方ないですね とありました。

 

しかし、「ゆだねられてない」から「なるようになれない」

もし、思い通りに進んでるか(=自我)に無関心であれば、どこにいるか気にならない

そんな現在地です。

 

 

いつも、わたしが霊性進化を継続してみよう…と思えるのは

 

この無限の世界とか、二元意識から解脱した世界にとても興味があるから。

それだけです。

 

どんな感覚になるんだろう、どんなわたしになるんだろう(自我のわたしではなく)そこへの興のみ。

 

獲得意識っぽくならないように、でも、そこへの興がわたしを動かしてくれてるので、引き続き、その興を追っていきたいと思います。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました★

それではまた〜