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セッションで指摘された「敢えて筋トレをやらなくてよい」

そこからの「日常にそれを入れていく」というのをやり始めています。

 

まだうまく取り入れられてないですが、例えば、デスクワークをする際は、腹筋と背筋に意識をおいて、姿勢をピンと保つようにする、など。

元々普段の姿勢などはできるだけ意識するようにはしていましたが、筋トレの代わりに日常にそれを取り入れていく となると

なんというか、もっとちゃんとやろう、という感覚になっています。

(また「ちゃんと」というマジメモードと言うか、やらなきゃモードにならないように注意だな・・汗)

 

確かに、姿勢を真っ直ぐに保ち続けるためには、けっこうな腹筋と背筋、その他の筋肉を使うなぁ~と感じます。

次は、ウォーキングの際に、歩き方や腕の動かし方などの中に、足や腕の筋肉に意識をおいて、日常の中に 筋肉を鍛える をどんどん取り入れていきたいと思ってます。

「やらなきゃ」という義務感ではなく、楽しくね♪

 

 

その時に説明してもらった内容でなるほどなぁ~と思ったのは

 

筋トレの体勢は、日常にない体勢になって行うものが多い。

(アスリートのような仕事として筋肉を鍛える必要がある人以外の話)

ということは、身体に負荷もかかる。

 

(アスリートとかではなく)一般の人は、日常にある動き中で体重を支える筋力があればいい。

だからこそ、日常にない体勢ではなく、日常にある体勢の中で筋肉を使って鍛える ことが大切。 

 

ということでした。

 

そう言われつつも、でも筋トレという時間を敢えてとって、筋トレやりたいな、と思っていて

どうしてそういう思考(~したいという欲)が出てくるのだろう、、と思っていたら

あ~日常をサボりたいからだ、とわかりました。。

 

普段の姿勢を意識する というのは大切ですし、そこを意識して保てるなら、筋肉もつくだろう というのはわかっているわけです。

でも、日常のあらゆる姿勢において、腹筋や背筋などに意識を払う のが億劫だから、筋トレという敢えての時間を作ってそこで鍛えているんだから、日常はだらっとしてもいいよね、というある意味免罪符にしたいからだ、と気づいたのです。

 

もちろん、だらっとした時間を取ってはいけないという意味ではないですし、

だらっとした態勢をとったっていいんですが、

1日のうち数十分ちゃーんと鍛えているから、後の残りは意識しなくてもいいでしょ、という何とも怠惰な、楽したい意識が表れているなぁと思ったわけです。

 

意識の鍛錬と同じだな

観察者の常駐は程遠いですが、観察者を意識して立てようとしないでぼーっとしている時間があるし(というか、そういう状態で過ごしているときはまったくその状態に気づいてないのだけど。。)

それで仕方ないと思っているわたしもおりまして。

筋トレやっているんだから、日常において姿勢を意識しなくてもいいんじゃない? という構造と似ているなぁと思いました。

(怠惰で、楽したい意識)

 

特別な時間においてではなく、普段という日常の中で姿勢(筋肉)も意識の鍛錬の方も意識していきたいです。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

それではまた~