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先日運転中に、1年前くらいのセッションの音源を聴きました。

いつもは、だいたい直近の音源を聴くことがほとんどなのですが、何となく今回は前のを聴いてみようと思って聴きました。

 

わたしの認識ですと、わたしは二元意識にいますから、「孤独感」というのは常にある 状態だと思っていて

それにフォーカスしているか、していないか だけの違いだと思っていますが

最近、「孤独」に関してフォーカスした思考をしていたことに気づきました。

 

わたしは独身ですし、子供もいませんし、年老いた母と一緒に暮らしていますが、母がこの世界を去ったら一人だなぁ~というのはどうしても時々考えてしまいます。

(今この瞬間に意識がない状態ですね・・)

 

さらに、子供がいたり、パートナーがいる友人と会ったりして、彼女らと自分を比較すると、わたしって一人だなぁ~という思考をよくしていたのでした。

(比較意識が働いていますね・・)

だから、寂しい😢 とはならないのですが、「孤独」に超フォーカスしていたわけです。

 

少し前に聴いたそのセッション音源では、その「孤独」を創造する仕組み(システム)について説明をしてもらっていて

わたしが発したあるコメントに対して、ガイドからは「友達なんていなくていいじゃん」と言い放たれていました(笑)

 

あぁ~「孤独」に関して意識がフォーカスしていたなぁと、音声を聴いてやっと気づけた次第です(;^_^A

 

観察者が常駐してないから、「おいおい、今に意識がないぞ」とツッコミが入らず、フォーカスしていた状態ですね・・・

ほんと、「意識的」にならないと、と思います。

スピリット(という自分自身)が、セッション音源で知らせてくれたのかもしれないですね。

 

 

 

そして、今日はもう一つネタを。

 

一緒に住んでいる母が、1週間くらい咳が出ていて、痰を出しまくっています。

咳って体力も筋肉も使うから、背中が痛いとか、体力消耗してて辛そうだなぁ~と思います。

 

いわゆる「体にとってのいらないものを出している浄化」だとは思っていますが、これって、わたしの昔かららいろいろと母に聞かせていた(放っていた)不平不満だったり、「想い」の吐露の影響が大なんじゃないか、、と思ったりしています。。。

 

もちろんそれだけじゃないでしょうし、溜めてきた 母の課題でもあるとは思いますが、

前回のセッションで、どうしても2日くらい「怒り」に嵌って、ちょっと母にも愚痴ってしまった、、ということを言ったら

ガイドに「お母さん具合悪くならなかった?」と言われたのを思い出しました。

 

ということもあり、「想いの吐露」も辞めようと先日誓ったわけです。

 

ガイドには、同僚から愚痴を聞かされていたことに対しても、「それでいいのか?愚痴や不平不満のエネルギーの影響を受け続けているということだよ」とも言われていますし

もっと、放つエネルギー、受けるエネルギーにも注意を払っていこうと改めて思いました。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

それではまた!