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現在地として、ぜんぜん自我が最前線で出張っているなぁ~というのを改めて感じている休みの日の朝です。。
先日、学生時代の友人たちと久しぶりに会っておしゃべりをする時間がありました。
以前よりは、外に表現されるパフォーマンスとしては出張るのは減ってきていますが
(つまり、思考はどうであれ、相手の話にかぶせるとか、全然違う自分が言いたいだけの話題を出す という行為自体は減っているということです)
心の中、つまり思考では出張りまくっているわたしがいて、そこからフォーカスを外し続けるというのが全然できません・・
(できません、というか、やろうと決定していない自我様が鎮座しているということですね)
先日の友人たちとは、過去の学生時代とかみんなでどこかへ遊びに行った話題などは共通話題として盛り上がるのですが
現在時点での関心の方向は異なっているので、そういう話題になると、わたしの心の中は、
(そのネタあんまり興味ないな~、わたしの興味あるネタは友人たちとは話が盛り上がらなかったなぁ~) などなど、
結局、自他分離意識で、相手とは共通話題なし、と完全に分離させて、自我の目から友人たちを観察しているだけなのです・・
そして、やっと今朝気づいたのですが、、、、
例えば仕事でも、プライベートでも、とりあえず自我の思考や想いを外へは表現しないでいても、結局それらを流し続けて手放すことができず、大事に掴んでいるので、一番身近な母に大事に掴んでいる「わたしの意見」を共有したり、べらべらあーだこーだと独り言を言っているときがあるのです・・
この「独り言」、ときどきやっているのです(←こわい)
そして、その内容の多くは、○○した方がいいんじゃないの? という余計なお節介(領分侵害)のネタで
あ~こうやってわたしは 他者というもう一人のわたしをジャッジして否定しているんだなぁ~と
わたしの「独り言」という行為は、二元意識を強化する行動グランディングだったんだな、と今更気づいた次第です。
これ、辞めようと思います。
最近、同僚の愚痴の吐露が少なくなってきたのですが、その代わり?想いの吐露をよくきく場面があって、、、、
これって、わたしの放出しているものが還ってきているだけだよな~と思っています。
それと、他者との会話において、思考においても自我を最後尾へと配置し続ける という創造軸を意識したいと思います。
配置しても次の瞬間にすぐに一番前に陣取るので、配置「し続ける」を意識したいです。
最後までお読みいただきありがとうございました☆
それではまた!