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仕事において、あるアプリにおいて、日本スタッフ全員がメンバーになっているチャットグループがあります。
仕事に関係ないような緩い会話・やりとりもしますし、仕事関係でメンバー全員に周知したいことも送ったりします。
そういう場にて、上司が以下のような質問を載せてきました。
いくつ当てはまる?
他人を優先しがち
NOと言えない
感情を表に出せない
甘え下手である
罪悪感を覚えがち
他のメンバーも回答する中、わたしはこれ何のテスト?と思いつつ、答えながら、なんの調査ですか?と尋ねました。
それに対して上司からは、細かい文章は書きませんが、
・上司のお子さんが真面目過ぎて
・社会に出ても通用しないし
・この先、損するのがわかる
・ので、マジメスイッチを切替えできないかと思っている
という内容の返信がきました。
この返信を読んだ時、わたしは
なんだ、子供のことか、仕事に関することじゃないんだ、わたしには関係ないな
それにしても、上司は、子供のこと心配し過ぎだな
転ばぬ先の杖より、転んでからの方が当人も學びも大きいし、そこで回復をサポートする、くらいでいいのでは?
と思考しました。
この事象を観察しました。
わたしはこのチャットの場は、仕事の場であり、仕事に関係ない内容に対して
わたしに関係ない、と振り分けています。
到来する事象はわたしが創造したものなのに、「関係ない」としている、分離意識を使っています。
そして、上司が鏡とすると
「領分侵害」であるわたしが鏡されているなと捉えます。
自我は、子供がいないのだから、子供に対する親の心配はわからないでしょう、
これが通常の親の反応なんだよ、ということを言ってきますが
子供であろうが、赤ちゃんであろうが、他のスピリットへの在り方、生き方に口を出すのは領分侵害と捉えます。
(実際に上司が子供に口を出しているかは知りません)
また、上司のことば
真面目過ぎることでこの先「損する」であろう とありますが
損する=否定
得する=肯定
という損得勘定を使っているのがわかり、これもわたしの鏡ということになります。
あらゆる到来する事象を「損」「得」に振り分けている二元構造を使っているということです。
この上司のネタは、どうやら「プレジデント」というビジネス雑誌からのものらしく、
ちょっと調べてみたところ、「わがままに生きる」という題名の号がありました。
上司が参考にしたのはこの号かなぁ~と思いつつ
「わがままに生きる」って捉え方(観点)で全然ちがった解釈ができるよな~と感じます。
わたしが「わがままに生きていいよ」と言われたら、自我200%で生きると思う。
出張りまくって、自我の好き放題にやると思う。
上記5つの全ての質問に対して、「YES」となるような人にとっては、最初の自己解放 という段階へ至るための
ひとつのフェーズとして「わがままに生きる」というフレーズが響くのでしょうか。。
最後までお読みいただきありがとうございました☆
それではまた!