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前回のセッションの音源を聴いていて、わたしのその一言、要らなくない?と

違和感というか、その発言がとても浮いている(馴染んでない)ように感じたところがありました。

 

発しているときや発した直後もまったく気にならず、普通に発していたのですが

あとから聴いてみると、それ、要らん発言だな、と思ったのです。

聴くたびに感じていたのです。

 

ゆかさんの記事↓を読んでその違和感がなんだかわかりました。

 

 

 

現実の到来で新しい「事象・出来事」と出逢うたび
「自我」を持つわたし達は、瞬間的に「わたし」の
「意識の観点」を通して解釈をしようとします。
通常、それは「無意識的な動作」ですので、
呼吸や心臓の鼓動のように当然に開始します。
なので「気づく間もなく」何らかの現実の発生と
同時に「自我思考」がフル回転し始める。

ここで、もし「観察者の観点」が立っていて
「体験者である自我意識との完全剥離」が
成されていると、「わたし」という体験者が紐づく
「自我の意識場システム」とは別階層に在る
「観察者の意識場システム」が稼働しているので
「出逢った事象・出来事の情報を、わたしという
概念世界の中で、処理・識別して纏めようと
している、自我意識の無意識的な動き」の発動を
明確に観て捉える事が、出来るようになります。

 

 

観察者がほぼ立っておりませんので、タイムリーなその場で気づくことはまったくもってできませんでしたが

つまりは、「わたし」の「意識の観点」を通して解釈をした上での発言であり、その発言が馴染んでないなぁ~と感じたわけです。

 

ちなみに、その発言というのは

 

セッションにおいて宿題を出されたのですが、その宿題内容に関してゆかさんがホワイトボードに図(説明)を書いてくださったんですね。

わたしはその図(説明)を写真に収めたのですが、ゆかさんも収めていたのです。

そのときゆかさんがおっしゃっていたのは

「次回のセッションで何を宿題に出したか忘れそうだから、写真を撮っておかないと。

ガイドが親切に言ってくれるならいいけど、言ってくれないガイドもいて、でもこうして撮ったら言ってくれるんです。」

という内容でした。

 

それに対してわたしは

「他者を頼らず、ちゃんと自分で用意しておきましょう、ということなんですかね?」

と発していて

 

ゆかさんは、

どうなんでしょう、そうなのかな。

みたいな返答でした。

 

そのゆかさんの返しをきいたとき、(あ~ゆかさんは、そこに意味を見出したりしないんだなぁ~)と思考したことは覚えています。

 

当日はそんなことを思考し、あとから音源を聴いた際には、自分の発言に対して要らんやん、と思って、それで終わっていたのですが・・・

 

↑のブログを読んで、あるガイドの行動に対して

ゆかさんは「そのまま」を受け取る、以上。

わたしは「わたし」の「意識の観点」を通して解釈して意味付けしている。

 

ということがわかったのでした。

 

セッションが終わった後のちょっとした会話の際にも、「わたし」の「意識の観点」を通して解釈しているわたしがいるのですから

日常のあらゆる場面で「そのまま」を観るのではなく

わたし解釈を入れ思考しながら日常を過ごしているんだなぁ~と思った次第です。

 

「そのまま」「ありのまま」を聴く、観る ができる割合を少しずつでも増やしていきたいです。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

それではまた!