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前々回くらいのセッションのときに
ある過去に対するわたしの幻想認識について、その事象の創造構造から紐解いて
たしかに、その時のわたしがその事象に差し出したあるコトは、全く別物というか、そこ差し出すの、ちょっと違うよね?!
という認識にはなりました。
でも、当時のような周波数の激しさはないものの、くすぶっている「想い」に囚われていたわたしは
先日のセッションでいわゆる「納得がいかない」という 疑問を投げたところ・・
それって自我の想いだよね、というガイドからのごもっともなご指摘もわたしには響かなかったのですが(-_-;)
他人と暮らす場という「協働共存の場」という意識がゼロだよね、と言われたことで
あ~その通りでした、とやっと、いわゆる納得がいったというか、腑に落とせた、ということがありました。
「わたしが最高位」がデフォルトですので、この「協働共存の場」という意識がとんと薄いんだなぁ~と反省です。
現在の母と暮らす「場」では、母とわたしの2人のそれぞれの場に対する使い方や状態などの認識が大きく異なることはないですし
我儘がまかり通ってきた子供時代から一緒に暮らしている人なので
「家」というのは、「協働共存の場」であること(一人暮らしじゃない場合) という認識がまったくなかったのですが
(今更感、満載だけど)職場や公共の場だけではなく、母と共に暮らしている「家」においても「協働共存の場」という意識をきちんと持っていこうと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました☆
それではまた!