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先日母と一緒に通っているオステオパシー治療院へ行き、そこで治療院の先生と話したことについて観察してみました。

 

もう何回か通っているのでお互いに慣れてきたのもあり、母は耳が悪いのもあってあまり話をしませんが、わたしは自らはあまり話しませんが、話題を振られればまぁまぁ話すので先生とよく話をします。

 

その日は、もちろん対話形式で話は進んでいっていましたが、

先生は、例えば、ご近所の犬がうるさくてもそのお宅に物申したりは絶対しないし、ご近所の行事などは必ず参加をし、ご近所とは良好な関係を築いている、

また、例えば、お子さんに対しても叱るとか怒る ような強く表現することはなく、静かに注意するし、奥様にも文句みたいなものはほとんど言わないとのこと、

小さいころ、おじい様だったか、お父様だったか、喧嘩っ早い大人がいて、よく大人同士がけんかや言い争いをしていて、それがとても嫌だったこと

そのせいか、全然関係ない人が言い争っていたも平気だが、友人やら近い人が言い争っていたりケンカしていると、ドキドキと動悸がしてきてしまう、一種のトラウマみたいなものなのかもですね、、、

という内容を共有してくれました。

 

最近わたしの意識のフォーカスとしていつも出てきますが

まず、先生がご自身のこと、体験などを話されていて、「どうしてこういう内容をわたしに話すのかなぁ~」と

現実と言う果の原因、理由を探す思考をしています。

これ、いっつもあるな。

 

そして、やっぱり「自分だったら」と自分に置き換えて話を聞いているので

「私は、うるさい犬をそのままにしているご近所さんに物申しに行こうと思ったことがあったこと(他のご近所さんに止められたので結局は言ってないが)」

「わたしは両親はほとんどケンカなんかしなかったからか、自分が大いに主張する人になっちゃったかな?」などと思考していましたorz

いつものパターンの思考・反応です。

 

 

先生の話している内容には「穏便に済ます」という表現も出てきていました。

言い争いにならないように、事を荒げないように行動をする(言わない、とか、そういう言い方をする)ということかと思います。

 

この先生や、母のように、「穏便に済ませたいから」「事を荒げたくないから」と「言わない」を選択する方たちがいて

一方で、そういう「言わない」「主張しない」「感覚を伝えない」ことを「なぜ?」と感じるわたしがいます。

(いや、それら、自我の出張りだけどな!)

 

でも、おそらく、この先生や母も「言わない」だけではなく、「伝える(言う)場合は、丁寧に静かに感情的な部分はなしで伝える」という創造もあり、ここはわたしが見習うべきところだなぁ~と思いました。

 

前の記事ですが、神寄木賀集ゆかさんのブログを載せたいと思います。

 

 

 

 

自らが感じている事を
表現し伝える事は大切ですが、

「わたしはこのようにします」
「わたしはこれでお願いします」

等々、一方的に感覚決定を「言い放つ」事は

確かに大きな括りで「表現」ではありますが、

「自我」がベースになっています。

真面目で思考が強い癖があったり、

四角四面に物事を捉える傾向や
自分の感覚を表現する事なく
抑え込む傾向が長くあると、

表現をしようとした時に、
「自我」と「自分軸」を
混同してしまう事があります。

「表現」というのは、
自分自身がどう感覚しているのか、
という事を相手に伝える事ですが、

「自らの思いを押し通す」


という事では決してありません。

「感じている事を表現するぞ」

という事ばかりフォーカスしていると、

「ともかく言わなきゃ」

のような「ねばならない」意識になり、

 

自らが「どんな表現をしているか」を
認識する力が弱まります。

 

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表現のベース意識は「 受容 」です。

 

「嫌だ」という表現をする時も、

 

相手を「受容」するベースで表現する事で、

 

素直に真っ直ぐと響く音を放ち、

 

見事な潔い言霊となり相手に届くのです。


「否定」や「拒否」を、まず「受け入れて」


体験し、自らの「分」を拡大することで、

 

「別の選択をする」という意味での「 NO 」が

 

真っ直ぐに届くようになります。

人間は「ともかく穏便に」やり過ごす、
という事にとても慣れています。

多少疑問に思っても、不一致感があっても、
「まぁここだけの事だし」と、
大したことはない、一瞬の我慢だと、
自らの感覚を簡単に封印します。

つまらない事だし、別に大ごとでもないし、
人生に重要とも思えないことだし、

「これ貰ってもな」「特に欲しくない」
と思うような物も、相手の好意だし
「受け取っておけばいいから」と、

「まぁいっか」をやらずに、

 

どんな些細なことであっても、

 

「何一つ疎かにしない」という意識が

 

研ぎ澄まされた感覚を育てていきます。

波風が立つ事への恐れを外し、

 

その先の大海原をフォーカスし、

 

常に「今この瞬間の自分」を超え、

完全一致の感覚への行動のみを選択し

「クリア」に完結する着地を創るのです。

その小さな創造エネルギーが積み重なり

「生き様」というエネルギーを創造し

スピリットの確固たる軸を立て

「自分軸」と呼ばれる、スピリットの

確固たる感覚軸を拡大していく事になります。

 

 

 

わたしの現在地は、「自我を押し通す」のが大好物、デフォルトです(心の中で思っているだけも含む)

しかし、自らの「表現」をしっかり認識し、どんな表現をしているか、にもっと意識を払っていきたいなと思いました。

「表現」のベースは「受容」 ← これをしっかり頭に叩き込みたい と思いました。

 

「言う/言わない」にのみ囚われているわたしがいますので、そこじゃなくて

「言う(表現する)」際の、自分自身は「受容」がベースになっているのか、に意識を払っていきたいです。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

それではまた!