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家の電話に、古物商として各家庭での要らないものを買い取って商売をしている会社から電話があり、

母が対応していましたが、まんまと要らない式毛布があると言ってしまい、

途中で、耳がよく聞こえない母とわたしが電話を代わりましたが、結局その電話アポを受け、

その日の午後にその会社の営業(?)が式毛布を取りに来る、というアポになったことがありました。

 

その電話アポの方は、とてもうまい流れで、電話アポを取り付けられましたが

(母もわたしも相手の流れに乗って、訪問を取り付けられた、ということです)

その話の最後で、会社のセールスポイントを2つ言っていました。

 

そのセールスポイントを2つ言う前に、電話アポの方、「みなさま驚かれるのですが・・」という前置き言葉を使い、

その会社が行っているいわゆる良いことを説明しだしました。

その説明の中で、このセリフを少なくても3回はおっしゃっていました。

 

わたしは、そんなにみんな驚くようなことなのか?と思考し、先を聞いていましたが、

特に驚くような内容でもなく、それでも長々と会社のセールスポイントを話されるので、

こんなに長々と話す、この方の意図は何だろう??もう、訪問アポは取り付けたのに、さらに長々とアピル意味ってなんだ?と思考しながら聞いていたので、話の内容はちゃんと聞けてなかったかもしれません。

 

そして、午後に実際営業の方がきて、母が対応しており、最終的には貴金属(金)はないですか~、見せてください~な流れになっていました。

特にそういうものは買い取ってもらわなかったのですが、なんだかんだ1時間くらいいたと思います。

わたしも途中相手をしました。

とっかかりの式毛布は2つあったのですが、査定とかで2つのうち1つしか引き取られず、

他、衣類などを引き取って、その営業は帰っていきました。

 

 

電話アポの方に対して起こったわたしの思考ですが、

これは、到来した現実を「ありのまま」受け取るのではなく、相手の意図、そうする理由を探す をやっているというのがわかります。

 

神寄木賀集ゆかさんのブログに、下記のように書かれていました。

 

例えば「これ見てくれる?」と
何かを渡されたら「これをわたしに
見せる意図は何だろうか?」とか、
「何か意図あって見せるのだろう」
等々の思考が同時に働いたり。

すると「相手の意図を探すように、
それを見る」創造になります。
すると「真意」から遠ざかってしまう。

なぜならば「意図を探す」基準は
「わたし」になるので、何かもし
思い至ったとしても、それはあくまで
「わたしが思う意図」に過ぎないからです。

「相手が創る世界の真意を知る」には
「わたしの観点」を使っている限り
到達しないということ。

 

 

ただただ現実をありのまま受け取る ということができておらず、

自我最前線で、しっかりと「意図」を探し出そうと、相手の話を聞いているわたしがいる、ということですね。

 

このありのままを受け取るって、かなり、難 だなぁ、と最近思います。

ほぼできてないですが、意識しまくっていると、自我思考が起こってもスルーすることができるときが時々あるくらいで、、

特に不快な周波数が湧いたときや、わたしにとって意味不明という盲目側が提示されると、「意味や意図」探しをやっています。

この現在地に意識的にならないとな、と思いました。

 

意味や意図を追っていますから、その営業の人もセールスポイントを多々挙げていたのに対して

アピールしたい意図なら、視覚的資料を準備したらいいのに、、という余計な思考まで生まれてました。

 

 

そして、おそらく、電話アポの方は、例えば壊れた食器など、どんなものでも15点までは引き取らせていただきます、と言っていた気がするんですね(というか、それが、わたしの認識)

でも、実際は式毛布を1つ引き取らず、でした。

ここに、嘘つき~と言ってやりたいわたしが登場していましたが、

これも、電話アポの方が説明している際に、この意図は何だろう?とか意図探しをせず、そのまんまを聞いていたら、

こういうことを電話アポの方は言っていましたが・・・と営業の人に言えたのかもしれないな、と思いました。

 

ほんと、自我って、ききたいことしかきいてないし、みたいものしかみてないですね。。。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

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