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今日は観察ネタではなく、雑談チックとなりますm(__)m

 

日々、観察を行っていて実感するのが、我是二元意識真只中 ということです(中国語風←風なのでテキトーですw)

 

真只中ですので、例えば、わたし最高位ですから、思うような現実じゃない現実が到来すると周波数が炙り出ます。

怒りとかの否定的な反応です。

 

仕事でのメール文などの文章を読んで何かを投影して周波数が炙り出ても

それを掴んで相手に投げつける(そっこう返信する)というのはさすがにやりませんが

意識とエネルギーを調えきれずに(そしてさらに希求する波動を携えて)行動グランディングをする

ということはほぼできていないなと思います。

 

怒り ではないにせよ、その怒りをさらっと流しつつも、まだモヤっとしたものが残っている状態で、

返信したりする、ということがまだまだ多いです。

 

そういうのを観察してみると、例えばイラっと周波数を捉え、そこにフォーカスしてしまうと

その周波数に付随する「思考」がばーーーーっととめどなく始まってしまうので

とにかくそこにフォーカスせず、周波数を流すようにイメージします(時には深呼吸とかして吐き出すとか)

そして、さらっと流れたらすぐに返信したりしているわたしがいます。

そのイラっとした周波数が再度湧かないうちに、早く対処してしまおう~と焦っている感じなのです。

隙を与えると、自我がまたあーだこーだ言ってくるから、その前に! みたいな感じです。。

 

ここ、今後意識して、意識とエネルギーを調え、希求する波動そのものになってから行動グランディングを行う、

というのをできる限りやっていきたいなと思っています。

(目の前に相手がいてタイムリーに返さなきゃいけないときは、まだまだ「難」ですが。。。)

 

 

あとは、対母親 です。

母の言動に、たとえば怒りを投影し、「イラっ」としてしまうと、

それを掴んで母に返す、を 仕事などに比べるとまだやっているんですね。

(意識してない時よりは、パッとそのまま情動を乗せて返してしまう というのは減ってはいますが・・)

 

先日の神寄木賀集ゆかさんのブログに、下記のようなことが書かれていました。

 

「わたしだったら軸」を手放して、「自分以外の全ての意識体」を「未知」とする「観察」が有効

 

どうしても、わたし最高位 ですから、わたしの軸が一番、わたしの考えが一番、わたしが一番、、がデフォルトなので

それが当たり前のように稼働していますから、上記をことあるごとに自分に言い聞かせてもいいかもしれないな、と思いました。

 

なんといっても、我是二元意識真只中 ですから、ぼけ~っとしていると、二元意識にどっぷりですから

「観察者」をできるだけ立たせておく、立たせる時間を長くしていく、ということなのだと思います。

 

意識的に過ごす=観察者を立てておく まずはここからかもしれない。。。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

それではまた!