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同僚Tさんと仕事の話をした際の観察になります。

 

わたしが仕える会社は、いわゆるベンチャーからすこし抜け出してきたくらいのまだ若い外資系会社です。

だんだんと拡大していき、売り上げも従業員も右肩上がりで増えていますが、日本支社のメンバーはまだまだ少ないです。

日本支社は、最初はディレクターのMさんが一人でしばらくやっていたので、大きなルールは会社全体であるとしても、細かい点は「Mさんの裁量」でした。

 

もっと少ない人数の時はそれでよかったようですが、人数が増えてくると、それでは全体がうまく回りません。

Mさんは営業で全国まわっているから、すぐに確認することができないこともあり、基本ルールが必要です。

ということで、今までにないパターンが出てくると、じゃあ、どうする?となり、みんなで決める場面が多くあります。

 

で、Tさんと私は女性なので(女性だからということもないのでしょうが)、このパターンどうする?と話す時に、

じゃあ、これはこういう場合も当てはまるのか、じゃあ、こういう基本ルールが出来上がりますね、などなどと、あーだこーだと話すことが多いのです。

(他のこういうパターンではどうなんだ?という思考は、他のメンバーはあまり出てこない模様・・?)

 

先日はTさんとそういう話をしました。

 

ルールはまた全員でMTGする際に決める、となったのですが、その元になるようなわたしが知らなかった情報について

Tさんが説明してくれました。

その情報をもとに作成していた一覧表も見せつつも、通常業務で忙しくて完成してない、とか、

その一覧表のもとになる情報は、会社全体のフォルダのどこだったかなぁ~~~などなど

Tさんも思い出しながら、説明していました。

 

Tさんと話す時は大概そうなのですが、わたしは「長いなぁ~、で、つまりはどういうこと?要は・・?」と思考することが多いんですね。

もうちょっとわかりやすく、簡潔に、短くならないかなー、わたしの欲しい答えはこれだから、そこについて答えをくれればいいのになーーーこんなに時間かかっていいるよ! etc. という自我がとても強いのです。

 

ですので、逆に、昨日のブログ記事にあるように、Wさんの時間をあまり使うのも悪いし、、、と必要な行動に移さないわたしもいるのだと思います。

 

時間を奪う・時間を奪われる という二元意識で捉えています。

これは、観点を俯瞰して、「協働創造の時間」と観点を上げるよう、二元意識に気づいたら、調えていきたいと思います。

自我的には時間の争奪と捉えてしまう現実にも出会いますが、そこには霊性進化を共にサポートし合う協働があるということですね。

 

 

セッションで、言葉通りに聞く観点 と 言葉の奥を聴く観点 2つの観点を使ってください、という内容の話がありました。

これ、まったくできないんですね~

常に、言葉通りにしか聞けない、さらにはそこに自我の装飾をしてしまう。。。

 

言葉の奥を聴く観点とは、自我の装飾とは異なり、「全体の世界観」の中の○○はどういう位置付けで使われているのかを観ること、と教えてもらいました。

(セッションでは○○という言葉のわたしの捉え方、全体の世界観からの位置付けなどを教えてもらいました。)

 

やっぱり、自我の矮小な観点ではなく(←すぐにここに沈むが・・)全体を観る(観察者の観点)がポイントなんだなぁ~と思いました。

 

「全体を観る・全体の世界観を捉える」って、最近意識していますけど、自我の思考(出張り)を掴んでしまうと、まったく全体を観るができないんだなぁ、と改めて実感しています。

自我の出張り思考をただ掴まず流そうというのでもいいのですが、わたしにとっては、「全体を観る」ために思考は流そうという姿勢の方がいいかもしれないなと思っています。

(獲得観点っぽいかもですけど)

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

それではまた~