ことばと手仕事を紡ぐ糸ことはじめ(Atelier Cotton)のブログ

ことばと手仕事を紡ぐ糸ことはじめ(Atelier Cotton)のブログ

草木染めコットンを使ったアロマ手まり、
紙で作るばらのアクセサリー・ロザフィ、
ことばを紡ぐ筆文字、
そんなこんなを綴っています

足立区北千住P-KUN CAFE、麻布Amyさんにてレッスン、
浅草なごむさんに委託販売、
都内イベントに出店などしています

足立区北千住から発信!
いとことはじめ(Atelier Cotton)のブログへようこそ
主宰のきみこです

いろいろ調整中ですが、
そのまま発信!
とりあえず!
糸ことはじめ
きみこでございます





昨年、いろんな過去が全部今に繋がってる
って話を書きました





前回は






家業がお菓子屋さんという話を書きました





父が3代目、兄が4代目のお店なので、
いわゆる本家で父も祖父もそこで育ったという家





一方母は、
同じ区内の町から嫁いできた人で、
おっとりしたお嬢様風の人





昭和一ケタの生まれなので
小学校低学年の頃までは平和に育ったみたい





母の実家は
外国に輸出してたのか?はよく分からないんだけど、
外国人の家庭のベッドカバーを作る仕事をしてたらしい





ベッドカバーを作る町工場だったのかな





家にはキレイな色の生地の原反(巻物)がたくさんあって、
それをベッドカバーに加工するんだけど、
ベッドカバーのフチにたっぷりのフリルが付いてるようなデザインだったらしい




そのフリルを付けるのはおじいちゃん(母の父)にしか出来ない仕事だったそうで、
母曰く、
「針が4〜5本あるようなミシンで縫うと、縫った側からフリルが出来る」ようなミシンだったそう




よくは分からないけど、
ロックミシンみたいな感じなのかなー




そんな仕事で、
母の話を聞いてると結構羽振りの良い家だったみたい





おじいちゃんは歌舞伎が大好きで、
母に近所にタクシーを呼びに行かせて
家から歌舞伎座までタクシーで歌舞伎を見に行ってたとか





あ、母の実家は横浜駅から今なら車で10〜15分くらいのところです




東京の歌舞伎座までタクシーで行ったらどのくらいかかるかわからないけど、
結構な贅沢だったんじゃないかと思いますよね





母は7人兄弟の下から二番目で、
女の子としては一番下で可愛いがられて育ったんじゃないかと思います




習い事も色々してて、
お花、お茶、お習字、俳句、お琴…




家にはピアノがあり、
お兄さんがギターを弾き、
弟がピアノを弾き、
母が歌を歌うってことをよくしていたとか




優雅だ




おばあちゃんは横浜の元町出身で、
多分身近に外国の人が割と居たんだろうと推測されるんだけど、
野球のことをベースボールと言ったり、
耳から覚えた英語が話せて
よく英語の歌を歌ってくれたんだ
とか




のちに私も母からその歌を教わりましたが、
ロンドンブリッジや
トゥインクルトゥインクルリトルスターとか、
テンリトルインディアンとか…




戦争中には
「日本はアメリカには勝てない」
と爆弾発言もしてたとかでかなり面白い人だったみたい





余談ですが、
2度再婚してるので(死別らしいけど)7人兄弟のうち、
お父さんが違う兄弟が何人かずついたらしい




でもみんな仲良しだったというのが母の自慢です




戦前は外国人の家庭のベッドカバーでしたが、
戦争が始まってからはそんな仕事ができるわけもなく
今度は軍服を縫う仕事に変わったそうで




そして戦後は家を焼け出され、
おじいちゃんは仕事が出来ず、
おばあちゃんが英語を活かして進駐軍から食べ物やお菓子などをを買ってきて、
それを売って一家を養っていたんだとか




私が子どもの頃はもう普通の家でしたが、
ミシンを踏む仕事は何かしらやってたみたいで、


「おじいちゃんの仕事場には入っちゃだめ」


と言われたながらも
ミシンを見たりそばにある糸巻きをみたりするのがやっぱり好きだったな〜






ここにも私のパーツがあった






糸や生地の事






そして





英語を話すということ




続く