放置しながら、続けていこう!
とか思っている、今日この頃(*´w`*)
桜の前に咲いていた、黄色いミモザが印象的だった春。
どうも、足元エッセイストたわです
さて。私事ですがい…、とか言って、いつでも私事しか書いちゃいないやんな
Facebookを今、止めております。
んで、今日はその考察。
平たく言うと、つまらんねん
という事です
身も蓋もないんだけどさ
いやいやなんかさ…、背中丸めて小さな画面に時間費やしてる己の姿が、どうかと思ったのよ。
こんなに空は広いってのにさ。
手のひらサイズの世界の向こうは、本当に広いのか?
そこに会いたい人は、本当に居たんか?
と、我に返っちゃったんだね

ぶっちゃけ、好まないタイプの方も多くてね。
「そんな人を選り好みするのは、人間としてイカンやろ」という、いい人ぶった概念をまだ引きずっていたね。
それに加えて、多少の事は目をつぶって起業の結果を出したかったんだね。
下心ってヤツだ。
どうよ、そんな自分
?
少し先の未来に結果は出せるかもしれないけどさ、この瞬間がもう幸せじゃないじゃんね。
それって、勤めてた時の我慢と大した違いはないんじゃないの?
何がしたいねん、ワシ
と、ツッコミ入れちゃったんだね
ちょうど、再度の断捨離中だった事もあってね、SNS止めたってわけだ。
無けりゃ無いでね。
読書の時間作れたり、
妄想時間作れたり、
ついでにお弁当も作れたりで、
時間の充実半端ない
そんなのんびり流れる時間の川底で、ふと感じた。
何にシャカリキになってたんや、ワシ…

「とりあえず…」と、飛び込んだ仕事先が面白くて。
幸運な事にそこに好きな人が居て。
さらに幸運なことにお付き合いできちゃって。(これに関しては、未だに都合のいい幻に思えて、半信半疑である)
本当に一瞬先の事なんて、考えちゃいなかった。
今っていう一点しか、見ちゃいない。
…本来、時間の健全な使い方って、そんなもんかも知れない。
だってさ。
今までは、不安の中を進んでた。
どこかに焦燥感が流ていて、「動かなきゃ」という反重力みたいな力が働いてたんだ。
それが今がどうだ?
ぽけっとしている。
「動かなきゃ」も何も、「〜しなきゃ」を感じていない。
「やりたきゃやるから、ほっといてくれ」とすら、思っている。
でーん、としちゃってるんだね
そのゆとりと言うか、満たされ感はどうだろう?
まるで時間が何倍にもなったかのようだ。
のびたラーメンみたいに増えた、増えた
←もうちょっと例えアルダロ
結局、私がムキになってたのは、己の無価値観を払拭したかったにすぎない。
他人に認められる事で、自分を誇れると思っていた。
そういう観念だったんだね。
…むなしいのう!
なんじゃその、相対的価値観
人一倍、他人の評価を嫌いながら、それを追い求める矛盾。
ほ〜んと、コンプレックスの裏には、願望が隠れているよね。
アホさ加減に白旗をあげた時。
もう一度、自分堀りをしたくなった。
人間の一挙手一投足は、口じゃなんと言おうと「自分を好きだって叫びたい」からやっている。
違うと言いたくなりもするが、よーくよーくめくってみれば、そんな奥ゆかしい自分が居るもんだ
怒るのは、涙より深い悲しみがあるからだ。
不感症は、悲しみより堪えられない痛みがあるからだ。
そういうものをトラウマとか、コンプレックスと呼ぶ。
軽度なものなら、愚痴や悪口、不平不満として現れている。
そうやって、自分を観察し直したくなった。
そしたらさ、画面開いてる時間を忘れちゃってた。
いいねも、コメントも、今の私には何の魅力もない。
読まれてなくて、むしろ構わないんだね。
ただ私の体から、外に出したいだけなんだ。
自分のために。
今は、方向性を決める事も避けている。
何をやっても中途半端な私は、結局どれも、やりたくないのを誤魔化してきたからだ。
本来、わがままだから、最後までやり通す事はできない。
嫌気がさしてしまうんだね。
うっすらと良い人の皮をかぶったまま来た。
厳密には、良い人の皮をかぶったつもりで来た、だね。
…とことん脱いでやる
人として最低!と言われるくらいに脱いでやる
最低!とか、わざわざ本人に言ってくる奴は、どうせコンプレックスの塊にすぎんしな。
どうでもいいわ。
つまり、誰しも本来は無双なわけだよ。
向かうところに敵なんか居ない。
幻想、妄想の産物。
あんたしか居らんねん。
という、デトックスを兼ねてブログ書きたいから、Facebookはやめたんです

批判も、賛同も、共感も、アドバイスも、現状報告も、いいねの数も、何もいらない。
私は今、自分に向き合いたい。
そこにだけ集中している。
今日のエネルギー
混沌と春風


