自分を好きだと叫びたい!〜日常をこよなく愛してみる・足もと日記〜

自分を好きだと叫びたい!〜日常をこよなく愛してみる・足もと日記〜

良い子を目指して生きてみたけど、やっばりできなかった私の話。

「ああそうだ、ただ愛されたかった」と、受け入れたら見えてきた『足もとの幸せ』を発見する日記。

やっと心から、笑えてます。

何のことはない。とっくにそのまんまの私が愛されていました。

Amebaでブログを始めよう!

足もとエッセイスト たわです。

 

 

 

ゴールデンウイーク終わるな〜。

 

 

忙しくて、それどころじゃない毎日。

今日はちょみっとだけ、のんびりしております。

 

 

 

春は特に足もとが華やか。

毎日目を奪われるね!

 

 

 

 

 

さて、今日のタイトルは物騒です笑

 

 

 

これは三日前、彼に言われた台詞ブタ 

…ええ。彼は私を滅っそうとしているw

 

 

 

最近では仕事終わりに彼を送り届けることが多くなっているんだけど。

(私、運転が好きなので楽しみの一つなんだね)

 

そのお礼にと夕飯を振舞ってくれるのね。

 

 

たとえば、こちらの味噌ラーメン。

 

煮卵もチャーシューも、あらかじめ手作りされているのね。

葱油で炒めたもやしが、葱の下に隠れていたね。

 

 

 

基本的にハイカロリー笑

そんで、量が多い笑

 

高校2年、部活に人生かけてます!くらいの男子が食べるのかな?と思うくらいなんだよ。

 

 

 

 

そこで彼に尋ねてみたんだ。

 

 

「あなた、私を太らせようとしてますか?」

(…もう十分すぎるほどの肥えましたが…ブタ 

 

 

 

 

すると彼は答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいえ、

あなたを殺そうとしています。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

( ̄□ ̄;)火サス!?

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は続けた。

 

 

 

 

 

「食べさせて、肥えさせて

…やがて死ぬ笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

( ̄□ ̄;)火サス!?

 

 

 

 

そういえば以前、ハグの時に中身出るかと思うほど潰された折り…

 

 

 

 

 

「ぐ…ぐるじい…(x_x;)」

 

 

 

「あなたを潰そうとしています笑

 

 

 

そして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたも、私に殺されたら

幸せでしょう?笑

 

 

 

 

と言っていたことを思い出したブタ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

危険思想やな!?笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今まで、誰かと付き合って、そんな発想したこともなかったから、ユニークに思って笑っちゃったのを覚えてる。

 

 

 

…てか、二回も殺害宣言されてんのかブタ 笑

 

 

 

 

 

好きな相手を殺したい心理は、まったく理解できんけども。

まぁ、本気なわけではなかろうし。

 

 

 

しかし…

仮に彼が先に逝ったとして、その後の私はどう過ごすんだろう?と、想像してみた。

 

 

 

 

きっと、起きて食べて寝るんだろう。

 

 

…そうだな。

 

 

とりあえず、起きて食べて寝るだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ以上が想像できなかった。

 

 

 

 

 

悲しみというよりは、乾いた人生といった感じだろうか…。

 

 

 

みずみずしさや張りが、ない。

 

 

 

 

想像してみて、「そこで人生終わっても、別にいいんじゃないかな?」と思ってしまった。

 

 

何を成さなくても、何も足跡を残せなくても、中途半端だったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこまで考えて、ハタと気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起業に躍起になっていたのは、やっぱり逃げだったのか」と。

 

 

 

 

 

 

 

どうにも私は、『仕事』という単語の裏に『見合う働きをして、見返りを貰う』という意味づけをしてしまって…

 

 

 

なんというか…

 

 

 

 

物乞いの気持ちになってしまうんだ。

 

 

 

 

 

愛をください、だね笑

 

 

 

 

仕事となると、自分を低く低く設定してしまい、ただでさえ低いセルフイメージがじわりじわりと下がっていくのを感じる。

 

 

けれど、もともとの本質は『物乞い』ではないから、だんだん腹が立ってくるんだよね笑

 

 

そんなスタンスの自分が情けなくて、悲しくてやり切れない。

その発露が『怒り』『不満』『ストレス』。

 

 

 

 

 

 

私はただ、『何をせずとも容認される』環境や相手を求めていたんだね。

自分が、何をせずとも自分を認めたいから。

それに賛同してほしいんだ。

 

 

 

 

彼もまた、同じなんだと思う。

 

「私は◯◯な人間ですよ。…どうですか?」

 

と、時折自分を下げた表現で、私に尋ねる。

 

 

 

 

 

 

 

…そもそも、人類が始まった当初、『仕事』なんてもんは無かったんだしね。

必要なことを必要なように実行していたにすぎない。

 

 

 

 

そういう発想をする私が、仕事に人生賭けられるのかね?笑

 

 

…それは長年創り上げてきた『対人間社会用の私』だな、と思った。

 

 

子供の頃は、家族が世界のすべてだったから、対母親用と言い換えてもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のんべんだらりとしていたい。

 

なにをアクセクする必要のあろう?

 

なにを躍起に学ぶと言うのだろう?

 

 

 

世界はこんなにも春爛漫で、健康的に朝日は昇る。

 

 

 

ゾウガメのように一歩一歩に時間をかけたい。

 

 

 

じわ〜と動く、関節の感触を楽しもうじゃないか。

 

 

 

 

自分に夢中でいたい。

 

 

 

 

本当は何を望んでいるのか、その欲求はどこから来るのか、そしてどこに向かいたいのか。

 

 

 

 

今の私は、満たされている。

 

 

金はない、仕事も不安定、人望はない笑

 

 

 

ないない尽くしだが、毎日が喜びの連続だ。

 

 

 

 

緑がある、彼がいる、少ないが信頼できる友人もいる、毎日空を眺めている。

 

使う時間にこれだけ平安を見出せたのは、彼のお陰も多大にある。

 

 

それならば、今生の命を明け渡すくらいの価値は十分にあると思った。

悔いはないってヤツだね。

 

 

 

 

とは言え、両親を失って、それを後悔しながら生きてきた彼は、もう見送りたくはないだろう。

 

あの乾いた感触を過ごしてきたとしたら…

 

 

だから、現実的には私がきっちり見送ったほうが幸せだと思う。

 

丁寧に見送って、きちんと後始末して、少しばかり時間を潰して…。

そんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

物騒な彼の言葉から、こんなことをツラツラと考えていたのは、もう先月のことか。

 

 

明日は私も、44歳になるな。

十分に生きたと思う。

いつ事切れても、満足だ。

 

 

そう思える今に感謝してるブタ 

 

 

 

たぶんね、これ捨てると見つかると思う。

 

という体験談を書いておこう。

 

 

今日も良い天気だね。足元エッセイストたわですブタ 

 

 

「何事も、答えは足元に埋まっている」という持論。

 

 

 

さて。

 

パートナー欲しいですか?

白馬に乗った王子さまに出会いたいですか?

 

 

 

 

「私なんて、どうせもう無理やで。人生オワコンやもん」と、燃え尽きていた去年の秋。

 

 

仕事も恋も、将来展望も、ついでに友達もなくして灰と化していた。

 

 

残ったのは、ローンと両親とひたすらな焦燥感。

はやく人生終われと思ったわ笑

 

 

 

まぁでもね。

そこまで思うと、もはやどうでも良いのよね。大概の事がどうでもいいんだ。

 

 

 

 

んで、やったこともない外の仕事に出た。

 

体力ないくせにブタ 

 

 

 

 

 

 

そしたらね。

 

そこって、特に密な人間関係があるわけでもなく、

きっちり仕事を仕上げなければならないわけでもなく、

きっかりした時間で動くでもない…

 

という、なんともゆるゆるな環境だったの。

 

 

 

そういう場にいるせいか、

そこで働く人たちは、私から見るととても大らか。

 

 

 

大抵の事には笑っていた。

「大丈夫ですよ」って、いつも言われてた。

 

 

 

 

先輩にくっついて走って、息が切れて、見上げた空はいつだって広かった。

 

image

 

 

包まれるように青空が広がっていた。

 

木の枝の手招き。

 

流れに身をまかせる雲。

 

のどかな鳥のさえずり。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただただ、与えられる開放感。

 

ただただ、息を切らせて毎日を追いかけてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

心臓が踊る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれだけ自分を狭めていたか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肌が教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝が来る。

 

 

日の下に身を晒す。

 

 

吹きぬける風に気遣われた気がした。

 

 

汗でしめった体。

 

 

乱れる呼吸。

 

 

日が暮れて、影が伸びる。

 

 

心地よく疲れた体。

 

 

湯船でふやける感覚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが楽しかった。

 

 

 

生きている感覚が楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

それだけでもう、十分だと思ったの。

 

 

 

 

 

 

生きている感覚を味わえただけで、もう生まれた甲斐があるや。

 

 

 

 

 

 

 

今日死んでも、なんにも悔いない。

 

 

 

 

 

 

そう感じた。とても満足したの。

これまでが帳消しになるくらい、本当に素敵な時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてね、

「◯◯が欲しい」「もっと◯◯だったらな…」って、考える事も忘れてた。

 

 

 

 

 

 

あの時の私は、何も願っていなかった。

 

 

 

満ち足りて、なんの不足もなかった。

 

 

 

実際には、稼ぎは少ないし、現状何も変わっちゃいなかったんだけどもね。

 

 

 

 

 

「何も増えなくっても、生きてるじゃん」

 

 

そう実感した。

 

 

 

 

 

 

 

与えられるものを楽しんだ。

それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

大人とか子供とか、

男とか女とか、

社会人とか落ちこぼれとか、

何ができるとか、

何ができないとか、

 

 

 

 

 

私がジャッジしてきた自分を忘れた時期だった。

 

 

 

 

 

初めて本当に私を認めた時期だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうしたら、目の前の人をいつの間にか好きになっていたんだよ。

 

 

 

 

 

 

自分にぴったりなパートナーと引き合う条件

 

 

 

 

 

それは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が作り上げた

 

『私』という概念を捨てる寝る

 

 

 

 

 

ことなんではないか…、と思う。

 

 

 

 

 

 

感覚でいうと…

 

例えば、女性らしくという型を捨て。

社会人としてキチンとしなければという前提も、ぶち壊し。

人に優しく、というモラルもうっちゃり。

どう見られているか、と鏡を見ることもせず。

 

 

 

 

 

 

 

無人島感覚になるブタ 動植物しかおらんがな

 

 

 

 

 

 

 

のが、いいんではないかとブタ ←無理だろw

 

 

 

 

 

 

 

スッポンポン感覚になると良いよブタ ←まだ言うかw

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとヌーディストの気持ちがわかるから。←目的を変えてきたw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありのまま、あるがままを認められたい。受け入れて欲しい。

 

そういう原始的欲求はさ、こっちも原始的に行きゃぁいいんだと思うよ。

 

そもそも服着てなかったんだからさ。

 

そもそも潜在意識繋がってて、やろうと思えばいつでも中身丸わかりなんだからさ。

 

みんなトゥルーマン・ショーなんだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ、これが正解でもないだろうけど。

私的には、一番腑に落ちた出来事だったよ。

 

 

引き寄せの法則ってやつで、『すでに叶った状態になる感覚』がわからない人は、

試してみてもいいんじゃないかな?

 

 

 

どんな願いでも、削ぎ落としていけば「満足」を味わいたいがためだからさ。

 

 

 

 

天気も良いし、ヌーディスト日和だねブタ ←だから違うだろw

 

 

 

 

 

余談だが。

私はこの季節、お家でスッポンポンタイムを儲けているよ。←聞きたくない情報

だから呼び鈴には出ないブタ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のエネルギー

 

ひらすらな開放感

 

珍しく連日投稿。


足もとエッセイストたわです




二つ前の記事かな?

実は『家での私は、素じゃなかった』と判明しました。




個人的には、なかなかに衝撃的な事実だ。



で、なんで分かったんかっちゅーと。








今お付き合いしている人が、キッカケ。


私にとっては、何をしていても興味深い相手。


朴訥、
不器用、
素直さと天邪鬼の混合、
思考派、
大人と子供の妙、
サービス精神、
弱い人への思いやり、
行動力、
忍耐力、
守る力、
自信の有る無しの塩梅、
寛容、
受け入れられない事への狭さ、
優しさと臆病、
心と裏腹を言う口、
愛嬌ある変態性、
独特の切り口、
NOはNOと伝える強さ、
弱さを隠すプライド、
秘められた情熱、
一瞬見せる目の柔らかさ、
笑みをこらえる口元、
楽しげな笑い声、
しかめっ面、
一心不乱に仕事する横顔、
鼻筋から口元へのなだらかなライン、
くにゃりと笑ったときの何とも言えない子供性、
広い背中、
身体のバランス、
キュッと上がったヒップライン、
料理の腕、



…上げていくと私の変態性がバレるから、この辺りで勘弁してやろう
特に外見への変態性は、我ながらヤバいことになるだろうからな。



ザッと瞬間に思いつく分だけだが、私が感じている彼の魅力は、こんなところだ。


良いとか悪いとか、長所短所という目で読まないで欲しい。

そんな物差しは、へし折ってくれたまえ。





人間の魅力は、長所には無い。







妙なバランスの中に存在する。
陰と陽の間に生まれる『空間』こそが、人の魅力を構成してるわけだ。


だから、ジャッジは一切要らん







と、彼の部屋で美味しいご飯を与えられながら気が付いたんである。





…好きな人を落とすには、胃袋をつかめと言うが…。


私の場合は、こっちがガッツリ掴まれている…orz

お陰で10キロ肥えたわっ( 」゚Д゚)」






基本的に彼のところへお邪魔している間、私は置物である。


…生産的行動は、一切しておりません。


食べる、寝る、笑う、ゲームないし読書。


主にこんな感じ



すっげー昼寝してる…




ハッキリ言って、妖怪食っちゃ寝である










女性として、どうかと思う。

大人としても、どうなんだと思っている。

もはや、人間としてこれで良いのか不安になるレベルに達した。










ダメ人間レベルMax






普通…というか、私の価値基準では、そんな女は別れます。



ええ、布団に座ってヘラヘラしてたまにトイレ行ってるだけとか、どんだけ!て思うわ。



無駄にリラックスしてる様が、さらにムカつく






と言うのも、私はこれまでお世話する側だった。


相手の空気を読み、何がしたいか、いつ動けばいいか、どうしておけば効率がいいのか。


これは小さい頃から母ちゃんに怒られてきた賜物であり、私の本質とは異なる。


才能じゃなくて、努力ね。




甘やかしてあげないと、甘えちゃダメだと思ってたんだね。




愛情も等価交換かよ







と、自分に突っ込みを入れたのはいつだったか…。





そうなんだよ。
何かしてあげたら、何かしてよって思ってた。
言えなかったけど、思ってたんだね。











けど、彼はどうだ?








私に何して欲しい、どうして欲しいなんて、一切言わない。









聞いたところで返ってくるのは…


「あんたは座ってりゃ良いんですよ。」の一言。










台所に立つ背中に「何かお手伝いは…」と尋ねても…




「ない。」だけ。










すごすごと部屋に戻り、台所から漂う美味しい匂いにニンマリして居眠り…。












やがて、ユラユラと美味しい空気がやってきて、「おい」と、起こされる。










目の前には、キラキラ輝く手料理…

















これ、主婦の夢やないかーいっ?!








主婦ではないのだが、そんな幸せに浸る。








…お付き合いして、早3ヶ月強。
未だに夢見てんじゃないかと疑うのも、お分り頂けるのではないだろうか?






なんだ、この都合の良さというか、望む環境の具現化は…












神はここに御坐す。











彼は何も見返りを考えていない。


押し付けもしない。



自分が食べさせたいと思うものを私に与え、食べる姿を見るでもなく淡々と自分の世界に入ってゆく。




私は皿に広がる美味しい宇宙にダイブし、感謝と共にしばし時を離れる。




ラーメン、
茶碗蒸し、
鍋焼きうどん、
たらこスパゲティ、
大根の味噌汁、
手羽中の唐揚げ、
クタクタに煮たうどん、
納豆ご飯、
ベーコンエッグ、
チーズの燻製、
深いコクのカレーライス、
カツ丼、
懐かしのスパゲティ、
サーモンの握り、
軍艦納豆、
中華スープ、
なめこの味噌汁、
手羽先唐揚げ、
エビの素揚げと塩焼き、
白菜の漬物、
ジェノベーゼパスタ、
グラタン、
焼きおにぎり、
タラコおむすび、
手作りベーコン、
おでん、
焼き豚、
エビフライ、
エビ丼、
天ぷら蕎麦、


…まだ他にもあった気がする…。

ちなみにラーメンのバラエティーは豊富である。
そんでもって、チャーシューや煮卵も手作りなのである




…もう、皿洗いしかできんよ、ワシ出番ないよ。









お付き合いする前、私は彼が好きだった。

なんだか面白い、楽しい時間を共有できる人で。



お笑いみたいに笑わせに掛かるタイプではない。

どちらかと言えば、寡黙だしね。





沈黙すらも心地いい。
沈黙も微笑ましい。
そんな相手。





今も、私たちの間に言葉は少ない。



今まで私は、話題を探していた自分に気がついた。
大概の人とは、沈黙がマイナスなものに思えていたんだね。
当たり前になっていて、気が付きもしなかった。

他人との時間を紡ぐことは、会話を紡ぐことになっていた。








母の前では、娘たらんとしていた。


父の前では、負けるものかと構えていた。


友達の前では、友達であった。





















…彼の前では、名前すら無い私になっていた。
















何者である必要も感じない。



綿の毛布に包まって、ぬくぬくと日向で微睡むような感触。




とても守られた安全な『約束された場』のようだった。




そう感じている自分に気がついた時…。

























…物凄く肥えていた事にも、気づいた






















…着られる服がない。







そして。


これが幸せ太りってヤツだ。よおく見ておけぃ!と開き直った。














そしてね。

そうなってくるとだよ。


完全に幸せが、ハイオク満タン状態なわけで。



ウズウズとさ、こちらももっと提供したくなるめなんだよね。




私だって、安心安全の場でありたい。





物事の循環、人との循環、エネルギーの循環は、こうして回って行くのか…と、実感した。






よく『与えなさい』と言う。

しかし、それはやはり削られる感覚では回らないのだ。

減っている感覚を持つなら、与えなくていい。




善人ぶる必要もない。無駄だ。

むしろ悪人たれ。


今までの常識やモラルに反しても、本心に忠実であれ。


ただし、浅い本心は無意味。
深く深く己の欲求を掴んでからだ。






去年の秋頃、私は自分の底辺に辿り着いたと思う。
…そこが最底辺ではないんだろうけどね。
一節、て感じかなぁ。











私は愛されたかった。

愛されたい人から、愛されたかった。

そのままでいい、と実感したかった。

納得したかった。

存在に安心することが、私の幸せだった。




何をしていても、何を欲していても、どの瞬間も、結局はその望みを叶えたいがためだった。






「ああ、みっともない。」


「人の愛を乞うだなんて。」






モラルの声がした。




人間なんだから、みっともなくていい。


崇高な意識の持ち主なら、もはや肉体なぞ持っていないだろう。



そんなモンになるつもりはない。



みっともないほど、自分でありたい。

なり振りだって、かまやしない。


足掻いて足掻いて、窒息したって自分になれればそれで良い。


生きにくくても、もう構わない。

多くの人に好かれるのは、むしろ重たい。

好きなものだけ狩りに行こう。












どんなに足掻いても、人間は死ぬ。

いつ訪れるか知れない、肉体の終わり。

未来に生きることは、不可能だ。








私は、将来設計を求めているわけじゃなかったんだ。













自分の水底にたどり着きたい。














改めて、自分自身に興味が向いた時だった。



何気なく目線をあげたら、彼が光って見えたんだ。





昨日だって一緒に仕事したのに。

なんで今日、光っているんだろう?




昨日だって一緒に笑ったのに。

なんで今日は、光っているんだろう?









泡立つ心は抑えられず、私は毎日笑っていた。

無闇に楽しい。

抑えきれない。













きっと、あの時も素の私だったんだと思う。



男でも女でもなく、大人でも子供ない感覚だった。







ただただ、与えられる楽しみを心底楽しむだけの存在。






彼と過ごす私は、そういうモノに戻るのだ。









きっと、それを相性と呼ぶのだろう。






親子家族だからといって、相性がいいわけではない。
親しんだ間柄の人の前で、本当の自分を晒しているとは限らない。






本当の自分というものも、多面的存在なのだから。


自分が心地いいと感じる面を引き出す相手が、最高なのだと思う。


心地いい自分でいると、当たり前に柔らかな心持ちで過ごせる。


寛大であり、柔軟であり、温かい。




それはおそらく、愛情と同義に違いない。





一節の底辺までたどり着いたギフトだろうか?と、自分を褒めてみる














今日のエネルギー

雲の上で感じる風と光