ここのところ、アトリエでは子どもたちが模写している。


たいてい嫌がられるが、


わたしはおもしろくてたまらないので、


毎年古今東西問わずいろんな人の作品を借りては、


子どもたちに選んでもらって


描いてみて!という。


子どもアトリエ×アレクサンダー・テクニーク 風光景

涼しげだなぁ。 みずみずしいなぁ。



これはアンリ・マティスの「金魚」の模写。


でも、誰の絵か、あるいはなんというタイトルかなんてことは、


ほとんどこの場合意味がない。


子どもたちは「有名だから」という理由では選ばない。


彼らは、何かしら「いいな」とか「おもしろそう」と


(ちょっぴりでも)思わないと手にしない。



模写でおもしろいのは、


他者の体験や体感、目線や味わいなんかを


なぞっているうちに


まねっこしているうちに、


じぶんの体験や体感、目線 味わいなんかが


ぐるぐるっと いつのまにやら


きがつかないままに


うごきはじめることだと思う。


もとの絵の作者と


じぶんとが ぐるぐるっと


時や空間を超えて


遊びあっているようなものなんじゃないかと思うのです。


原作と寸分たがわずそっっくりに描くこと、それが模写?


いいえ、と わたしは答えたい。


少なくともこのアトリエでは、模写はそのようなことを


はるばる飛び越えられる まねっこでありたい。



筆 お絵かきパレット ……… はちみつレモン


アレクサンダー・テクニークの学習では、


というより アライアンスでの教育は、


わたしにとってはこんなふうな模写みたい、かもしれない。


なんでそこに手が動くの?


どうやったらそのひとの動きがわかるの?


エトセトラ。



でも、それらは考えてもあまりわからないので


眼をぎゅうぎゅうこらしてみつめても 明確にならないので


おおきく こまかに とらえてみられるはずだと信じつつ 


自分がやってみるしかなく


自分で動いてみるしかないようなのだ。



模写みたいに!