こんばんは。
昨日は唐突なトンデモ発言から始めましたが、
とりあえず今回は寒気も無く穏やかに終わり
そうで安堵している私です。
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今日は引き続き、違いを知ることについて
書きたいです。
私のことじゃなくなるのと、
偽善くさくなるのですが
願いを放ちたいです。
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先日、ニュースで
“インクルーシブ公園“
のことが取り上げられていました。
『行政は横文字を最小限にしよう党』の私
としてはこの公園名、嫌なんですが(笑)、
子供の身障者と普通の子供が同じ空間で
遊べるように設計された遊具が多数設置
されている公園
のことです。
(取り組みとしてはなるほど!ですが、
この名前が、ねぇ…、判りづら、、、)
実際に遊んでいる子供達の映像では、
身障をありのままそのまま受け入れて
一緒に遊んでいました。
年齢的には5〜7歳位の子供達です。
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では、私達大人は如何でしょうか。
街で見かけた時に、困っているなら
お手伝いできたら良いと思いつつ、
困っているか分からないし、
声をかけるのも変だし、
もしそうなら本人から言うだろう…
と、気になりつつも
逆に変なことしてもいけないから、、
と納得のいく理由をつけて
足早に通り過ぎたりする。
はい、それ私なんですが。
我ながら酷いですね。
触らぬなんたら、
別世界の住人のように
接していないけど、接している。
ひとえに知識と経験不足です。
恥ずかしいことと思いながら、
改善しようともしていません。
弁解の余地なし。
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で、ですね、
そもそも何で、いわゆる
「健常者」と「身障者」は別世界
になっているのか。
だって、小学校からずーーーーっと、
自分が生きる世界にいないんだもん!
(もしかして幼稚園から?)
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一昔前に「夏の庭」という小説がありました。
都会の少年3人が、一人暮らしの老人を
宇宙人を観察するかのように見張るんです。
何故って、
老人が彼らの世界にいないから。
ロウジンの死を見てみたいから。
それとおんなじ。
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つまり、私達は、残念なことに
あまりにも接点が少なく過ごしてきた。
それによって、
肩身の狭い気持ちを持たせてしまう振る舞いを
してきたかもしれない。
なんてこった!
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私、密やかに期待していたことがあります。
東京大会から、
オリンピックとパラリンピックを
一緒にやることを始めないかな!
って。
設備とか対応の違いとかスタッフだとか
色々あるのは分かりますよ。
でもね、ぶっちゃけ、
オリンピック終わったら、祭典終わった気分
になりませんか?
パラリンピックはオマケ…みたいな。
実際、前まではパラリンピックは放送すら
されなかったじゃないですか!
終わった気分になるのはオマエだけだよ!
と突っ込まれるなら、良い世界になっている
ので、むしろ喜びましょう。
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ねぇ、今までやってみようとしなかった
だけじゃない。
オパラリンピック、見てみたくない?
ネーミングセンスはスルー推奨
オ男子 → オ女子 → パ男子 → パ女子
とかでやれば良いじゃない。
違いも見えて、きっと楽しいよ。
と、裏側を知らずに浅はかに希望を蒔く。
知らないから動かせることもあるよね♪
実際は、
組織委員会が違う
が一番ネックなんだろうな。
でも、
そんなの選手も観客も関係ないヨネ。
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そして、更につっこんで、
小中学校で、同じ校舎で学べたらいいね!
と願います。
私が通っていた小学校は、
外国人の子供が日本語を学ぶ「特別学級」
がありました。
それと同じように、特定の学校だけでも
同じ校舎で学ぶことができないのだろうか。
聾唖学校のように別にすることなく。
学級を同じにしなくても、
同じ校舎で学ぶことで変わることがある
と思います。
これも実際には、
行政の部署違い、行政区画違い
があるんだろうなぁ。。
何とかなると思うんだけど、違うのかなぁ。。
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中学校の論文発表会で明るいハデめな子だと
思っていた同級生が発表した内容が
忘れられません。
「私の弟は小児麻痺で
身体を自由に動かせません。
でも、それは弟の個性なのです。…」
ごめんよ。
覚えていても自分で具体的に動いていない。
今日のタイトルまで弱気だ。
でも、インクルーシブ公園の映像で、
個性として受け入れている子供達の姿を見て、
嬉しくなったんだ。本当なんだ。
せめて、そんな世界が拡がるように
と願い事を放っておきます。
今日もありがとう
またね。
HERO