おはようございます。
今日も倉敷からの配信です。
二〇一二年元旦からカウントを始めて
今回が870回目の今日の良い言葉。
キリ番ですね。
870回の間に随分成長もし、
正しいものの見方も身についてきた
ように思います。
これからも研鑽を積んでいく所存です。
それではキリ番の今日の良い言葉。
『致知』6月号の総リードのお話を
シェアしたいと思います。
「場を高める」
人になり得ているのかどうか
常に問い続けながら志事に
邁進したいと存じます。
それでは今日も一日、
愛と光と忍耐で
喜びに満ちた日となりますよう
お祈り申し上げます。
コメント楽しみにしております。
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長の一念
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中国の古い昔、
龐蘊(ほううん)という坊さんが
師匠に弟子入りを願い出た。
禅門は簡単に入門を許さない。
玄関で待っていると師匠が現れ、
いきなり桶(おけ)の水をバサッとかけた。
他の志願者は皆腹を立て帰っていったが
龐蘊だけは残り続け、入門を許可された。
弟子になって間もないある日、
師匠が外出した。
龐蘊は蔵に入り、普段は食べられない
ご馳走(ちそう)を作って皆に振る舞った。
ところが、思いがけず予定より早く
師匠が戻ってきた。
師匠は激怒し、
龐蘊を寺から追い出したばかりか、
ご馳走した分を町で托鉢(たくはつ)して
お金で返せ、と要求した。
龐蘊は風雨の日も厭(いと)わず
托鉢を続け、
ようやくお金を返した。
すると師匠は
「おまえが托鉢している間
野宿していたのは寺の土地だから
家賃を払え」と迫った。
龐蘊はその言葉に従い、
また黙々と托鉢を続けた。
その様子をじっと見ていた師匠は
弟子を集め、
自分の後継者が決まった、と宣言し、
龐蘊を皆に紹介した──。
弊社主催の徳望塾で円覚寺(えんがくじ)の
横田南嶺(なんれい)管長が述べられた
話である。
これに続いて、
横田管長はご自分のことを話された。
横田管長は四十五歳で
円覚寺の管長に選ばれたが、
なぜ自分が選ばれたのか分からない。
ただ一つ、
これかなと思うものがある。
それは
「ここを離れない」という一事。
どんなことがあっても
ここを離れない。
ここを見限らない。
ここに踏みとどまる。
自分が貫き得たのはこの一つ。
それを師匠は
見てくれていたのではないか、
と横田管長は話されていた。
ここを離れない──
長の一念はここに始まり
ここに尽きるのではないだろうか。
国であれ会社であれ家庭であれ、
あらゆる組織はそこにいる長が
どういう一念を持っているかで決まる。
それがすべてといっていい。
『致知』三十五年、
様々な分野の長にお会いしてきたが、
すぐれた長には共通して
二つの条件があることを強く感じる。
一は「修身」、二は「場を高める」。
この二点に意を注がない長は
長たる資格がない、と断言できる。
氣まま、わがまま、ムラッ氣を
取り去る。
修身とはこのことである。
さらには、公平無私、自己犠牲、
先義後利(せんぎこうり)
(目先の利益を追わない。義務が先、
娯楽は後)
を率先垂範することである。
長が私意をほしいままにして、
組織が健全に成長するわけがない。
次に場を高めること。
長たる者は
自分のいる場に理想を掲げ、
そこに集うすべての人を
その理想に向け、
モチベートしていく人で
なければならない。
「適切な目標を示さず、
社員に希望を与えない経営者は
失格である」
とは松下幸之助の言葉だが、
まさに至言である。
加えてもう一つ、
長の一念を安岡正篤(まさひろ)師が
明示している。
「偉くなることは必ずしも富士山のように
仰(あお)がれるためになるのではない。
なるほど富士山は立派だけれど、
それよりも立派なものは大地である。
山を載せて一向に重しとしない。
限りなき谷や川やらを載せて
敢(あ)えて厭わない
常に坦々(たんたん)としておる。
この大地こそ徳である。
われわれもこの大地のような
徳を持たねばならぬ」
最後に、最近逝去された
経営コンサルタントの船井幸雄さんの
晩年の言葉を付記する。
「四十余年経営コンサルタントを
やってきて分かったことがある。
どうしたら経営がうまくいくか。
それはそこにいる人が命を懸けている。
それが第一条件。
いるところに命を懸ける。
これが大事」
長として欠かせない姿勢であり、
一念である。
(『致知』2014年6月号 特集「長の一念」総リードより)