おはようございます。
今日も倉敷からの配信です。
久しぶりの雨なので今朝は朝RUNは
お休みです。
朝から晴耕雨読を決め込み
読書三昧です。
9月の『致知』を隅から隅までよみ
感動の余韻に浸っているところです。
それでは、早速今日の良い言葉。
『致知』9月号の総リードのシェアです。
常岡一郎という方は存じ上げませんでしたが、
珠玉のことばの一つひとつに溜飲が下る思いです。
素敵は方を紹介していただき
本当に感謝ですね。
それでは、皆様の今日一日が愛と光と忍耐で
喜びに満ちた日となりますよう
お祈り申し上げます。
コメント楽しみにしております。
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心の持ち方
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常岡一郎、
と聞いても知る人は多くないだろう。
明治三十二年(一八九九)年、
福岡県生まれ。
少年期から頭脳明晰(めいせき)、
正義感が強く、
慶應義塾大学予科一年の時には
島崎藤村(しまざきとうそん)らを招いて
講演会を開催、
自らその前座を務めるといった
才気煥発(かんぱつ)な青春時代を送った。
議論をすればたちまち相手を論破。
カミソリと渾名(あだな)されたという。
この人の人生に暗雲が立ちこめたのは
大学卒業目前。
肺結核で倒れたのである。
一転して病床に伏す身となり、
近寄ってくる者はいなくなり、
孤独を嘆く日々を過ごすことになった。
そんなある日、一人の見舞客が訪れ、
常岡に言った。
「比叡山(ひえいざん)も
高野山(こうやさん)も
もとは誰も住まない田舎だった。
そこに徳の高い人が住み、
人々が集う所となった。
あなたは人々が群がる東京という
都会に住んでいるが、
周りに誰も寄ってこない田舎だ。
そんな人間でどうする。
徳を積んで病氣と縁を切りなさい」
このひと言に常岡は奮起、
大学を中退し修養生活に
身を投じる決心をした。
柳行李(やなぎごうり)に
トイレの掃除用具を入れ、
各地を回って奉仕活動を
始めたのである。
常岡は言う。
「闘病十五年、五千日。
病を見つめながら自らを練った。
病を治すことをやめ、
病で自分の性格を直すことに
全心全力を尽くし、
九死に一生の中から心を練ってきた。」
ついに病を克服した常岡は
昭和十(一九三五)年、
修養団体・中心社を立ち上げ、
月刊誌『中心』を発行、
講演に人生相談に全国を行脚(あんぎゃ)、
九十歳まで人としての道を説き続けた。
すべてを人のために使い切り、
出し切った人生だった。
この常岡氏の著作から三百六十六を選び、
このほど『常岡一郎一日一言』を出版した。
人を深い内省に導かずにはおかない
言葉に溢(あふ)れているが、
その編集作業を通じて氣がついたことがある。
氏が一貫して言っているのは、
人生は心の持ち方が大事であり、
心の持ち方によって人生は決まる、
と言うことである。
どんな人生に出合っても
一人ひとりが心を鍛え、磨き、
幸福な人生を送ってほしい──
この語録集からは氏のそんな祈りが
聞こえてくるようである。
以下、
紙幅の許す限り氏の言葉を紹介する。
▼自分一人の尊さを知る。
今日一日、今一刻の有り難さを知る。
これを離れて人生はない。
大切にせねばならぬのは
今日一日の生き方である。
自分一人のみがき方である。
大きい理想、高い希望も大切である。
しかし、それは今日、今、
自分自身のみから生まれて来る。
▼仕事は辛い。しかしこれもつとめだ。
こう思って働く人は疲れやすい。
辛いが辛抱(しんぼう)する人もある。
辛抱は暗い心の姿である。
いつかは限度が来る。
明るくひらける道は、
仕事を楽しむことである。
働くことが好きな心。
これには暗さがわかない。
働くほど自信が出来る。
よろこびもわく。
なんでも勇んで取り組む構え。
常に明るく働く心構え。
これが一番たのしい生き方になる。
▼心の花。これは心の開いた姿である。
悲しみは心を閉ざす。
病みわずらい、怨(うら)み、のろい。
これは暗い心、開けない心である。
いままでうらみのろっていた心も、
なるほどそうかとうなずけば
明るく晴れる。
心が開ける。
うなずく心、陽氣な心、感謝の心、感激の心、
これが心の花の開いた姿である。
(月刊『致知』2013年09月号 特集「心の持ち方」総リード