ナッツの蓋/藤田 | 恵比寿 dolce wine cafe vinsanto

ナッツの蓋/藤田

もり君が、

「いやーフジ田さん、さっきのお客様と意気わいわいとしてましたねー!」

と話しかけてきた。

…ん?

意気わいわい?

違和感(事件)である。

さすがにもう、もり君の言い間違えに関して、多少の事では驚かなくなってはいるが、

「彼が何と間違えたのか」

それには興味をそそられる。

今回(の事件)の場合、「意気揚々」を「意気わいわい」と言ってしまった訳ではない、長年彼と付き合ってきた僕の直感がそう告げていた。

恐らくは「わいわい」という言葉のニュアンスに、彼の伝えたかった根源があるはずである。

しかし「わいわい」はその言葉だけで使われる事が多く、諺や他の言葉と結んで使われる事は少ないのではないか。
そこで問題になってくるのが「意気」である。

単に「わいわい」とした雰囲気を表現するのであれば、「わいわいしてましたね」と伝えるはずであり、「意気」は余分、出てこない。

「意気」と「わいわい」


手探りで進んできた通路の先に、大きく重いひんやりとした石の壁が現れた。

いや、この言葉に囚われてはならない。
彼がその時、何を感じたのか、その状況を思い出してみよう。


そのお客様がvinsantoにご来店になったのはかなり久しぶりであり、僕もお会い出来てとても嬉しかった。

オーストラリアに行った元スタッフのO君の話や、町で偶然そのお客様を見かけた話で盛り上がっていたのである。

その時の雰囲気は、「わいわい」という賑やかな感じではなく(もちろん「意気揚々」としていた訳でもない)、「和やかで楽しげな雰囲気」だったはずである…。



…そうか!



和やかで楽しげな雰囲気、つまり

「和気あいあい」

と彼は言いたかったのではないか。

まさか言い間違えにおいて、被っている「い」「き」「わ」の三文字だけで別の言葉を組み立てるというトリックを使いつつ、それっぽいニュアンスを醸し出すとは…。

聞き流してしまえばそれまでではあるが、「ナナメに閉まっているミックスナッツの瓶の蓋」のようにしっくりこない違和感を感じさせる「意気わいわい」。

その謎を解き、ナッツの蓋を閉め直して僕は家に帰った。