ミホノブルボンが黄泉の国に旅立つ | TAKESHI~鉄道と競馬が好き~

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鉄道と競馬の好きなもので、よく関東GⅠレース(稀にGⅡ、GⅢ)の生観戦と乗り鉄をします。

1991年(平成3年)の朝日杯3歳ステークス(GⅠ)と、1992年(平成4年)の皐月賞(GⅠ)日本ダービー(GⅠ)を勝ち、同年秋の菊花賞(GⅠ)でも3冠達成は成らなかったものの2着に入り、競走馬引退後の1994年(平成6年)から種牡馬となり、2012年(平成24年)の種牡馬引退後は北海道沙流郡日高町のスマイルファームに繋養されていたミホノブルボンが、老衰のため22日(水)にスマイルファームにおいて28歳(人間の約112歳)の大往生で黄泉の国に旅立っていたことを昨日JRAが発表しました。

ミホノブルボンは1991年(平成3年)秋の中京競馬新馬戦でデビューし、同年の中山の朝日杯3歳ステークス(GⅠ)を勝利し初の重賞をGⅠで制しました。

翌年の中山の皐月賞(GⅠ)と、府中の日本ダービー(GⅠ)も勝って2冠達成、の菊花賞(GⅠ)では3冠成は成らなかったものの2着に入り、1992年(平成4年)の年度代表馬および最優秀4歳牡馬に選出されました。

その後は度重なる故障でレースに出走すること無く1994年(平成6年)1月19日付けで競走馬登録を抹消し引退し、2月6日に府中の芝コースで引退式を行いました。

その後は種牡馬になったものの重賞を勝った産駒は地方所属馬のみで、後継種牡馬は南関東川崎競馬シュイベモア1頭のみです。

2012年(平成24年)に23歳(人間の約92歳)で種牡馬を引退してからは、功労馬として北海道沙流郡日高町のスマイルファームに繋養されていましたが、今月21日朝から立ち上がることができなくなり、死亡が確認された(安楽死の処置が取られた)のは翌日の午後6時過ぎでした。