はな赤薔薇 と申します
ご訪問
ありがとうございます

 

80歳からアメブロ始めました

81歳で運転免許証🚙を返納

それを機会に
独り住まいを卒業し
自分の家に戻りました


お母さんと孫お父さんと私おばあちゃん
3人暮らしになりました

 

【節約】も楽しい年金生活

健康で・オシャレに過ごしたいをモットーに

喜び・悩み・経過・解決

こんなはずじゃなかった笑い泣き

 

そんな日常のドタバタを綴ります

同じ経験されている方も、そうでない方も

【クスっと笑って】お読みくださいね

 

 

広い地球の中の小さな人生もう少しウインクOK


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どうも~

はな赤薔薇です

今日も訪問くださいましてありがとうございます。

 

 

 

 

 

何か言いたいの?

夢に出てくる父あせる

 

 

 

夫よりも

 

 

 

継母よりも

実母よりも

 

 

 

父に逢いたいと思うことが多くなった

 

 

1900.12.25生まれ

生きていたら124歳になる

彼、お父ちゃんは

 

 

 

明治生まれの苦労人だった

貧しい家の次男坊

体の弱い兄に代わって子供のころから

遊び人の父親で苦労していた母親を助けて木拾いをしてたという

 

 

 

頭のデキモノをまともに治療することが出来なくて

治った後が痛々しく引き攣れて禿げになっていた

そのため一生坊主頭で通した

 

 

 

ワシはコノ禿げのお陰で悪事を働かんで済んだんや

コノ禿げは目立つから、警察に直ぐ捕まるからな

って

ポジティブ~~~!

 

 

 

貧しくて汚くて、

小学校に行っても苛められることが我慢できず

学校へは行かず終い

ワシは小学校中退や!

といって笑わせてた

 

 

 

ひとり、タバコ屋の店番をしながら

鉛筆を舐め舐め、新聞の文字を覚えては

読んだり書いたりできるようになってた

 

 

 

無学なために苦労した話を

漫談家のように

冗談交じりに話してくれた

 

 

 

話が上手で面白くて

同じ話でも、何どもせがんだら話してくれた

 

 

 

容貌は男っぽくて切れ長の目で

五木ひろしの目をもう少し大きくした感じの男前笑い泣き

 

 

 

ワタシは父が42歳の時、遊びで生まれた子供

お茶屋遊びで・・・プンプン

 

 

 

子供は諦めていた、というところに生まれてきたワタシを見て

自分に似ているので、これはワシの子やと嬉しかったらしい

 

 

 

その頃22歳だった母はお茶屋の仲居をしていてお座敷にも出て

三味線を弾いたり歌を唄ったりの、今で言うアルバイトをしてた

 

 

 

昭和17年の春に生まれたワタシは母方の祖母に育てられた

母は6人兄弟の長女で家計を助けるため

働き続けていたため育児はしなかった

 

 

 

ワタシが3歳の時終戦になって

父が、のちに継母となる人と共にワタシを引き取りに来た

 

 

 

当時は誰もが食べるのに精いっぱいの頃

祖母がワタシを手放すまで何度も何度も説得に通ってきた父は

いつも、母の弟妹達にとジャガイモを蒸したのを持ってきた

 

 

 

幼かった頃の事であったけれど、

その頃の蒸したジャガイモは未だに美味しかったと覚えてる合格

 

 

 

無学で苦労しながらも、逞しく世渡りしてきた父は

満州で財を成し、日本にもどり、羽振りも良く

遊び歩いていたらしい

そんな時に生まれたワタシを欲しがったのは継母だったという

 

 

 

”あれがアンタのお母ちゃんやで”

と言われて

引き取られてから

ワタシは継母を”お母ちゃん”と連呼して

毎日追い回していたことをはっきり覚えている

3歳の時だった

 

 

 

年齢が9歳離れた弟が生まれたころから

ワタシの中に冷たい風が吹き始めたのを感じた

生まれたばかりの頃の可愛い弟を覗きに行くと

アンタはあっちへ行ってなさいと言われたことが

トラウマになってしまった

 

 

 

父は博打にのめり込み

財産をすり減らしていき

 

 

 

その後は

”事実は小説より奇なる”

というように

ワタシの人生は様々な波風にさらされてきた

 

 

 

高校入学の頃まで真実を知らぬままに育ったワタシは

教育熱心な継母の子育てのお陰で

一貫してまともな道筋を引いてもらって

グレルことも無く成長できた

 

 

 

 

父親がいつも髪を撫でてくれたこと

継母の目を盗んでワタシを祖母に会わせることをしていたこと

  その頃はワタシには理解できていなかったけれど…

 

成績を褒めてくれたこと

この子は利口や、勉強ができるんやと話していたこと

 

💪の出来る腕にぶら下げてくれたこと

夕方の涼み台で昔話(満州でオオカミを飼っていたことなど)をしてくれたこと

 

ワタシがお勤めに出だしたころ、

近所の洋品店へ連れて行ってセーターを買ってくれたこと

 

 

 

 

借金まみれで差し押さえの赤札が、ペタペタ張られていた時の悲しげな父

やめられない賭け事

借金を減らそうとするたびに増えていく借金

家計は火の車だった

継母の苦労は、ワタシを父を許せない気持ちに変えていった

 

 

大手企業に就職したにもかかわらず3年で退職したワタシは

家業の商売を助けるため車の免許を取った

貯めた貯金を、”三菱360㏄”を買う資金にあて

車の助手席に父を乗せて行動を共にすることが多くなった

 

 

生活が苦しい中でも家族協力できていたことは

うわべだけのこと

父と母はお金のことで喧嘩が絶えず

 

 

ワタシが結婚をすることになったとき

借金の上にさらに借金をして見栄を張った父

 のちに判ったことだけど・・・

 

 

そんな中でも嫁入り支度を整えてくれた継母

上手くいかずに家出したこともあるワタシのためにアセアセ

 

 

当時は泣いてばかりで反抗していたけれど

世の中を知ってからは

継母には感謝しかないキラキラ

 

 

でもである。。。

 

 

思い出すのは父の事ばかり

あの父に逢って

大人の話がしたい

 

 

抱きしめてもらったのは継母ではなく父だった

父の言葉は優しかった

家出して帰った時も・・・

 

 

結婚したワタシのところへ

フラッと来たことがあった

イチゴをワンパック持って

孫(現在同居の娘)にと・・・

 

継母と何かあったのやろ…もめたのやろ…

察しがついてたけど何も訊かなかった

 

夫が帰宅する前に帰って行った

 サバの煮つけで夕飯を食べながら

 料理の上手な父は、サバの煮つけのコツを教えてくれた飛び出すハート

 

 

 

孫の手を引きながら

バイバイと言ってたのは

似合ってなかったなぁ汗

浮世離れしていた父に孫は似合ってなかった

 

 

でも、普通のおじいちゃんやったのかもしれない

寂しかったのかなぁ

今だったら判ってあげられるのに・・・

 

 

 

 

何か言いたいのはワタシもやで~

父に逢いたいタラー

お父ちゃんに逢いたいタラー

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤薔薇わが家では

  娘はシングルでパートの契約社員
  孫は軽い発達障害があってパートの契約社員
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